第5話 歴戦の傭兵は見習い騎士に助けを求める

「頼む、ドモス!」

 さっき姫君が座っていた椅子に騎士見習いの美少年を座らせて、放浪の賞金稼ぎは深々と頭を下げた。

「何で俺が」

 ドモスが顔をしかめたのも無理はなかった。

「厄介な話だっていうことは分かってる」

 アンティを人間の王国の姫君として帰還させるのは容易ではない。

 まず、仕事の上の都合ではなく、あくまでも友人のひとりとして説得してみたが、これは見事に失敗した。

 結局、タイロンは自分の言い分を一方的に並べ立てただけだったのだ。

 ドモスはゆっくりと頷いた。

「完全にこじれたな」

 どちらかというと快活だった姫君の心は、開かれるどころか、逆に閉ざされてしまっていた。

 事情を告げた後にはもう弁解の言葉もないタイロンに、ドモスは皮肉ともねぎらいともつかない一言を口にした。

「恋愛の相場が違うらしいな、魔界では」

 そもそも、見かけの年齢差があまり意味を持たない魔界で育った姫君である。あまり認めたくない話だが、あの老いた門番に想いを寄せても不思議はなかった。

 不可解だった話の辻褄が合ったところで、タイロンはもう次の手を考えていた。 

「だから、やらなくちゃいけないことは2つあるんだ」

 まず、最大の目的はアンティを王宮へ連れ帰ることだ。

 だが、内壁の門を開けるための合言葉を、門番の老人は教えてくれない。

 壁の向こうから開けてもらう手もあるが、連絡の手段がない。王室の鷹も、手紙をこちらに運んでは来ても、向こうへは届けてくれないのだった。

 更に困ったことには、アンティ自身に帰るつもりがないのである。

 無理強いすれば、意地でも門番のいる小屋に居座るだろう。

「で、どっちが先だ?」

 腕組みをするドモスの問いに、タイロンは即答した。

「あの爺さんのほうだ」

 東方に、こんな言葉があるらしい。「戦場で将軍を射落としたかったら、まずその馬を射て止めよ」と。

 うんざりしたような答えが返ってくる。

「あの姫様が帰らんと言ったらおしまいだろ」

「だったら、アンティがフラれればいいじゃないか!」

「ああ……あの爺さんに」

 そこでようやく、ドモスにも察しがついたようだった。そこでタイロンは、改めて頭を下げた。

「あの爺さんに、アンティの説得を頼んでくれ!」

 だが、返事はすげないものだった。

「いや、それ無理だろ」

「何で!」

 椅子にかじりつかんばかりに詰め寄ったところでドモスにひらりとかわされ、タイロンは椅子と一緒にもんどりうって転がった。

 地面に横たわったまま、太陽の傾きかけた空を見上げて呻く。

「僕ができないことをするのも、ドモスの役目じゃなかったのか」

「俺ならできるっていうんだったら、最初からお前に頼まないだろ」

 どこかで聞いたやり取りだったが、そのとき反論できなかった分、タイロンも必死だった。

「いや、これは……」

 言葉に迷っていると、美少年の顔が、日の光を遮る影となって見下ろしてきた。

「まず、自分でやってみて、人にもの頼むのはそれからじゃないの?」

 物言いは冷淡だったが、筋道は通っている。

 だが、タイロンは前日の経験で、痛いほどよく分かっていた。

 偃月刀で魔王は倒せても、言葉で人を説得するのに自分は向いていないということに。

「でも、それは……」

 それ以上、口にしても言い訳にしかならなかった。

 アンティを説得できなかったのに、あの爺さんを説得できるわけがない。

 いわば、これは負け戦だった。今まで負け知らずだったタイロンが初めて経験した敗北だった。

 そして、東方ではこう言うらしい。「負け戦と野糞の現場からは速やかに立ち去れ」と。

 だが、虫干しされた厚手の服を物干し竿から下ろしたドモスは、血も涙も無い割に的を射た一言を残して、見張り小屋の中へ入っていった。

「手伝いはしてやっても、尻拭いはしてやらんぞ」

「待て!」

 倒れた椅子から起き上がったタイロンは、物干し竿の辺りまで駆け寄ると、両の手に1本ずつを取った。

 そのうち一方は、ドモスに向かって投げてやると、怪訝そうな顔でひったくられた。

「……何これ」

「勝負だよ……本当なら真剣勝負だけど、君を死なせるわけにもいかない」

 腰の偃月刀を外して地面に投げだしたタイロンの返事に、ドモスは天を仰いだ。

「ずるくない? その自分にだけ圧倒的に便利なルール」

 だが、挑戦に正面から応じようとしない相棒に、タイロンは真顔で呼びかけた。

「言っただろ、君がいなくちゃ魔王に勝てなかったって」

「そうだっけか」

 見習い騎士は眩いばかりの笑顔を見せて腰から細身の剣を外すと、長い物干し竿を両手で低く構えた。

「そんなら、受けてやるよ」

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