第37話 朝日が昇るのを待ちながら
偃月刀を背負ったタイロンが手を高く挙げると、鷹は悠々と降りてきた。
見たくもないという顔をするアンティだったが、そこからは動こうともしない。
それは、ゆうべタイロンが斬り殺した侵入者の死骸があちこちに散らばっているせいだろう。
近づいてきた鷹に向かって、タイロンは、くいと腕を曲げる。
そこに留まった鷹の脚には、手紙が括りつけられていた。
アンティが横からそれをひったくろうとしたが、ドモスの方が速かった。
手にした手紙を広げて読み上げる。
その用件は、単純だった。
「夜が明けたら使いを出す。姫にもしかとお知らせせよ……年貢の納めどきってヤツだな」
鼻で笑う声に、アンティが露骨に顔をしかめた。
不機嫌を剥き出しにした声で、皮肉を返す。
「そんなこと、書いてありますの?」
「さあ、どうかな」
ドモスが次第に明るくなっていく空を見上げて、すっとぼけてみせる。
うっすらとかかっていた雲が、少しずつ吹き払われていく。
門の向こうの荒野にも、光が差してきた。
その彼方に見える魔界の山脈が、夜明けの空に白く浮かび上がる。
荒野を吹き抜けてくる朝の風は、冷たかった。
アンティが、胸を大きく反らして息を吸い込む。
気持ちよさそうに腕を高々と突っ張って伸びをしながら、タイロンを見つめる。
「受け取ってほしいものがあるんですの」
襟元を押し広げると、胸の間の深い谷間が晒される。
タイロンは思わず目を背けた。
「別に……報酬はちゃんと王宮から……」
そこから先は、声が震えて言葉にならない。
城塞都市国家カナールを守り抜いた歴戦の傭兵とも思えないうろたえぶりだった。
だが、姫君はそれに呆れた様子もない。
微かな、しかし真剣な声で囁きかける。
「見てくださいませんこと? あなたのその目で、しっかりと」
おそるおそる、タイロンはその言葉に従った。
手を差し出しながら、アンティの胸元を薄眼でちらりと眺める。
そこに、隙が生じないわけがなかった。
まばゆい光に視界を灼かれて、タイロンは思わず顔をしかめた。
「これ……まさか!」
王国の壁を守る4人を何度となく救ってきた宝珠が、その光を放ったのだった。
辺りは淡い朝の光に満たされていたが、それでもタイロンの目をくらますには充分だった。
思わぬ奇襲で下ろすに下ろせなかった手に、何か重く、丸いものが押し付けられる。
添えられたのは、門の辺りへと遠ざかっていくアンティの声だった。
「そう……王国の秘宝ですわ。落としたら命がありませんことよ」
さすがのタイロンも、これには足止めを食わされた。
アンティも宝珠も、共に王国から奪還を命じられたものである。
視覚を封じられたまま、片や手の中から滑り落ちそうになり、片や外壁の外へと逃げ出そうとしている。
ここは、戦友に助けを求めるしかなかった。
「ドモス! 止めてくれ!」
だが、魔王討伐行を共にした騎士見習いの返事は冷たいものだった。
「悪いが、もうどうでもいい……騎士になる気なんぞないからな、俺は」
その間にも、アンティが遠ざかっていくのは目を閉じていても分かった。
気配さえ分かれば、後を追うことはできる。
宝珠の光を放ったとき、アンティは予め目を閉じていたことだろう。
タイロンならともかく、そのまま門に向かって突進することなどできはしない。
問題は、宝珠のほうだ。王国の至宝を放り出していくわけにもいかない。
「じゃあ、せめて預かってくれ」
ただそれだけの頼みにも、ドモスは応じない。
淡々とした口調で答えた。
「行かせてやれよ。俺もここを出る」
だが、そこでタイロンらしからぬ言葉が出た。
「僕をタダ働きさせる気か!」
「……しゃあねえな」
ドモスが鼻で笑う。
それが聞こえてから、手の中の重みが消えるまでには少し間があった。
まばゆい光のせいで、ドモスも宝珠を探し当てるのに手間取ったのだろう。
