第3話 気位の高い王家の鷹が去った後に
知らせを運んできたのは、王宮が伝令に使う、例の鷹であった。遠くの戦場などへの急ぎの知らせがあるとき、専門の鷹使いたちによって放たれる鳥である。
もともと鷹は短距離を高速で飛ぶのに長けている。だが、中には集団で遠くへ渡るものがあり、王宮ではそうした鷹を慣らして、危険な場所へ行く者への連絡に使っていた。
遠くへ飛ばすなら鳩のほうがよさそうなものだが、途中で猛禽に食われてしまうおそれがある。それを避けるために数を増やせば、その分、通信文が漏れる危険を招く。
単独で飛ばすことができて、しかも王室の権威を示すという都合の上では、鷹のほうがよいようだった。
タイロンたちの探索行でも、行きと帰りに何度か舞い降りたことがある。通信文を脚に括れるのは鷹使いだけなので、手紙の返事はできなかった。
今度、鷹が運んできたのは、その最後となるであろう。
その知らせを手にして3人が駆け込んだ見張り小屋では、老人が1人、黙々と昼食を取っていた。
皺を額に刻んで険しい顔をした、小柄な老人である。名前は分からない。名乗ろうともしないのである。
その前で、冷めかかったスープを音も高らかに啜りながら、ドモスは自分だけで盛り上がっていた。
「来たよ来たよ来たよ! チェンジリング捕まったってさ!」
「何がそんなに嬉しいんですの?」
老人に寄り添うようにして席に着いたアンティは、抑揚のない声で口を挟んだ。
ざまを見ろとでもいうように、ドモスは慇懃無礼な口調で騒ぎ立てる。
「これで、後腐れなくご帰還あそばすことができるというわけでございます、姫様」
「それはあなたのご都合じゃございませんこと? 騎士見習い殿」
またしても、険悪な空気で部屋じゅうが張りつめた。さっきまではなだめ役に回っていたタイロンも、もはや何も言わない。まるで全てが自分の責任であるかのように縮こまっている。
そこで口を開いたのは、門番の老人だった。
「もし捕まらなかったら、あなたの身に危害が及んだかもしれませんな」
「私の?」
豊かな胸に手を当てて驚いてみせるアンティに、ドモスは美しい顔を露骨にしかめた。
それさっき俺言ったよなあ、と囁かれたタイロンは、曖昧に頷く。その目は、アンティのわざとらしい仕草を追い続けていた。
老人は、低く穏やかな声で姫君に確かめる。
「ワシがその……チェンジリングだったといたしましょう。もし、これまでそれと気づかれなかったとするなら、完璧に姫君を演じていたことになります。さらに……相手が魔族であるなら、姿かたちを変える魔術を知らぬとも限りません。それができるとしたら……姫君をどうすると思われますかな?」
アンティは、神妙な顔で老人の話に聞き入っていた。
まるで高名な学者のように落ち着いた語り口に、タイロンはおろかドモスまでもが居住まいを正す。この2人にしてみれば、老人の言わんとすることは、もう言葉にする必要もない。
だが、我が身について問われたアンティは、答えてみせなければならない立場にあった。
「私を……殺す?」
老人は静かに頷いた。
「今まではそれが心配で、内壁の門を開ける合言葉をお伝えすることができませんでした。しかし、危険が去った以上は、姫様のあるべき場所におわすのがよかろうと存じます」
よっしゃあ、と椅子から跳ね上がったのはドモスだったが、タイロンがふわりと立ち上がって押さえ込んだ。もちろん、アンティにへそを曲げさせないためである。
だが、アンティは落ち着いた声で、毅然として言い切った。
「どこに参りません……私は、私の居たい場所におります」
口を真一文字に結んだその顔を、老人は真剣な眼差しで横から見つめた。背中を真っ直ぐに伸ばしたその身体には生気が満ち溢れ、10年も20年も若返ったように見える。
やがて、すっくりと立ち上がったその姿は、まるで青年貴族のようであった。
「では、無理強いはいたしますまい」
差し伸べた手を、アンティは舞踏会でダンスの相手を申し込まれたかのような面持ちで静かに取った。
おいジジイ、と立ち上がったドモスをタイロンが止めることはなかった。むしろ、テーブルの向こうへ身体を乗り出しさえする。
「アンティ……じゃなくて、あの……姫様?」
「邪魔ですわ」
老人のエスコートで立ち上がるアンティの冷たい一言は、歴戦の勇士を凍りつかせた。
タイロンだけではない。
さっきまで横着な態度を取っていたドモスまでが、恐怖を顔に貼り付かせたまま、手足を奇妙な形に曲げて立ち尽くしていたのである。
こうして……しばしの間、見張り小屋の中は氷の沈黙に支配されたが、その雰囲気を解きほぐしたのは老人の温かい一言であった。
「あなたがご帰還を口になさらない限り、ワシは姫様をお守り申し上げます」
「嬉しい……」
アンティが涙声でつぶやいた次の瞬間、ドモスとタイロンの顎は、ほとんど同時に、まとめて垂直落下した。
ラブダ王家の姫は、老いた門番の腕のなかに、その豊かな胸を投げ出していた。
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