第21話 明かされた幼女の正体

 思わず身体の均衡を失って倒れそうになったタイロンだったが、なんとか踏ん張ることができた。

 今度倒れたら、立ち上がれないような気がした。

 視界を灼かれながら、絶叫する。

「やめろ! もうたくさんだ!」

 予想したのは、斧の放った稲妻に焼かれて横たわるアンティの姿だ。

 もし、そんな目に遭わせてしまったとしたら、たとえ生きていたとしても、会わせる顔がない。

 いや、憎しみの目で見つめられるとしても、生きていてほしかった。

 その思いが届いたのか、目が再び夜闇に冷まされていく中で、微かな声が聞こえた。

「タイロン……私」

 茫然と座り込むアンティの身体には、傷ひとつついてはいなかった。

 その傍らには、それまでなかった1本の矢が落ちている。

 タイロンはそこで、何が起こったのかを察した。

「それ……もしかして」

 幼女の電撃は、この矢が飛んでくるのを弾き返すためのものだったのだ。

 だが、アンティがそれに気づいた様子はない。

 タイロンだからこそ振り回せる偃月刀を無理に腰まで持ち上げて、幼女に斬りかかろうとする。

 幼女は、それに怯む様子もなかった。

「無駄なことを」

 ゆったりと、身体の前に斧を両手で横たえる。

 腰を低く落として身構えと、アンティが間合いを詰めるのを待った。

 次の一撃に、もう容赦はあるまい。

 だがタイロンは、それを黙って見ていたわけではなかった。

「こんなことをしている場合じゃない!」

 ふらふらと駆け出したが、とてもアンティに追いつくことなどできはしない。

 ただ、途中で拾い上げたものがあった。

 さっきアンティの足下に落ちていたものである。

 タイロンはその手に掴んだ矢を突き出すと、もう一度同じことを言った。

「こんなことしてる場合じゃないだろ!」

 既に足を止めて幼女と睨み合っていたアンティが、ちらりと振り向いた。

 その眼差しは、限りなく不機嫌で、この上なく冷たい。

「こんなこと?」

 低く抑えた声は、高ぶる感情を表に出すまいとしてか、わずかに震えていた。

 タイロンは答えない。聞き返されても、同じ言葉でしか答えられない。

 何者かが、壁の外から矢を射込んできたのだ。

 この城塞都市に、何かが迫ってきている。

 もう、争っているような時ではないのだった。

 それは、タイロンだけの思いではなかったらしい。

「そう、こんなことをしている場合じゃない」

 背後で倒れていたはずの、ドモスだった。

 タイロンと睨み合うアンティをたしなめようとするかのように、静かに立ち上がる。

 だが、その場からは一歩たりとも動きはしない。

 そこで突然、アンティが声を上げた。

「やめなさい!」

 そう言うか言わないかのうちに、ドモスの両腕がタイロンの首に絡みついた。

 いわゆる裸絞めとかいう、格闘の技のひとつである。

「な……何を……」

 タイロンが呻いたが、主君の姫君が制止しても聞く耳を持たないドモスである。

 首を絞め上げる両腕の力が、そんなことで緩むはずもなかった。

 それでも、声は落ち着いていた。

「ここがどうなろうと、もう俺には関係ない」

 先ほどは理性を失って幼女に襲いかかったドモスであったが、今は正気らしい。

 それでも、目が座っている。

 固定された首の向きを変えることもできないタイロンが横目で見た限りでは、本気で相手を殺そうとするときの目だった。

 魔王のもとへたどり着くまでの間には、多くの魔族と戦ってきた。もちろん、徒手格闘になるときもあった。

 そんなとき、ドモスがどんな目をしていたかは、よく覚えている。

 逆らえば逆らうほど、喉は締め付けられていくはずだ。

 それだけに、タイロンは抵抗しないで尋ねた。

「どういうつもりだ」

 もちろん、返事は期待していなかった。ドモスもまた、答えない。ただ、絞める腕に力を込めるだけだった。

 もう、タイロンは声も上げなかった。いや、立てられなかったというのが正解である。

 それでも、ドモスの腕を引き剥がそうとして、無駄な抵抗を試みる。

 力を込めるために握りしめられた両の拳を、自分の両掌で包み込む。

 そのくらいのことしか、できなかった。

 だが。

「やめ……ろ!」

 ドモスが突然、呻き声を上げた。

 緩んだ腕をすり抜けて立ち上がったタイロンの足元に、震えながらうずくまっている。

 両手を組んで包み込んでいるのは、左右の小指だった。

