第23話 絶望の使者が天空高く鳴く
タイロンは、偃月刀を手にしたまま言葉を失った。落とさないでいられたのが不思議なくらいである。
無言で内壁に背を向けているアンティは確かに、この連中のひとりにはなりたくはないだろうと思われた。
ドモスはドモスで、手にした武器をだらりと下ろして、ただ内壁の上を見上げているばかりである。
イスメだけが、感情を抜きにして事実だけを告げた。
「敵が増えたぞ」
なぜそんなことが分かるのか、幾多の戦場を駆けてきたタイロンでさえも皆目見当がつかなかった。
「何故分かる」
声を低めて尋ねる。
自分には分からない危機への緊張だけではない。
その危機を先に察したイスメのへの好奇心が、そこにはあった。
「矢が止まった」
聞いてみれば単純なことである。
だが、ドモスは気楽なものだった。張り詰めた表情で壁の上を眺める魔界の娘の肩に、馴れ馴れしく手を置く。
「諦めたんじゃないのか」
ぴしゃりと音がした。
イスメひとりのための騎士を気取った見習いは、叩かれた手を引っ込める。
それを見つめるタイロンは、軽蔑も同情も感じてはいなかった。
ただ、目の前の危機を認めようとしない戦友の誤りを正すばかりである。
「いや、違う。必要がなくなったんだ」
姫君として故国に帰るのを拒むアンティも、その意味することが分かったらしい。
口元を歪めて、不敵に笑った。
「居場所を探らなくても……」
それが強がりに過ぎないことは、イスメも察しがついたのだろう。
言葉を遮るように、冷たい声で結論を引き取った。
「一斉に攻め込んでくればいい」
もし、そうなればアンティなどひとたまりもない。「宝珠」の力が及ぶのは、魔法を使える相手だけである。
それに気付いたのか、その持ち主たる王国の姫は魔界の娘を睨みつけた。
もちろん、当のイスメは知らん顔をしている。
さっきまで楽観派だったドモスも、さりげなく味方についた。
「多勢に無勢か」
全員の意見がまとまったところで、タイロンは本題に入った。
「援軍が必要だな」
「いらん」
「いりません」
片や、自分の命は自分で守ろうとする。
片や、軽蔑すべき同胞の助けなどは借りまいとする。
イスメとアンティは、まったく違う意味で口をそろえて答えた。
ドモスはドモスで、きっぱりと答えた。
「賛成」
固い決意を秘めたその目で見つめられている、というか見下ろされているイスメは、顔も上げずに不機嫌な声で吐き捨てた。
「あてになどしてはいない」
「君を死なせたくないだけだよ」
すぐさま返したその言葉には、最前までの軽い口調はなかった。
恥ずかしげもなく告げられた熱い思いへの返事は、いささか閉口気味だった。
「死にはしない」
イスメに小馬鹿にされたばかりのアンティが、聞かれもしないのに割って入った。
「私もそう簡単には」
その言葉を低く遮ったのは、タイロンだった。
「意地を張るな」
彼らの声が壁の外に聞こえることは、もう心配していなかった。
それほど、乱痴気騒ぎの喧噪は甚だしいものがあったのである。
だが、彼の耳は、別の音も捕らえていた。
闇夜の中で微かに聞こえる、人間ではない者の立てる音……。
それは、イスメも感じていたようだった。
「あれは、確か……」
そのつぶやきが言わんとすることは、見習いとはいえ、ドモスも騎士のはしくれとして気づかないはずはない。
「察しの悪い連中だな」
見上げる先からは、甲高い鳴き声が聞こえる。
夜空を旋回しているらしい。
それは、王宮から放たれた伝令の鷹のものであった。
アンティは苛立ちを露わにして呻く。
「だから帰りたくないの」
鷹は悠々と旋回しながら鳴き続ける。それは、まるで外壁の前に立つ者どもに、中を攻撃せよと急き立てているようにも聞こえた。
イスメもまた、うんざりしたようにつぶやく。
「飛行術さえ使えればな……あのうるさい鷹も」
ここぞとばかりに、アンティがからかうように尋ねた。
「飛べないの?」
魔族でありながら、という言葉は、敢えて省かれていた。
だが、その皮肉は簡単な一言で冷ややかにかわされた。
「お前と同じようにな」
無言で睨み返すアンティをなだめようとして、また、イスメにこれ以上は何も言わせまいとして、タイロンは話をそらした。
「どうやって宝珠を?」
内壁の向こうで掴まったチェンジリングは、空を飛んで逃げられなかったということだ。
魔族もまた、壁を越えてこなければならなかったことになる。
だが、魔界の娘イスメはあっさりと答えた。
「学べば飛べる」
そこでドモスが怪訝そうに夜空の彼方を眺めた。
その方角には、宝珠と姫君の探索行で滅ぼしてきた魔界がある。
「誰も飛ばなかったぞ」
魔界の生き残りであるイスメは、軽蔑というよりも憐れみの微笑を浮かべてドモスの顔を見上げた。
