彼と彼女4人のウォールディフェンスを中の連中は誰も知らない

兵藤晴佳

第1話 魔王は討伐したものの

「おい、黙って見てていいのか」

 振り向きもしないで尋ねたのは、ひとりの少年だった。そろそろ初夏を迎えようかという澄み切った青空の下である。高い壁のはるか上に登った太陽の下で2本の物干し竿に掛けたのは、つい数日前まで鎧の下に着ていた厚手の上下の服だ。

 木綿のシャツに下履き1枚という格好は、くつろいだ様子ではある。だが、少女のような背格好では、服の袖や裾から覗くつややかな肌は見た者の目を背けさせかねなかった。 

 だからというわけではないだろうが、その腰には細身の剣が吊ってある。

「誰もいいとは言ってないだろ」

 背を向けたまま返事をしたのは、もうひとりの少年である。だが、別段、照れた様子はない。

 彼自身もやはり上下1枚ずつの、似たような格好をしていた。こちらはというと、頑丈そうな石造りの小屋の壁に向かって間合いを測りながら、禍々しく反りを打った偃月刀を縦横に振り回している。

 その剣が届くはずもないのをいいことに、物干し竿の辺りからヤジが飛んだ。

「じゃあ何とかしろよ、稼げる賞金もふいになるぜ……放浪の傭兵タイロンさま?」

 城塞都市カナールの北にある外壁の門を入った次の日から、タイロンは夜明けから日没まで、こんなことばかり毎日のようにやっているのだった。

 それに皮肉を言ったのは、王室が内密の仕事を依頼するにあたって付けてきた騎士見習いだった。

 その相棒に、タイロンは深々と頷いてみせる。

「確かに、命がいくつあっても足りなかったけど」

 都市の南側にある丘陵地帯を越えると、肥沃な土地に恵まれた隣国がある。カナールの物資のほとんどは、こちら側から入ってきたものだ。

 だが、北に広がる荒野の向こうには、何十年、いや、何百年も昔から魔術で王国を脅かしてきた者……魔族たちが棲む「魔界」と呼ばれる急峻な山岳地帯がある。タイロンたちは何度ととなく繰り返されてきた魔王討伐を果たし、先ごろ盗み出された秘宝を奪回し、さらに幼い頃にさらわれた姫を連れ戻すという使命を果たして生還してきたのだった。

 行きと帰りの道中、王宮から壁を越えて飛んできた伝令鷹は、気位が異様に高い。任務遂行の知らせを脚に括って送り返すことはできなかったが、それでも帰ってくるまでの時間が短くなっていることで、城内でも察しはついていたことだろう。

 内壁の向こうからは、姫君が帰還するものと決めつけて湧き返る、街中のバカ騒ぎが聞こえてくる。

 だが、この騎士見習いの少年は城塞に到着した夜、内壁の門を外から開けられないのが分かってから、完全にやる気をなくしていた。

「気づけよ、中から開けろよバカどもが……何でお前も何とかしないんだよ」

 悪態をつく見習い騎士ををたしなめるように、遍歴の傭兵は問い返した。

「僕ができないことをするのも、ドモスの役目じゃなかったのか」

 ドモスと呼ばれた少年は、小屋の中から休憩用に持ち出されたと思しき古い木の椅子に、だらしなくもたれかかった。

 これほどに疲れる不毛な会話を何日も続けなければならなかったのには、訳がある。ドモスがぼやくのも無理からぬことではあった。

「くだらん仕掛け作るな魔族どもが」

 城塞都市の北門は、大昔に寝返ってきた魔族に作らせたものである。外壁と内壁に1つずつあり、それぞれに魔法がかかっている。外から入るときは、門番しか知らない合言葉を唱えなくてはならない。さらに、辞めた門番は現場を離れると合言葉を忘れてしまい、新しく役目に就いた門番は、門そのものから合言葉を告げられるのだという。