その分、アンティも遠くへ行っているはずである。
タイロンは目を閉じたまま、急いで後を追った。
「すまん! ドモス!」
駆け出したところで、タイロンは何か柔らかいものに突き当たった。
思わずしがみついたところで、その相手が甲高い叫び声を上げる。
「何するんですの!」
思いのほか、アンティは近いところにいた。
タイロンの手の中には、その証があった。
「ご……ごめん」
鷲掴みにした両の胸から手を離したタイロンに、振り向きざまの平手打ちが見舞われることはなかった。
目を閉じていれば仕方がないことだが、原因は別のところにあった。
壁を守ってきた4人のうち、最後のひとりがタイロンの正面から呼びかける。
「その声は……傭兵だな?」
イスメの声は、ちょうど、あの雷撃の斧の間合いから聞こえていた。
逃げようとしたアンティの前に回り込んで、斧を突きつけて牽制したといったところだろう。
だが、それはいかにも魔界の娘らしくない。
「止めてくれたのか? アンティを」
眩しさと怪訝さで顔をしかめて尋ねると、抑揚のない声が返ってきた。
「いや……間合いが少し遠かったのでな」
それは、照れ隠しのようにも聞こえた。
しかし。
「危ない!」
タイロンは再びアンティの身体を抱きすくめると、地面に転がった。
「離しなさい!」
姫君は怒りの叫びを上げたが、それは覚悟の上だった。
僅かな時間差でかわした斧の刃が、頭の上で唸る。
タイロンはその確信を、アンティの耳元で囁いた。
「あの魔界の娘は……僕たちを本気で殺す気だ」
ただし、宝珠の力で魔力が封じられているので、稲妻の蛇を放つことはできない。
今、それを手にしているドモスは、イスメのためならその光を十二分に利用するだろう。
つまり、宝珠が朝の光よりも眩しく輝いている間は、お互いの姿をまともに見ることができないということだ。
だが、それも朝日が昇るまでだ。
日が昇れば、宝珠の閃光を相殺してくれる。
それまでは、音と声を頼りに凌ぐしかない。
タイロンはその場に跳ね起きると、背中の偃月刀を引き抜いた。
頭上にかざして、振り下ろされる斧を受け止める。
イスメは、さっきの囁きを聞き逃してはいなかったのだろう。
だが、斧が振り下ろされれば、その柄の先にはイスメがいるということになる。
タイロンは、蹴った地面とほとんどすれすれに身体を倒して、斧の柄が指し示す先へと走った。
偃月刀を、横薙ぎに振るう。
だが、手応えはなかった。
「しまった……」
呻いたときには、もう遅かった。
刃が通り抜けた後の誰もいない空間に、斧の柄だけが間の抜けた音を立てて落ちた。
とっさに身体を起こしたが、それが
背後に音もなく降り立ったイスメがタイロンの腰に腕を回す。
自分の身体を反らしたかと思うと、タイロンは地面から引き抜かれたかのように、背中から地面に叩きつけられていた。
不意打ちの投げ技を食らって息が詰まり、タイロンは咳き込みながら地面を転がった。
だが、イスメはその小柄な身体を密着させてくる。
いつの間にか首のあたりまで這い上られ、細い腕で裸締めを極められていた。
「甘かったな、傭兵……魔界の体術を舐めるでない」
「たいした……ものだな」
喋らなければ楽なのだが、口を利いていないと、そのまま気が遠くなって死んでしまいそうだった。
強がるタイロンに、イスメは目を細める。
「そうだ、そうでなくてはならん。これしきのことで死ぬような輩に滅ぼされたとあっては、魔界の名誉にかかわるからのう」
攻めに回って嘲笑してみせるが、その言葉にはどこか、好敵手への尊敬の響きがあった。
タイロンもまた、苦しい息の中で答えた。
「魔王は死んだ……その魔界は、もうないんだぞ」
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