 タイロンが付け根の関節を、折れる寸前まで逆に曲げたのである。

 大したことをやったわけではないが、不意打ちには充分だったらしい。

 当面の危機を脱したタイロンは、痛みに悶絶する戦友には目もくれず、対峙する二人の女に告げた。 

「まず、扉の向こうへ行こう。援軍を求めるんだ」 

 このままでいても、誰ひとり得をしない。

 アンティは国へ戻れず、タイロンは報酬が受け取れず、ドモスも騎士叙勲が受けられない。

 幼女は幼女で、壁の向こうの連中のいい慰み者になるだけだ。

 いかに魔法の武器が使えても、欲情に突き動かされたドモスに組み敷かれたではないか。

 だが、その説得の言葉にアンティは冷ややかな声で応じた。 

「確か、合言葉が要るんでしたわね、誰かさんの」

 斧を構えた相手を、ちらりと見やる。

 幼女もまた、鼻で笑って答えた。  

「合言葉は教えない。お前たちは、ここで死ぬ。それだけで充分だ」

 稲妻の斧を振りかざしてみせると、その頭を稲妻の蛇がせわしなく這い回った。

 ようやく身体の自由を取り戻したタイロンの身体が、すくみ上がる。

 気持ちの上では張り詰めていても、電撃の恐怖を身体が覚えているのだった。

 分からないのは、そこまでして自分たちを殺そうとする理由である。

 不審さと緊張で、尋ねる声もかすれた。

「どうして……」

 幼女は、固く結んだ口元を緩めた。

 白く輝く月の下で、凍てつくような微笑を浮かべる。

「さあな……だが、われが人間でないことは見当がつこう」

 今さらながら、タイロンは目を見開いた。

 空中から斧を取り出したところで気づいてもよかったことである。

 だが、息つく間もない死闘のせいで、考える暇もなかったのだった。

 アンティが、眦を吊り上げて叫んだ。

「……魔族!」

 斬りかかろうとしたところで、偃月刀が止まった。

 その重さのせいでなければ、かつて同族だと思っていた人々への想いがあったからだろう。

 進むも退くもならずに立ち止まったアンティだったが、その姿を眺めて不敵に笑ったものがある。

 ドモスだった。

 さっき落とした剣を拾うや、瞬く間にその場を離れる。

 それを見咎めたタイロンは、それを制した。

「やめろ! どこへ行く気だ!」

 幼女が怪訝そうに眉を寄せて見つめる傍らには、ドモスが立っている。

 小さな体をかばうように剣を構えると、堂々と言い放った。

「話は決まりだ。俺はこの子とここを出る」

 ちらりとタイロンに振り向くなり、アンティが命じる。

「斬りなさい! これは反逆です!」

 タイロンは、ゆっくりとかぶりを振った。

 もともと、ドモスと戦う気はない。

「何をしているの!」

 アンティは白い歯を向いたが、タイロンは動じることなく答えた。

「僕の武器、持ってっちゃったろ?」

 敢えて刃を交えようにも、偃月刀はアンティの手の中に在るのだった。

 気まずそうにうつむく姫君は見ないようにして、タイロンはドモスへと向き直った。

「ダメだ……考え直せ」

 その言葉が届いたとは、とても思えなかった。

 幼女に対する欲望からか純情からか、ドモスの目は燃えていた。

 魔王討伐の行き帰りでは聞いたこともなかった真剣な口調で、幼女を口説きにかかる。

「俺と行こう」

 だが、おそらく人生を懸けたであろう告白は、あっさりと肩透かしを食らった。

 幼女はドモスなど見向きもしないで、あっさりと突き放したのである。

「残念だが、ここを出る気はない。邪魔が入ったのでな」

「邪魔……?」

 フラれて混乱した頭では、それが何を意味するのか理解できないのも無理はない。

 だが、タイロンも幼女の言葉の意味を量りかねていた。

 飛んできた1本の矢は、確かに幼女にとっての危機でもある。

 だが、それがいったい、何の邪魔になるのか。

 アンティもまた、不審と憎しみを露わにして、可愛らしい顔をしかめながら問い返した。

「邪魔……」

 人間たちの悟りの鈍さに苛立ったのか、幼女は長柄の斧を横薙ぎに払った。

 偃月刀を抱えて身構えるアンティの鼻先を、稲妻の蛇が掠める。

 振り抜いた斧を王笏のように地面につくと、幼女は怒りを込めて宣言した。

「我の名はイスメ。魔族イスメーヌエールラーウェンス。この愚かな国は、この手で滅ぼす。それが、ただ1人残った魔族としての復讐なのだ」

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