第22話 外壁の向こうと内壁の奥と

 同朋を失った者が放った哀しいまでの怨嗟の言葉を、タイロンはただ聞いているしかなかった。

 こんな思いを、どれほどの人々にさせてきたことになるのだろうか。いちいち気にしていたら、きりがない。

 何か遺恨があって、魔族たちを滅ぼしたわけではない。この壁の中の王国に雇われて、頼まれた仕事を果たしただけだ。

 それでも、その1人を目の前にして、その言葉を直に聞くと、やはり心の底に疼くものがあるのだった。

 同じく討伐行に加わったドモスはというと、それでは済まないようだった。

「許してくれ、俺は……」

 同胞の仇が告げたばかりの愛は、拒まれるまでもなく無視されていた。

 その魔族の1人として育てられ、王国の姫として帰還しようとしているアンティの声は震えていた。

「よくも、そんなことを……」

 その目は、凄まじいばかりの憎悪と嫉妬で満たされている。

 壁の外から再び風を切って飛んできた矢が地面に突き刺さっても、人間の男女3名は魔族の娘イスメの前に立ち尽くしていた。

「これだから人間どもは」

 冷ややかな一瞥に、アンティだけが応じた。

「何を言うか……!」

 呻きにも近い声が秘めたものは、タイロンにも感じられた。

 それは、魔族として育ちなが、ら裏切り者とならざるを得なかった者の苦悩である。

 だが、イスメは気に留める様子もない。ただ、軽蔑の笑いを浮かべるばかりだった。

「自分たちが今、どのような立場にあるのか知ろうともしない。いや、知っていても口にしないだけなのか……いずれにせよ、滅んでも仕方があるまい」

 その一言に招き寄せられたかのように、波となって壁を超えてきたものがある。

 無数の弦音と共に放たれた、大量の矢だった。

 4人は、すぐさま身を寄せ合った。

 タイロンが腕を伸ばして、アンティを抱き寄せる。

 ドモスがイスメの上に覆いかぶさる。

 射込まれた矢の雨を、2人は剣を手にして片っ端から斬り払った。

 一斉に降り注いだ矢をかわしてしまうと、ふたたび辺りには静寂が戻ってきた。

 ドモスがタイロンに囁く。

「そんなにいないな、向こうには」

「ああ、横1列にしかなれないんだ」

 タイロンが答えたところで、その横1列の矢が再び降ってきた。

 2本の剣が続けざまに一閃して、何本もの矢をまとめて真っ二つにする。

 気持ちが落ち着いたのか、アンティが、上ずった声で強がってみせた。 

「いつまで続くのかしら? こんなこと」

「ありがとうがちゃんと言えないと、立派な女王様になれないぜ?」

 ドモスが軽口を叩く。

 だが、姫君は約束された地位に触れられるのがお気に召さないようだった。

 更に射込まれる矢が唸りを上げてもなお、険しい顔つきで言い放った。

「言ったはずです、帰るつもりなどないと」

 その頭の上をタイロンの偃月刀が薙ぎ払うと、矢の雨は小休止を迎えた。

 ドモスは、腕の下の幼女に恩着せがましく囁きかけた。

「もう、大丈夫だからね」

 相手になどされてはいなかったのは言うまでもない。

「見てはおられんな、人間ども」

 イスメは、覆いかぶさるドモスの身体を押しのけて立ち上がった。

 華奢な両の腕を夜空に向かって高々と差し上げる。

 たちまちのうちに、その間には眩いまでの火花が散った。

 何らかの魔法が準備されているのだ。

「力を貸してやってもよいぞ。おぬしらをこの手で殺す前に、他の連中から助けてやるもまた一興」

 そのとき、はるか遠くで矢が射込まれる音がした。

 イスメは面白くもなさそうにつぶやく。

「どこを狙っておるのか」

 その口を、タイロンは不意に掌で塞いだ。

 目を剥いたドモスに向かって、喋れないでじたばたするイスメへの返答を告げる。

「いや、狙っているわけじゃない」

 アンティは魔族の娘の醜態を鼻であしらうと、怪訝そうな顔でタイロンに尋ねた。

「じゃあ、今までのは何のために?」

 矢の音が、今度はさっきと反対側から聞こえた。それに焦ったのか、イスメはまだもがいている。 

 とうとうドモスがタイロンの腕にむしゃぶりついた。

「離せよ」

 解放されたイスメは、がっくりと膝をついて息を弾ませる。

 そうしている間にも、矢の音は次第に近づいてきた。

 タイロンは低く、鋭く囁いた。

「伏せろ」

 頭から降ってくる矢を偃月刀で叩き切る。

「探りを入れてるだけなんだ」

 その言葉の意味を、ドモスはすぐに察した。

 よろよろと立ち上がったイスメが再び差し上げた両腕を、しっかと掴む。

 だが、小柄な身体がくるりと回ると、あっさりと投げ飛ばされてしまった。

「妾に触るでない」

 嫌悪の眼差しが見下ろす。 

 だが、地面に転がされたままのドモスは、それに屈することなくきっぱりと告げた。

「反撃するな。場所を悟られる」

 言い返すこともできなかったのか、イスメは悔しそうに顔を背ける。

 代わりに、アンティが聞き返した。

「どうなさるおつもり?」

「それは……」

 ドモスは答えられないようだった。

 その間にも、矢は降り注いでくる。 

 片膝ついて地面に屈んだタイロンが、それを右に左に切り払いながら代わりに答えた。

「逃げるしかない」

 あまりにも単純すぎる答えだった。

