第2話 口の減らないお姫様
「お昼ご飯ができましたわ」
小屋から出てきたのは、衛兵の服を着た少女だった。年のころはタイロンやドモスと同じくらいである。亜麻色の長い髪が初夏の風になびいて煌くのに、2人の少年は息を呑んだ。
衛兵の服はそれほど分厚くはない。ただ、胸と背中にだけ鉄製の防具が当てられている。だが、そもそも男の体形を前提に作られているものが、年頃の少女の身体に合うはずもない。それほど大きくはない胸当てなどは、その用を成さないほどに押し上げられていた。
しばらく見とれていたタイロンと比べて、ドモスの反応は少し遅かった。
椅子から跳ね起きはしたが、わざわざ背筋を伸ばしてから、タイロンと並んで恭しくひざまずいたのである。
「これはこれは姫君、私どものような下々のものにお手ずから食事など、もったいのうございます」
「じゃあ、そこらの草でもお召し上がりになってくださいませんこと?」
慇懃無礼な騎士見習いを見下ろして皮肉たっぷりに言い放つと、アンティ姫はタイロンに声をかけた。
「お口に合うかわかりませんけど、どうぞ」
「ありがとうございます、姫様」
少女は面倒臭そうに苦笑した。
「アンティって呼んでくださいません? 父のところに戻るまで、私は何者でもないんですから」
そこで立ち上がったのは、ドモスだった。
「じゃあ、アンティ、昼飯食いながら話が……」
「身分を弁えなさい、ドモス」
いきなり叱りつけられて、見習い騎士は渋々としゃがみ込んだ
代わりに立ち上がったのは、タイロンである。
「僕も話があるんだ、アンティ」
「お昼ご飯が冷めてしまいますわ」
ぷいと背を向けて小屋へ戻ろうとするのを、タイロンが呼び止めた。
「あの爺さんを説き伏せてほしいんだ」
「いやです」
向き直ったアンティは、タイロンを見据えた。
「私は、王宮に戻るつもりはありません。無理強いするなら、その門から荒野へ出ていきます」
そういうこと言うかな、とぼやいたドモスは、姫君の鋭い眼差しに縮み上がった。
だが、タイロンは相手がいかに高貴な身分でも、その怒りに怖じるようなことはなかった。
「まあ、落ち着いてよ。いつまでも、こんな壁と壁の間にいたら、息が詰まっちゃうよ」
「それは、父のもとに帰っても同じことでしょうね」
アンティは冷たく言い返した。
「私は、あの魔界で幸せに暮らしていました。育ての親となった魔王が死んでも、自分のことは自分でできます。それを無理やりに連れ出したのは、あなた方ではありませんか」
それひでえ、とムキになるドモスを、顔をしかめたタイロンが目で制した。
「でもね、アンティ」
魔界から連れ帰る道中、タイロンやドモスは、アンティとお互いを名前だけで呼び合うようになっていた。
アンティは口の利き方こそ畏まっていたが、生まれの高貴さを表に出して、賞金稼ぎの傭兵と見習い騎士を遠ざけるようなことはしなかった。むしろ、昔からの友人同士であるかのように語り掛けたのである。最初は戸惑っていた2人も、いつしか当然のように気さくな身の上話を始めていた。
「僕だって、この広い世界でひとりぼっちだ。母さんの顔なんか、見たこともない。傭兵だった父さんを亡くしたのは5年前だ。一応、武術は鍛えられてたけど、こんな血なまぐさい仕事はしなくていいとは言われてた。でも、僕は父さんと同じ道を選んだ。どうしてだか分かるかい?」
「そこが不思議でしたわ」
答えになってねえ、というドモスのツッコミは、そのまま流された。騎士見習いは2人の足元で黙り込む。
その様子を見下ろしていたアンティは、やがて顔を上げると、賞金稼ぎの少年をまっすぐに見つめた。
「あなたの言葉は、どこか他の者たちとは違います。傭兵とは、もっと荒々しいものだと思っていましたが」
タイロンは、まったく身分違いの相手を正面から見つめ返した。
「父さんは、僕がどこへ出てもやっていけるように育ててくれた。自分の生き方が自分で選べるようにって。僕はそんな父さんみたいになりたかったから、同じ仕事を始めたんだ……君は、どうしたいの?」
「したいことができる立場ではありませんから」
不機嫌な一言に、イライラと立ち上がったのはドモスだった。
「仕方ねえだろ、そういうふうに生まれてきたんだから、俺たち」
「あなたと一緒にしないでくださいな」
タイロンに返す言葉のないアンティは、もう膝をつくことを求めはしなかった。ただ、ドモスから顔を背けたばかりである。
それをいいことに、騎士見習いは雲の上の相手に言いたいことを言った。
「変わらねえよ、何やらなくちゃいけないか決まってるってのは。アンティがこの国の女王様で、俺はその前に膝を突いて頭を下げる騎士だ。そういうのって、ほっぽり出せなくもないけど、その後始末は誰がつけるんだ?」
ドモスは、タイロンの顔をちらと見やった。
「こいつはな、最初から何も持っちゃいないんだよ。だから、魔族しか魔法を使えないこの世界で、武術だけを頼りに妖魔だの怪物だの倒すしかなかったんだよ。だから、王様から頼まれるくらいになれたんじゃねえか……アンティを助け出せって!」
「恩を着せる気はないよ、ドモス」
一見すると女の子同士の口論にも見えるところを、穏やかに抑えたのはタイロンだった。
帰りの道中は、いつもこんな具合だった。同じ年頃の3人はすぐに打ち解け合ったが、その分、アンティとドモスは事あるごとに旧知の仲のような口論をした。
その度に割って入ってなだめるのが、タイロンだったのである。
だが今度は、ムキになるアンティをおとなしくさせることはできなかった。
「早く帰ってのらりくらりしたいだけじゃありませんの? 私、帰りの道中であなたが自分から何かしたの、見たことがありません。食事ひとつ、まともに作れないじゃありませんか」
話が昼食に戻ってきたところで、鳥の甲高い鳴き声が天から降ってくるのが聞こえた。
タイロンが見上げた先には、雲一つない青空で、猛禽らしき鳥が1羽、悠々と旋回している。
アンティも、目を細めて空を見上げた。
「あれは……」
ドモスが口元を引き締めて答える。
「鷹だ……王宮の」
「あなたには聞いていません」
冷ややかに一瞥をくれた姫君を、少女のような顔立ちの騎士見習いが睨み返した。
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