第34話 歴戦の傭兵は時間差で無双する

 だが、仕事をしくじった暗殺者のその命は長くは続かなかった。

 外壁の上で何かを弾くような音が聞こえたかと思うと、タイロンたちの頭上に風を切って降ってきたものがある。

「アンティ!」

 とっさに飛びついて、姫君を地面に押し転がす。

 当然、アンティは抵抗した。

「何するんですの!」

 平手打ちをくらっても、タイロンは動じた様子もない。

 ただ、くぐもった声を漏らしたばかりである。

「死んだよ……あの男」

 遠く南の国からやってきた暗殺者の心臓の辺りには、矢が真っすぐ夜空を指して突き立っている。

 それはアンティに告げておかなければならなかった。

「そう……」

 アンティは、動じた様子もない。

 それは、人の死を目にしていないからだ。

 今までは、遠くにいる敵を遠くから射落としたり、目につかない暗闇の中や遠い場所で斬っていればよかった。

 敵は壁の向こうに落ちていくか、斬られても仲間に救出されていくかで、その死体はアンティに見られないで済んでいた。

だが、もう、そうはいかない。

「動くと、死ぬよ。アンティも」

 発射に手間のかかる火炎弾も、それに紛れて送り込まれた暗殺者も、壁の守り手を屈服させることはできなかった。

 だから、この次は本気で襲ってくる。

 何十人、いや、何百人入るか分からない壁の向こうの敵が、総がかりで。

「そうね」

 まるで他人事のように、アンティは答えた。

 タイロンは、苛立ちを抑えながら説いて聞かせた。

「君の命がかかってるんだ……だから、無茶なことはしないでくれ。代わりに僕が戦うから」

 だが、アンティは決して、生き死にの問題に無頓着なわけではなかった。

 感情のない声で、言葉を返す。

「恩を着せられる覚えはありませんわ……私の魔王を殺した男に」

 タイロンは、黙り込むしかなかった。

 確かに、アンティの目の前で魔王を殺したのは事実だ。

 だが、それ以上に、自らの言葉を失わせたことがある。

 いちばん肝心なことに、気づいていなかったのだ。

 なぜ、目の前に死が迫っているのに、アンティは気にもしていないような顔ができるのか。

 魔王の最期を見届けたとき、心はすでに凍りついていたのだ。   

 ようやくのことでタイロンが告げられたのは、このひと言だけだった。

「憎んでくれていいんだ。でも……命だけは粗末にしてほしくない」

 その目は、アンティを見てはいない。 

 月明かりの向こうの外壁を、じっと見つめている。

 そこには、もう見慣れた光景があった。

 何十人という敵兵たちが、ロープにつかまって降りてきていたのだ。

 さっきはドモスとイスメがいたが、今ではタイロンしか戦える者はいない。

 駆け出そうとしたとき、後ろから凛とした声でアンティが呼び止めた。 

「私も……」

 そこには、レイピアを手に真剣な目をして立つ、清らかな戦乙女の姿があった。

 タイロンは一瞬だけ見とれたが、それをなかったことにするかのように叫んだ。

「動くなって言っただろう!」

 雷にでも打たれたかのように、アンティはその場に立ちすくんだ。

 自ら危険な戦いに赴こうとしていた清楚な姫君は、元のわがままで気位だけが高い娘に戻っていた。

 むしろ、それで気が楽になって、ようやく外壁のほうへ目を向けることができた。

 全力疾走すれば、最初のひとりが着地する直前に、相手を仕留めることができる。

 アンティの恨みがましい声が、後ろへと遠ざかっていく。

「じゃあ、私、あなたに何があっても動きませんわ!」

 意地になってくれれば、それだけ好都合だった。


 壁伝いに下りてくる敵兵は、当然のことながらロープを両手で掴んでいる。 

 顔には黒い覆面をしているが、どんな表情をしているかは空気で分かる。

 迫るタイロンに気付いた恐怖のあまり、顔どころか全身が凍り付いているはずだ。

 ひと声だけ、鋭く放って偃月刀を横に薙ぐ。

「使えやしないだろう、武器も盾も!」

 そんな相手を、片端から斬り捨てるなど造作もないことだ。

 壁を降りる速さなど、そうそう調節の利くものではない。

 降りるのを止めることはできても、速めることは難しかろう。

 誰を先に斬るかさえ決めてしまえば、あとは順番通り偃月刀を振るうだけだった。 

 だが、いかんせん、相手の数が多すぎる。

「あと……何人だ?」

 少なくとも、両手の指では数えきれまいと思われた。

