第二十七話 亜栖羽のノート


              ☆☆☆その①☆☆☆


(意外だな…亜栖羽ちゃん、英語が苦手なんだ)

 英語というより、亜栖羽が苦手な物とか、初めて知った。

「実は昨日、英語のテストがあってですね…。私、恥ずかしいですけど、平均点以下の点数だったんです。それで、今度の月曜日に赤点組は追試をするって 先生に言われてしまいまして…」

 事情も、ごめんなさいの意味も、助けての意味も、全部わかった。

 ①追試があるから助けてほしい。

 ②メールの後に成績の事を話さなきゃいけないと気づいて、話しづらくなった。

 ③月曜日が追試だから、日曜日のデートが出来なくなってしまってごめんなさい。

(という事か…ホ)

 むしろ安心した。

 安心したら、何だか可笑しくなってしまう。

「ふふ…あはははは」

 思わず笑いだしてしまった青年、少女はショック。

「ええー。オジサン、私の赤点で笑ってるー!」

「いや、ごめん…そうじゃなくって、ははは…亜栖羽ちゃんからの件名みて、何か事故にでもあったんじゃないかって 心配したから…あはは」

「そ、そうだったんですか…ごめんなさい」

 件名の説明不足に気づいて、正直に謝る亜栖羽。

 こうなったら、逆に育郎の出番と言えるだろう。

 シュンと項垂れる少女に、青年はそれなりの勇気を振り絞って、提案をする。

「えっと…もしよかったらだけど…英語、見てあげようか?」

「えっ! 本当ですかっ♪」

 育郎の言葉に、曇っていた美顔が太陽みたいな輝きを取り戻した。

 回答用紙を見ながら、問題も確かめる。

「このくらいの英語なら 簡単だよ。今からテスト対策 しよっか」

「はっはいっ! あ、でもオジサン お仕事の途中なんじゃ…」

「大丈夫だよ。今日 亜栖羽ちゃんと会う約束してたから、仕事は午前中で全部 片付けてあるよ」

「わぁ~、オジサン大人~…♡」

 少女の大きな瞳が、尊敬の輝きで真っ直ぐに注がれる。

(! な…なんて可愛い…っ!)

 そんな眼差しで見つめられると、思わず抱きしめたくなってしまう青年だ。

 しかし、そんな事をしたら、亜栖羽は驚いてしまうだろう。

「あ、あはは。ま、まあ 社会人として 当たり前だよ。あはは」

 グっと我慢の青年だ。

 とか余裕を見せつつ、実は昨夜から睡眠時間の半分以上を削って、何とか今日一日の予定を消化したのだ。

 それでも、年下の少女に尊敬されて、勉強を助けてあげられて、やりがいを感じる二十九歳でもあった。

「それじゃ、まずはどこを間違えたのか、整理していこうか」

「はいっ!」

 亜栖羽は、テーブルの上に勉強道具を持ち出し始める。


              ☆☆☆その②☆☆☆


 女子高生の勉強道具を直に見るなんて、初めてだ。

(なんか ドキドキするな…)

 ちょっとした禁断の事実を見るような、不思議な気分。

(亜栖羽ちゃん、どんなノートや筆箱なんだろ)

 ちょっと楽しみな自分がいた。

 少女がカバンから取り出したノートや教科書は、綺麗でありながら、良い感じにヨレっている。

(授業はちゃんと聞いてる感じだな…)

 筆箱は水色のチャック式で、いわゆるペンケースと呼んだ方がしっくりくる感じ。

 一通りの道具が揃うと、教える前に確かめるべき事がある。

「ちょっとノート、見せて貰っていい?」

「は~い♪」

 ノートを開いて見たら、意外と乱雑に書き留めてある。

 教師の説明や黒板に書かれた事を、見たままに書き留めた感じだ。

 ノートの端にはネコのラクガキなどもあって、可愛い。

 しかし。

「なるほど…。この書き方だと、復習には使いづらいでしょ?」

「復讐~? え、オジサン 浮気とかしたんですかっ?」

「え? あ、いやその復讐じゃなくて…っていうか、浮気とかしないですよ!」

 意識をノートに戻して、見るに、予習の痕跡も無し。

 ノートを、授業中の説明を書き写すだけの物と、勘違いをしているのだろう。

 成績が良い学生と、そうでない学生との、よくある差だ。

 勉強が苦手らしい亜栖羽の一面が見られて、何だか可愛らしさが倍増する。

 ついでに、やや丸みを帯びて小さめな字が、とても亜栖羽らしくて、良い。

「あはは」

「? どこか変ですか~?」

 育郎の笑いに、きょとんと小首をかしげる少女。

「ううん。亜栖羽ちゃんの字、可愛いんだなぁって」

「そ、そうですか~? えへへ♪」

 褒められた少女は、恥ずかしそうに頭を描いた。

「追試の範囲は 解ってるの?」

「はい。そのテストと同じ範囲でもう一回って、先生が仰ってました」

「そっか。それじゃあ、テスト対策の意味もあるけど…まずはテスト問題の解説から始めて、それで ノートの取り方を変えようか。ノートの取り方で、頭への入り方も違ってくるから」

「は~い! よろしくお願いしま~す。育郎センセー♪」

「は、はい」

(お、オジサン先生ではないんだ…)

 唐突に名前を呼ばれて、ちょっとドキドキした二十九歳。

「それでは…コホん」

 正解した範囲について質問をすると、その範囲は理解していると解る。

「うん。そこは大丈夫だね。じゃ、間違えたところだけど…」

 理解できていない問題については、単語、文法、訳、だと解説。

「この場合のInは接頭語といって、否定の意味で使われるから、訳す時は逆の意味になるんだ」

「あ、そう言えば接頭語って、履いた事があります~☆ 私、接頭語って聞いて、窃盗の後にノンビリしてるドロボーさんとか、想像しちゃってました~♪」

「なるほど」

 勉強が苦手な学生によくある「聞いた事に関して別の事が思いついて、そっちに意識が捕らわれてしまう」という、一種のあるあるだ。

(…思っていたよりは 手強そうだ)

 そんな予感も、楽しいと感じる育郎だった。

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