第4話 傷心の姫君は出生を嘆く

「姫様……お取込み中たいへんもうしわけありませんが、大事なお話がございますので、こちらへお越し願えないでしょうか」

 見張り小屋に凍り付いたままのドモスは放っておいて、タイロンはアンティを外へ呼び出した。

 老人としっかり抱き合った腕を名残惜し気にほどいたアンティは、その身分にふさわしからぬふくれっ面で後に続いた。

「何よ……こういう雰囲気、邪魔すると魔界でも……」

「馬に蹴られて死ね、と言われるんだね」 

 深い深いため息をついたタイロンは、昼食を取るまではドモスがもたれていた椅子をアンティに勧めた。

「どうも……余計なお気遣い恐縮ですわ」

 その皮肉に更なる裏の意味があることは、タイロンでなくとも察しはついただろう。

 門番の老人との間に割り込むなと言っているのだ。

 椅子に掛けたアンティが斜めに揃えた脚は、無骨な衛兵の服を着ていても分かるほど美しい線を描いている。

 それを何となく眺めていたタイロンは、咳払いひとつして、姫君の周りをうろうろと歩きはじめた。

「あのさあ……」

 口ごもるところへ、アンティは次の言葉を促す。

「何?」

「凄く言いにくいんだけど……」

 それは、続く言葉をひねり出すための時間稼ぎに過ぎない。魔界から帰った王家の姫君は、それを見抜いたかのように追い討ちを掛けた。

「手短に」

 口の中で言葉を探していたタイロンは、とうとう業を煮やして、思ったことを一気にぶちまけていた。

「言ってること、自分でおかしいと思わない?」

 アンティは澄まして答えた。

「全然」

 腹の底で煮えたぎるものを抑えて、タイロンは説得の材料となることをひとつひとつ確認しにかかった。

「君は確か16歳だったよね?」

「女の年をわざわざ確認するなんて」

 話を混ぜっ返された苛立ちが、つい言葉になって出た。

「20歳より前はいいの!」

 根拠は、特にない。実はいえば仕事上、いろんな酒場に出入りして情報収集をすることもあった。そこで出会った派手な女たちは、誰もが10代だと言っていたような気がするだけである。

 だが、アンティがそこを突いてくることはなかった。 

「魔界じゃダメなの!」

「見かけじゃトシがわからないからじゃないの?」

 だんだん、口調がドモスに似てきた。それだけに、アンティの感情を逆撫でしても仕方がなかったが、返事は案外、素直だった。

「多分」

「だから魔界じゃ問題なかったかもしれない」

「多分」

 あてずっぽうの話に、現実を知っているはずの姫君が噛みついてくることはなかった。それでもますます慎重に言葉を選びながら、タイロンは説得を続けた。

「もしかして、見かけ全然違っても、年の差ってあんまり気にならなかったかもしれない」

「多分」

 何ということもなく、アンティは魔界で感じたことを率直に答えたようだった。憶測で喋っていることにツッコミが入らなければ、そのままひたすら押しまくるだけである。

「だから、もう16歳にもなったら」

 さっきから恋愛の話をしているのだが、アンティがこだわったのは別のところだった。

「年のこと言わないでって、魔界でもダメ」

 話を遮られても、タイロンはそのまま押し切って説得をつづけた。武術の世界になぞらえるなら、これは東方の言葉で言うらしい「押さば押せ、引かば押せ」にあたるだろう。

 ただし、恋愛に関して口にすることはない。さっきの様子を見れば分かることだが、認めるわけにはいかないことだった。

「確かにそういう気持ちになったとき、年が分かってるとお互い引いちゃうかもしれないけど」

「そうなのよ……でも」

 ちょうど正面へ歩いてきたタイロンに、アンティは身を乗り出した。

「でも?」

 タイロンが言いたかったのは、年の差の分かりにくい魔族の間では問題ないかもしれない、ということだった。

 しかし、アンティの反応は想像のはるか上を飛び過ぎていたのである。

「子供できれば問題なし、みたいな」

「子供って……子供? え?」

 しばしうろたえて赤面すると、アンティもまた頬を赤らめた。

「いやらし~! 何想像してるの?」

 完全に調子を狂わされたタイロンは、感情に任せて声を荒らげた。

「いや、どっちみち無理だろあの爺さんとは!」

「だから何想像してるのって、そういうんじゃないんだから!」

 アンティも甲高い声でごまかしにかかる。

 ここは、先に落ち着きを取り戻したほうが価値である。弱冠17歳ながら百戦錬磨の賞金稼ぎであるタイロンは、その辺りの勝負勘に長けていた。

「いやさあ……、立場とかそういうの、考えようよ」

「いや」

 理屈で説得しているとき、女の「イヤ」ほど厄介なものはない。この一言は、丁寧に積み重ねてきた議論の全てを無に帰する効果を持っている。

 ドモスなら爆発させているであろう怒りを抑え込んで、タイロンは腹の底から絞り出すように告げた。

「君が帰ってくれないと、その……」

「報酬がもらえないわけね? 失敗したんだから、諦めて」

 身も蓋もない事実で混ぜっ返されはしたが、ここは押し切るしかなかった。

「そういうのは置いといてさ、その……」

「何よ」

 つっけんどんな返事の裏に透けて見える感情は、もはや不機嫌の極みに達していた。これを突き抜けてアンティの心に届きそうな言葉は、とっさには出てこなかった。

 沈黙するしかなくなったタイロンの耳には、内壁の向こうで姫君の帰還を待つ人々のお祭り騒ぎの声が聞こえてくるばかりである。

 だが、戦いにおいてはどんな陳腐な技であっても、使わなければ勝ちはない。

 説得の上でも、同じことだった。

「新しい時代のために」

 言った瞬間、タイロン自身も顔をしかめた。ましてやアンティが呆れたのは、仕方のないことだった。

「何言ってるの?」

 それでも、引き下がるわけにはいかない。引き受けた仕事は最後まで責任を持ってやり遂げなければ、賞金稼ぎとしての信用にも関わる。

 もう、感情に任せてでも言い募るしかなかった。 

「いいかい、魔界は滅んだんだ! 魔王が死んで!」

「言わないで!」

 頭を抱えてうずくまったアンティに覆いかぶさるようにして、タイロンはまくし立てた。

「王国の危機はなくなった。チェンジリングも処刑される。もう何の心配もない! もう、荒野の外の誰かを恨んだり憎んだりしなくていい。王家を継ぐのに、何の不満があるっていうんだ!」

 おそらく、タイロンの父親が説得に当たっても同じことを言っただろう。

 思ってもみなかったことまで残らず吐き出した賞金稼ぎは、肩で荒い息をついている。

 やがて、持ち上げた膝の間に顔を埋めたアンティの声が冷ややかに漏れ出した。

「帰りたくない……宝珠が盗まれるまでチェンジリングに気が付かなかった王家になんか」

 それがまるで自分の落度であるかのように、タイロンはその場を離れた。

 拷問から解放されたかのように身体を起こしたアンティは、失意の賞金稼ぎの背中に向かって、皮肉っぽく付け加えた。

「道理で魔法を覚えられなかったわけね、私」

 救出されないままに魔族として過ごしたという意味に取れるが、その後には意味深なつぶやきが聞こえた。

「でも……」

 タイロンが振り向いたとき、椅子の上にはもう、傷心の姫君の姿はなかった。

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