第十四話 食の本質とか
☆☆☆その①☆☆☆
注文を受け、マスターは金網造りの小さなフライパンみたいな器具で、豆を煎る。
その目は真剣で、まるで武士の勝負を連想させた。
「へぇ…煎るところからなんだ」
「あれがコーヒーになるんですか? なんだか ちょっと大きな小豆みたいですね」
一般知識ていどには珈琲を知っている青年に比して、少女は初めて知ったらしい。
「僕も、直に見るのは初めてだけどね。珈琲豆を本当に美味しく煎るのって、なんていうか、すっごく繊細な才能? が、必要なんだって」
「へぇ~、そうなんですか~♪」
ザラザラと煎られる珈琲豆を、亜栖羽は興味深げに、楽しそうに眺めている。
(よ、よし…このお店で 正解だったみたいだ)
ホっと安心の育郎だった。
マスターが納得して煎りが終わると、手動式のミルでゴリゴリと豆が砕かれる。
途端に、煎っていた時とはまるで違う、豊かで香ばしい匂いがあらためて、店内の隅々まで広がってゆく。
「わぁ~、良い香り~♪」
「ね」
「インスタントと 全然違うんですね~」
またヒヤっとする発言だけど、マスターには聞こえなかった様子で、ホっとした青年。
ガラスの容器にフエルトを使用し、温めるのはオイルランプという、本格的な焙煎で、煎りたて挽きたてのブレンド珈琲がカップに注がれた。
「お待たせしました」
出された一杯は、濃くて深いブラウンの液体。
ユラりと揺れる琥珀色の水面は、極上の抽出液である証だ。
「わぁ~…すっごく綺麗~♪」
素直に感動する亜栖羽が、とても可愛い。
ミルクと砂糖を待っていたけど出されることも無く、カウンターやテーブルの上を覗いても、見つからない。
(ああ そっか…コダワリのお店だから、ミルクも砂糖も無しなんだ)
本物の珈琲好きとはそういうものだと、どこかで聞いた事がある。
「じゃ 戴こうか」
育郎、実は人生初のブラックコーヒー。
亜栖羽がジっと見ているから、いつものようにフーフーしたりせず、格好をつけてクイっと一口。
「!」
(にっ、苦っがい~~~~~っ!)
喉の奥まで透き通るような苦さ。
決して不味いなんて事はないし、むしろ飲み口はスッキリしていて、爽やかさまで感じるものの、でも苦い。
正直、砂糖とミルクが欲しい。
(し、しかしっ…大人の男としてっ、ここは…っ!)
我慢のところだと自分に言い聞かせ、育郎はもう一口、クイっと戴く。
「んくん…う、うん。鼻に抜ける香ばしさというか、こんなに美味しい珈琲は 初めてかな…」
忍耐の汗を流しながら、耐える凄い笑顔で少女に振り向く。
「オジサン、ブラックコーヒーが好きなんですか。大人~♡」
「ま、まぁね。シンプルかつ奥深さ。って言うのかな。ハハハ」
キラキラ輝く尊敬の眼差しを貰うと、とても幸せで良い気分だ。
もう何杯と戴いても、苦さなんて気にならない。
などという事はなく、やっぱり苦い。
「私も、人生初のブラックコーヒー、戴きま~す♪」
亜栖羽も、育郎を真似て、一口コクり。
☆☆☆その②☆☆☆
「んく…っ苦っが~いっ☆ 喉が切れちゃいそうなくらい 苦いです~!」
「あわわっ、あっ、亜栖羽ちゃん…っ!」
初めてとはいえ、あまりにもストレート過ぎる感想だろう。
強面マスターの鋭い眼光が、こちらを捕らえる。
亜栖羽ちゃんを護らねば。
咄嗟に頭を過った決意。
「あっあのっ、じじじ実は彼女っ、ぼ僕もっ、ブラックコーヒーは初めてで–」
「はい、ミルクとお砂糖です」
マスターはソっと、タップリのミルクと、真っ白な砂糖のポットを差し出してくれた。
「…え?」
コダワリの店のコダワリは、希薄なのだろうか。
「わ~、ありがとうございま~す♪」
少女は嬉しそうに、出されたミルクとお砂糖をタップリと、珈琲に投入。
「んく…あはっ、美~味しいです~♪」
亜栖羽は嬉しそうに、甘い珈琲をコクコクと戴いていた。
育郎は思わず、コダワリに対する疑問が口をついて出る。
「さ、砂糖とミルク…いいんですか…?」
「ん? 珈琲なんて無理して飲むモンじゃあ ありませんよ。飲む人にとって美味しくて幸せ。それが珈琲…いや、食べ物全ての本質だと、私は考えてます」
静かにシブく語るマスターの背中は、素晴らしいコダワリの漢だった。
実は僕も、自分でインスタントを飲むときは、砂糖とミルクを入れるんです。
などと、見栄を張った今さらで、言えるわけもなく。
「ズズ…うぅ」
美味しそうに甘い珈琲を戴く亜栖羽の隣で、無理をして飲むブラックコーヒーは、やはり苦かった。
そんな育郎の様子をチラと見ていた亜栖羽は、少し考えて。
「オジサン、お砂糖とミルクを入れると、また違う味わいがありますよ~♪」
と勧めてきた。
(助かった!)
「そ、そう? それじゃあ、僕もミルクと砂糖、入れてみようかな~」
少女に言われて試してみる。ふうに必死で装って、青年はミルクと砂糖をタップリと投入。
「こく…ホ…んんっ、お、美味しいね」
安堵の吐息が思わず零れて、慌てて取り繕う大人。
「兄さん、彼女に感謝しないとね」
「は、はい…」
「えへへ」
全てを見透かされていた育郎だった。
「それじや、行こうか」
「はい」
美味しい珈琲を終えた二人は、喫茶店を後にする。
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