 絶体絶命の危機を目の前にしてもなお、その場の空気は凍りついた。

 レイピアの一振りでイスメの身を守るドモスが、苛立たしげに毒づく。

「どこへだよ」

 何度目かの矢がまた降り止んで、タイロンは余裕たっぷりに顎をしゃくった。

「あっちだ」

 その目が見つめる先には、城内に入るための内門がある。

 ドモスは呆れたように聞いた。

「何が必要か知ってるな?」

 当然、タイロンも忘れたわけではない。

 大げさに頷きながら答えてみせる。

「もちろん、合言葉だ」

 意味ありげに横目で見つめる先には、やはり呆れたようなイスメの幼い顔がある。

 タイロンの視線に気づいたのか、我に返ったように、大真面目な顔で言い切った。

「教えるくらいならここで死ぬ」

 本当にやりかねないくらいの勢いだった。

 ドモスなどは慌てふためいてイスメを止めにかかる。

「それもダメだ」

 アンティはアンティで、それを横目で見ながら鼻で嘲笑する。

「ひとりで死んでくださらない?」

 壁の向こうの王国の姫に挑発されて、魔界の娘はムキになった。

 これもまた冷ややかな眼差しで睨み返す。

「妾が死ねば合言葉は分からぬぞ」

 2人の間に割って入るかのように、風を切る矢の音がまた聞こえた。

 続けざまに降り注ぐ矢から魔界の娘をかばって伏せるドモスの横で、タイロンがアンティを抱き寄せた。

 交錯する刃と刃に弾かれた矢が、続けざまに地面へ落ちる。

 ドモスが吐き捨てた。

「きりがないな」

 タイロンが頷く。

「連中の矢が尽きない限りはな」

 見上げる先には、この都市国家を守る外壁がある。

 幾多の戦場で生き抜いてきたタイロンから見れば、珍しくはない高さだった。

 その奥で、また矢の降る音がした。

 タイロンの腕を払いのけた王国の姫が、不意に首をかしげた。

「何で壁を越えてこないのかしら?」

 身を守った相手に拒まれたきまり悪さに身をすくめながら、タイロンは傭兵としての経験を口にした。

「雲梯がないんじゃないか?」

「雲梯?」

 魔界の娘が怪訝そうに聞き返す。

 ドモスが自慢げに答えた。

「城壁を越えるの使う、長いハシゴさ」

「何にも知らないのね、魔界の娘は」

 小馬鹿にしてみせるアンティに、イスメは一言で応じた。

「そもそも戦をせんからな」

「宝珠は盗んでも?」

 戦よりも盗みの方が愚劣だと言わんばかりの口調にだったが、イスメが怯むことはない。

「それも、無駄な戦をせんためだ」

 険悪な雰囲気の中へとそれていった話を、タイロンが元に戻した。

「もしかして、雲梯を持ってくるだけの人数がいない?」

 空を切る矢の音が、また近づいてきた。

 それに急かされるように、ドモスがはたと手を叩いた。 

「思い切って外門を開けるっていうのは?」

「私たちも殺されます」

 浅はかな提案への軽蔑を込めて反論するアンティに、ドモスは悠々と答えてみせる。

「取引するのさ」

 しばし考えて、タイロンはドモスの思いつきに耳を傾けてみることにした。

「どうやって?」

 イスメの言う魔族たちの生き方ではないが、無駄な戦いをすることはない。

 ドモスは、おもむろに話を続けた。

「門さえ開ければ、俺たちに用はないだろう?」

 イスメまでも交えて、他の3人の口から深い溜息が漏れた。

 苛立ち紛れにタイロンはツッコんだ。

「合言葉をよこせと言われたら?」

 ドモスが口を開いたところで、イスメが先に言い返した。

「おぬしらを滅ぼすのは妾だ。人間どもの手など……」

 遅れて口を出たドモスの答えが、それを遮る。

「適当なことを教えればいい。俺たちが抜け出した後で、外の連中が死ぬだけだ」

 タイロンは、魔界の娘をじっと見つめながら騎士見習いを諭した。 

「侵入者がこの子を放置しておくはずがない。脱出する前に、共倒れだ」

 真っ先に犠牲になると告げられたイスメは、顔を紅潮させた。

「見くびるな。ひとり残らず返り討ちにしてくれる」

 喚き散らすのを、慌ててドモスがなだめる。

「いくら何でも無理だ」

 そこで口を挟んだのは、黙って聞いていたアンティだった。

「ひとりでいい格好はさせませんわ」

 今度はタイロンがうろたえる。

「君だけでも」

「合言葉が分からないのに?」

 さっき言ったことが自分に跳ね返ってきて、タイロンは口ごもった。

 息を呑み込んでから、ようやくこれだけ答える。

「必ず聞き出す」

「妾は……」

 イスメよりも先に拒絶の言葉を口にしたのは、アンティだった。

「帰りたくありません、あんなところには」

 壁の向こうの王国に帰らないと宣言した姫君に、タイロンが頭を抱える。

 その王国で暮らしたのが最も長いドモスは、ここぞとばかりにさっきの軽蔑を返した。

「見たこともないくせに」

 壁の向こうからは、歌声や楽器が賑やかに聞こえてくる。

 アンティは、ある種の哀れみを込めてつぶやいた。

「聞けばわかります、どんなところか」

 夜中にもかかわらず、大勢の喚き騒ぐ声が聞こえてくる。 

 それは、浮かれた国民の乱痴気騒ぎの声だった。

「王様万歳! 姫様万歳!」

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