「お前たちが飛べないからだ」
それは、魔界の民たちが、招かざる侵入者に対しても常に対等の立場で応じてきたことを意味していた。
アンティが、くぐもった声でつぶやいた。
「だから……滅んだのよ」
そこにも、軽蔑の響きはない。むしろ、聞き取りにくいのは、嗚咽をこらえているからのようでもあった。
イスメも、特に言い返すようなことはしなかった。
ましてや、異界の幼女に心を奪われているドモスなどは、さすがに良心が痛むのか、夜空を見上げて知らん顔をしている。
その重苦しい雰囲気に耐えかねて、タイロンが口を開いた。
「降りてこないかな、そうすれば」
言わんとすることが通じたのか、イスメがゆっくりと頷いた。
「この斧で」
鷹を殺してしまえば、いかに王宮の者たちが呑気でも、さすがにおかしいと気付くはずである。
いや、そうでなくてはタイロンにとっても困るのだった。
援軍なしで、この4人が生き抜くのは一晩だけであってもほとんど不可能である。
「そうはさせません」
アンティが、意見の一致した傭兵と魔界の娘を見据えていた。
手を差し入れた豊かな胸の谷間から、光がこぼれる。
「やめてくれ」
怒りを込めて振り返ったのは、ドモスだった。
その手には、細身の剣が抜き放たれている。
一触即発の状況を、イスメは面白そうに見ていた。
うろたえたのは、タイロンひとりである。
「アンティ!」
哀願の眼差しを正面から受け止めた姫君は、しばし傭兵と睨み合っていたが、ふと視線をそらした。
その先で目を合わせたイスメは、稲妻の這い回る斧を地面に投げ出すと、不敵に笑った。
それが何を意味するのは、タイロンにも分かった。
魔力を無力化された斧にしがみつく気など、イスメにはない。
むしろ、翼なき人間たちに対して飛ぶこともなく立ち向かって滅んだ、魔界の人々に倣おうとしているのである。
アンティもまた、胸元に隠した宝珠から手を放すと、悠然と3人を見渡して宣言した。
「これは使いません。好きになさい」
安心の溜息をついたタイロンだったが、ドモスのつぶやきを聞いて我に返った。
「あれ……」
指さす先からは、風を切って飛ぶ一筋の矢の音が聞こえてくる。
だが、鷹がそれに当たった気配はない。甲高い鳴き声は、イスメを除く3人の帰還を促し続けていた。
タイロンは、月のかかる夜空に鷹の姿を探しながらつぶやいた。
「そのまま逃げろ……」
狙われたということは、外壁の向こうでも鷹に気付いたということになる。
タイロンの願いも空しく、飛び巡る鷹に向かって射かけられる矢は1本、また1本と増えていった。
誰が放った何のための鷹なのかは、もう知られているのだろう。
高く高く、しかも執念深く射られる矢は、次から次へとタイロンたちの頭上から降り注いだ。
「早く行けよ……!」
偃月刀が閃く。
「ちっ、ヘタクソどもが……!」
ドモスのレイピアが流れ矢を弾き飛ばす。
その隙に、5、6本の矢が続けざまに襲いかかってきた。
2つの刃の使い手がそれを迎え撃つべく顔を上げる。
だが、そのときには既に、小柄な影が高々と宙に舞い上がっていた。
「遅い!」
斧の一閃で、稲妻の蛇が何匹も闇の中を這い回った。
食いつかれた矢は落下するまでもなく、ことごとく焼き尽くされて消え失せた。
再びふわりと舞い下りたイスメに、タイロンは非難がましく尋ねた。
「さっき、飛べないって……」
いささか屁理屈めいた言葉が返ってきた。
「跳ねることはできる」
それをかばうように、ドモスが話をそらした。
「矢が……止んだ」
「見えたんだろ、さっきの稲妻が」
それは、こちらの手の内を晒したことになる。イスメが忌々し気につぶやいた。
「まあ、脅しにはなったがな……」
切り札もまた失われた、とタイロンは思った。
イスメにしてみれば、その跳躍力もまた同じことだったろう。壁の外の連中と同じく、タイロンたちもまた敵なのだ。
鷹はというと、戦いの一区切りを見届けたかのように、鳴き声を長く曳きながら内壁の向こうへと飛び去っていった。
半ば安心したように、半ば呆れたように、アンティは深い溜息をついた。
「こういう場合は、どうなるんですの?」
答えることができるのは、ドモスしかいなかった。
「王宮からの手紙が読まれない場合は1つしかない」
皮肉な笑いと共に告げたのを、タイロンが引き継いだ。
「届ける相手が死んだ場合」
そこで、月明りに照らされたアンティの顔が明るくなった。
「じゃあ、私たちは」
イスメが、嘲笑混じりに応じる。
「任務に失敗して死んだ」
タイロンひとりだけが、暗い面持ちで結論を出した。
「……援軍は、ない」
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