 外壁の門を出るときには、北門を守る老衛兵が、それを教えてくれた。

 ところが、帰ってきてみると、今度は内壁の門を通そうとしないのだった。しかも、その衛兵は、内壁と外壁の門の間に建てられた石造りの番小屋から出てこない。

 要は、この老人さえ説得すればいいのである。

「だいたい、何でもかんでも俺にもできるっていうんだったら、最初からお前に頼まないだろ」

 騎士見習いの悪態に少年は偃月刀を下ろした。

 小屋を見つめて、ため息交じりに言う。

「確かに、お城に呼ばれたのは僕だけどさ」

 タイロンは、今年で17歳になる。たいていの人間はそれほど長生きしないので、傭兵としては珍しくない年である。だが、多くの戦や要人護衛を経て、王室から内密の探索行を任されるほどの腕があることは、その道では広く認められていた。

 因みにドモスは、王の使者から紹介されるまで知らなかったらしい。

「俺んときは騎士見習いの宿舎だったぞ」

 タイロンは、夜中にそこで通された一室で、ドモスと初めて出会ったのだった。だが、既に受けていた密命を告げられるのは、この北門の外に出た後でなくてはならなかった。

 無言で見送った老衛兵が背後で門を閉じたのを確かめて、タイロンはようやく随行者と使命を共にすることができたのだった。

 目の前の闇夜に広がる荒野を抜けて、その彼方にある「魔界」の主……魔王のいる城にたどりつく。

 そこには、王宮の地下深くに隠されていた「宝珠」が、盗み出されていた。願って叶わぬことがなく、持ち主に絶大な権力を与える秘宝中の秘宝である。

 苦難の旅の末、それを共に持ち帰った戦友に、賞金稼ぎの傭兵は笑顔で振り向いた。

「いや、君がいなかったら、帰ってこられなかったよ」

 あらゆる魔法を無力化することまでもできる「宝珠」を奪い返せば、魔王もただの老人にすぎない。いかにタイロンとドモスが若いとはいえ、いや、若いからこそ、2人でかかれば容易に倒すことができたのである。

 だが、与えられた任務は秘宝の奪還だけではなかった。

 ドモスの不満は、再びもとの所へ戻ってくる。

「意味ないだろ、お姫様連れて帰んなくちゃ」

 その一言は、厳重に管理されていた「宝珠」がいとも簡単に盗み出された理由と深い関係がある。

 事件が発覚してから、それが誰の仕業であるか判明するまでには長い時間を要した。それも、捕らえた犯人を尋問して分かったわけではない。

 王宮のなかで最も疑われにくい人物のひとりが割り出されたとき、本人が姿をくらましたのである。

 国王の一人娘、アンティフォーネルカディート……通称アンティ。

 確たる物証があるわけではなかったが、辻褄の合う推論がひとつだけあった。

 それもまた、密命と共に告げられていた。

「まさか、チェンジリングだったとはね」

 ごく稀な例ではあるが、人間の赤子が魔族の子と取り換えられることがある。これが、チェンジリングだ。

 魔族が何のためにそんなことをするのかはよく分かっていない。だが、時折、魔界から帰ってきたという者が北門に現れて、助けを乞うことがある。その度に行われるのは、身元捜しと涙の再会だった。

「待ってもらえないかな、逃げた方が見つかるまで」

 ぼやくドモスに、タイロンは怪訝そうに尋ねる。

「どうして? 宝珠とアンティ姫を取り戻したら終わりだろう、僕たちの仕事は」

「お前の、な」

 椅子にもたれたドモスが眺めるのは、石造りの番小屋である。ここへやってきてからの数日、アンティ姫もまた小屋から出てこない。

 タイロンもまた、そちらへ目を遣った。

「姫様がどうかしたの?」

「その後のお守りが大変ってことさ……俺は騎士になるんだからな」

 身体を起こした見習い騎士は、真顔でタイロンを見つめた。

「お前はいいよ、ここを出ていけば、気楽な放浪の旅が待ってる。だけどな、逃げたチェンジリングがお姫様をまた狙わんとも限らんだろう」

「……また、入れ替わるってこと?」

 険しい顔つきになったタイロンに向かって肩をすくめると、ドモスは再び椅子に身体を投げ出した。

「身体を記憶ごと入れ替える魔術もあるっていうしな。しばらく護衛は増えるし、人が足りなくなりゃ、俺たち見習いもあっちっこっち、下働きに駆り出されるわけよ」

 不貞腐れるドモスをなだめるように、タイロンも口元を歪めてみせた。

「そうなったら、また僕を呼んでほしいな……力になるよ」

「直談判するんだな、王様のお使いに……姫様を帰せたらの話だけどな」

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