第20話 ロリコン騎士の真の力

 幼女はきょとんとした顔で、ドモスをじっと見つめる。 

 その気になれば、斧の一撃で胴体を真っ二つにすることもできただろう。

 だが、その手が掴んだ長い柄は、だらりと下げられたなり、振るわれる気配もない。

 言葉を失っていたのはアンティも同じであった。

 さっきの鋭い叱咤を発した端正な口元も、いまはだらしなく、ぽかんと開けられたままである。

 恋い慕う魔王の形見がまだその手に残っていたならば、力を失ったその指から地面にすべりおちていたことだろう。

 タイロンはタイロンで、片膝をついたまま、がっくりとうなだれていた。

 力なく肩を落とすと、深い溜息をつく。

 丸められた背中の嘆きが、月明りの静かな闇の中に溶けて消えていくようだった。

 こうなるとは分かっていたのだが、と。

 手にした偃月刀は、それでも手放されることがない。

 それは、この沈黙がいつまでも続かないと察していたからだろう。

 幼女が武器を再び構えて、喚き散らす。

「黙れ黙れ黙れ!」

 若き騎士見習いの愛の言葉は、幼女には届かなかったようだった。

 その怒りが形をとったかのような稲妻をまとって、長柄の戦斧がドモスを襲う。

 痛手を負っていたはずのタイロンが跳ね上げた偃月刀が、それを迎え撃った。

 斧を受け流す刃から、火花が散る

「目を覚ませ、ドモス!」

 それから先は、言葉にならなかった。

 偃月刀を蛇のように這い上った稲妻が、タイロンの腕から全身へと絡みついたからである。

 とっさに武器を投げ出した地面を転がりながら、悲鳴と共に叫ぶ。

「逃げろ! 戦わないんなら……」

 麻痺していく身体から絞り出された声にも、ドモスは応じる様子がない。

 その目は相変わらず、恋を語ったときのまま、虚ろだった。

 アンティの声が再び、夜闇を切り裂く。

「何をしているの!」

 振り抜かれた斧が、横薙ぎに戻ってくる。

 今度こそ胴体が輪切りにされるかと思われた瞬間、魂の抜けたドモスの身体の前を銀光が走った。

 瞬きひとつしないで放たれた抜き打ちの剣が、斧の軌道を変える。

 だが、稲妻の蛇はドモスにも容赦はしなかった。

 その刃に巻き付くようにして、手元へと這い上ってくる。

「ドモス! 剣を……」

 タイロンが呻きと共に危機を戦友に告げたときには、もう剣は地面に放り出されていた。

 稲妻の蛇は行き場を失い、刃の剣の上をのたうち回る。

 電撃による麻痺の二の舞は防いだものの、ドモスにもう武器はなかった。

 だが、まだその目はうっとりと幼女を見つめている。

 もちろん、ドモスの想いが届くことはない。むしろ、相手の感情を逆撫でしただけだった。

「見くびりおって!」 

 全ての攻撃が恋の恍惚の中でかわされた幼女は、声を荒らげて斧をドモスの頭から打ち込む。

 放心したまま、その両腕が広げられた。

 まるで、幼女の手で自ら死を迎え入れようとするかのように。

 その身体は、鉈で割られる薪のように脳天から真っ二つにされるかと見えた。

 斧の頭を、稲妻の蛇が這いまわる。

 地面にうずくまるタイロンの叫びだけが、空しく闇の中を漂った。

「バカな……」

 その言葉をつぶやいた者は、もう1人いた。

 斧の一撃は紙一重でかわされていた。

 振り下ろされたその長い柄は、ドモスの両手で押さえ込まれている。

 その機を逃さず、アンティが命じた。

「奪いなさい! その斧を!」

 だが、ドモスは応じなかった。

 幼女がいかに怪力とはいえ、斧を凄まじい速さで持ち上げられたのは、そのせいである。

 タイロンを圧倒したその力で斧ごと持ち上げられていたら、あっさりと地面に叩きつけられていたことだろう。

 だが、地面に倒れたのはドモスではなかった。

「な……何をする!」

 がら空きになった胴体を不意に組み敷かれた幼女が、馬のりになったドモスを睨み据える。

 斧を打ち付けようにも、柄の長さが災いして自由には振るえない。

 壁の中の騎士団に先見の明があったといえるのは、まさにこの点であった。

 魔王討伐を名目に、この見習いを壁の外に追い出したことは、内側の治安に貢献したというわけである。

 王国の姫もまた、この成果を深くよみしたもうたのはいうまでもない。

「よくやりました、ドモス!」

 そう叫ぶなり、胸元の豊かなふくらみの中に手を差し入れる。

 揺れる玉のごときものはひとつ……ふたつ……。

 いや、三つめは、玉そのものだった。

 王国の姫、アンティフォーネルカディートが高々と差し上げた球体が、夜の闇の中に燦然たる光を放つ。

 その光に打たれたように、はっとしたドモスが辺りを見渡す。

 タイロンは、まだ立ち上がることもできずに呆然としたままである。

 幼女の手の中にある斧の頭を這いまわっていた稲妻の蛇は、その光の中で溶けるように姿を消していった。

 武器にかけられた魔法が、その効力を失ったのである。

 これこそが、かつて王宮の地下深くから盗み取られた「宝珠」であった。

 王国の秘宝を掲げたまま、アンティは幼女を地面に押し倒したドモスに、歩み寄ることもなく告げた。。

「いくら魔力を打ち消しても、斧そのものでこれを落とされては……」

 アンティが珍しくも姫君として下す褒め言葉に、騎士見習いは、両足の下にある幼女の身体にすくみ上がった。

 確かに乱暴なやり方であったが、アンティの力で「宝珠」を守り切ろうとすれば、他に方法はなかっただろう。

 王国の姫君は、いちばん安全な状況で、最後の切り札を使ったのである。

 だが、その手を使うのは少しばかり早すぎたようだった。

 幼女は、余裕たっぷりに嘲笑する。

「見くびられたものだな……」

 幼女にまたがりながら、ドモスはまだ何が何やら分からないという顔をしている。

 タイロンは、電撃で火傷を負った身体をかばいながら呼びかけた。

「離れろ……」

 だが、それは遅かった。

 斧が稲妻の蛇を失ったからといって、幼女に反撃するだけの力がないとは限らない。

 力がなかったとしても、それを補うだけの技がないとは言い切れなかった。

「見くびるなといったろう!」

 幼女が一声吼えると、「宝珠」の光に照らされたドモスの身体は高々と宙を舞った。

 落ちて行く先にいるのは、その光の源を掲げた姫がいる。

 ふらふらと立ち上がるタイロンだったが、とても駆け寄るまでには至らなかった。

「アンティ!」

 その声に応えたわけではなかっただろうが、ドモスの身体が無残に落下したとき、姫君の身体はもう、そこにはなかった。

 ただ、光り輝く「宝珠」が残されていたばかりである。

 目の前に転がったドモスの身体に歩み寄ったタイロンは、地面を照らす光の中に辺りを見渡した。

 一方で、その手はさっき偃月刀が落ちた辺りを探っている。

 だが、それはすでに別のところにあった。

 地面に広がった「宝珠」の光の中で立ち上がった小さな影に向かって、アンティの華奢な腕には不釣り合いな武器が振るわれる。

 もちろん、そんなものが通じる相手ではない。

「その度胸だけは褒めてやる」

 言うなり、幼女は稲妻をまとった戦斧を一振りした。

 アンティの頼りない一撃が幼女の細い身体を覆う鎧に届く前に、眩いばかりの閃光が辺りを真っ白に変える。

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