第19話 ロリコン騎士見習いの戦い
我に返ったのは、アンティだけではなかった。
魔法の炎が迫るほんの一瞬、タイロンと幼女の間に自ら飛び込んできた美少年がいる。
「やめろ、ドモス!」
呻きにも近い声を上げるタイロンは、まだ偃月刀の刃を幼女の斧の柄に押し当てていた。
それは、幼女の力が小柄な身体とは余りに不釣り合いなものであることを示している。
ドモスは駆け寄ってくるなり、両腕を大きく広げて2人を引き分けようとしていた。
アンティの魔剣が放った炎が、その背後に大きく広がる。
魔王との戦いを友にした仲間を守るために、タイロンが取るべき行動は1つしかなかった。
「伏せろ!」
木綿の服しか着ていないタイロンの身体は、あっと叫ぶ間もなく炎に巻かれた。
幼女を押し倒すようにして地面に伏せようとしたドモスは、1人で地面に転がっている。
「愚かな……」
幼女のつぶやきは、どちらに向けられたものかは分からない。
ただ、かわした身を再び翻して放った斧は、立ち尽くす火柱と化したタイロンめがけて襲いかかった。
土まみれの顔を上げたドモスが悲鳴を上げる。
「タイロン!」
だが、斧が火柱を真っ二つに叩き切ることはなかった。
一陣の風が巻き起こったかと思うと、燃え盛る炎は跡形もなく吹き払われていた。
ガックリと膝をつくタイロンの向こうでは、幼女を見据えるアンティがいた。
怒りに震えるその声が、低く罵る。
「嫌な子ね……ずるくて、しぶとくて」
幼女は鼻で笑うと、斧を構え直した。
「臣下の命を盾にするが一国の姫とは……呆れ果てて言葉もない」
アンティの眦が、正気とは思えないほどに吊り上がった。
真っ青な月の光に狂わされたかのように、金切り声を上げて地面を蹴る。
「あなたに……何が分かるっていうの!」
幼女に向かって振りかざしているのは、まだ青い炎を上げている短剣だった。
タイロンが荒い息をつきながら、ふらふらと立ち上がる。
「いけないよ、アンティ……」
間に割って入ろうとしたようだったが、魔剣の炎で焼かれた身体には、本人が思っているほどの力は残っていないようだった。
再び片膝をついたところで、その鼻先を、はしたなくも白い脚をさらしてアンティが駆け抜けていく。
対する幼女は、仕方なさそうにつぶやいた。
「こんなことは、したくないんだけど」
「お黙りなさい!」
狂気の叫びと共に、魔剣の放つ炎が一閃する。
だが、その青い光は、夜闇に澄んだ音が響き渡ったかと思うと、不意に消えた。
残されたのは、幼女の囁きだけだった。
「言わなかったか? 魔界のものを魔界の武器で傷つけられるわけがないと」
誰も答える者はなかった。
タイロンは力尽きて膝を突き、ドモスは月下の幼女をうっとりと眺めている。
だが、その静寂を切り裂いたものがあった。
「お父様あああああああ!」
それは、アンティの絶叫であった。
獣のごとく地面に四肢をついて号泣する傍らには、短剣の柄だけが無残に転がっている。
それは、亡き魔王の形見ともいうべき魔剣のなれの果てであった。
小さな身体に斧を担いだ幼女が、その姿と魔剣の残骸を冷ややかに見下ろす。
「お父様……?」
泣きじゃくるアンティは、半狂乱のまま答えた。
「ええ、そうよ、私の大切なお父様……私には、お父様しかいなかった!」
「お前が?」
あの老人の声の響きをどこかに残して、幼女はアンティを嘲笑った。
「血もつながっていない
涙にぬれた顔を月下に晒して、アンティは不敵に笑い返した。
「ええ、そうよ……血がつながっていたら、あんなに愛したりはしなかった!」
夜空に高々と、幼女の笑い声が響き渡る。
「その叶わぬ思いのはけ口に、私を使ったというわけか……!」
身も蓋もない嘲笑を覆い隠すかのように、アンティは泣き叫んだ。
「殺しなさい! この小娘を!」
だが、それに応じる者はない。
愛するものを2度も失った取り換え子の姫は、生まれ育った魔界からの帰還に付き従った2人の下僕を急き立てた。
「何をしてるの! タイロン! ドモス!」
返事はなかった。
タイロンは地面に崩れ落ちた姿勢のまま、声も出せずに荒い息をついている。
ドモスはというと、よろよろと立ち上がりはしたが、腰の剣に手を伸ばすこともしない。
とりあえず動けそうな方に、アンティは高慢に命令を下した。
「騎士見習いでしょう! 叙勲されたくないの!」
幼女は、その冷たい視線をドモスに向けた。
茫然とした顔に向かって、長い柄の斧を片手で突きつける。
「戦い取ってみるか? 騎士の身分と、お前の誇りとを」
その挑戦の言葉は、どちらかといえば楽しげですらあった。
だが、ドモスの顔には、挑発への怒りも、圧倒的な力を持つ幼女への恐怖の色もない。
ただ、ぼんやりと視線を泳がせるばかりである。
「どうした? 若いの」
気の抜けたようなしばしの沈黙があって、幼女は怪訝そうに眉を寄せた。
アンティもまた、くぐもった声に怒りを込めて本心を質す。
「どういうつもり? 私に従わないっていうの?」
「僕は……」
ようやくのことで口を開いたドモスは、当面の主である姫君のほうなど見向きもしなかった。
見つめているのは、ただ、斧を手にした幼女の姿である。
「な……何だ?」
調子を狂わされたのか、さっきまで勝者の余裕を見せていた幼女が目をしばたたかせた。
ドモスは剣を抜くこともなく、ゆっくりとその眼の前まで歩み寄る。
「どういうつもりだ? 戦うのか、戦わないのか?」
全くの無手勝流、ノーガードに戸惑ったのか、幼女はあたふたと後ずさる。
一歩ごとに一歩退くという具合なので、斧の間合いは全く変わることがない。
冷静さを取り戻して優勢に気づいたのか、アンティがドモスを急かした。
「何をしてるの! 斬りなさい!」
ドモスは答えなかった。ただ、首を横に振るばかりである。
やっとのことで口を利ける程度に力を回復したタイロンも、不安げに声を上げた。
「お前、まさか……」
それが図星だとでも言うかのように、立ち止まったドモスは胸を張った。
見下ろす姿勢ではあったが、真剣な眼で幼女を見つめる。
それは、若者が愛する娘に結婚を申し込むときのまなざしであった。
「僕は……君を殺したくない!」
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