 それだけの人数に同時に降りてこられたら、遠くの相手にまでは手が回らなくなるのが道理である。

「斬っても斬っても……」

 それでも、手近な相手なら何とか足の及ぶ限り、偃月刀の届くそばから倒していくことができた。

 だが、その隙に、遠くの敵兵は地面へと迫る。

 最初のひとりに着地されたら、もうおしまいだった。

 足と手が自由になった相手とタイロンが戦っているうちに、敵兵は次から次へと壁を越えてくるだろう。

 しかも、下りてくる者を斬れば斬るほど、その間合いは遠くなっていく。

「逃がすものか……ひとりも……」

 タイロンも、かなり無理をして走ってはいた。その分、息が切れてくるのも無理はない。

 とうとう、目の前のひとりがとうとう、地面に足をついた。

 ロープを離すと、背中に背負った剣の柄に手をかける。

「遅い!」

 偃月刀を横薙ぎにすると、侵入者は喉笛をひゅうと鳴らして倒れた。

 だが、その間に、別のひとりが既に身構えていた。

 互いに振り下ろされる剣と偃月刀が、火花を散らす。

 剣のほうが高々と舞って、黒ずくめの身体が音を立てて地面に伏した。

 それでもさらに、地面に降り立つ侵入者は後を絶たない。

 さっきまでは待ち構えて斬る立場だったタイロンが、今度は時間に追いまくられる羽目になっていた。

「この! この! この!」

 焦りで、太刀筋もどんどん荒くなっていく。

 力任せに叩きつけられる偃月刀は相手の剣を叩き落とし、吹き飛ばし、手首ごと斬り落とした。

 アンティに近づけてはならない。

 侵入者も、相手を情け容赦なく斬り殺す傭兵タイロンも。

 それだけに、見落としていることがあった。

 侵入者のひとりが、外門への扉へと走ったのだ。

「開けさせるか!」

 余裕はまだあった。

 外へ出るのに合言葉はいらない。

 だが、重く巨大な閂が内側からかけられた門が、ひとりでそうそう開けられるものではない。

 苦しい息の中、タイロンは門にとりついた敵兵を1人斬り伏せる。

 その脇から、今度は2人がとりついた。

 左右に薙ぎ払って倒したところで、今度は4人がかりで閂を持ち上げにかかる。

 そのひとりに後ろから斬りかかったところで、背後に殺気が走った。

 振り向くと、黒ずくめの男が大上段に剣をふりかぶっている。

 さしものタイロンでも、偃月刀で受け止めるのは間に合うまいと思われた。

 ところが、その頭上に剣が降ってくることはなかった。

 地面で金属が落ちる甲高い音が聞こえたかと思うと、目の前の相手は顔面から倒れた。

 その後ろから、叱咤の声が飛ぶ。

「何してる、タイロン!」

 傾いた月の光が照らしだしたのは、少女かと見まがうばかりの美少年である。

 ドモスだった。

 暗殺者の毒が、身体から抜けたのだ。

 その手には、本来の得物ではない長剣が握られていた。

 タイロンは背後の敵に斬りつけるなり、叫んだ。

「ドモス! 後ろ頼む!」

「任せろ!」

 騎士見習いだった少年は頼もしい返事をしたが、慣れない武器では持ち前の技が発揮できない。

 神速の剣なら難なく突き伏せられるはずの相手に、苦戦を強いられることになった。

 閂にとりつく兵士が、ひとり、またひとりと増えていく。

 それでも、タイロンは残った力を振り絞って偃月刀を薙ぎ払いつづけた。

「離れろ! 離れろ! ……アンティから!」

 それが聞こえたのか、背後で敵と鍔迫り合いをしているらしいドモスが、呻き声で答えた。 

「心配いらねえ! イスメが面倒見てる!」

 ドモスの喉に口づけて毒を吸い出した後、アンティを守りに行ったのだろう。

 すると、あの稲妻の斧は期待できない。

 閂にとりついている連中を吹き飛ばすには、いちばん確実な武器なのだが……。

 そこで、タイロンは戦略を切り替えて叫んだ。

「まとめて来るぞ、ドモス!」

 目の前で閂を持ち上げていた黒ずくめの男を斬りはしたが、もう遅かった。

 横に渡された重く大きな棒は、すさまじい音を立てて落ちた。

 城塞都市カナールの外門が、荒野に向けて開かれていく。

 その隙間から入り込んできた胸甲だけの軽武装の男を、タイロンは真っ向からの不意打ちで斬り倒した。

 続いて、戦闘用の大槌を手に駆け込んできた2人を、傍らに立ったドモスと共に一撃で仕留める。

 だが、それが限界だった。

 タイロンが呻く。

「畜生、間に合わない……」

 新入者たちによって少しずつ大きく開かれていく門扉の間から、武装の厚い敵兵が、次々に雪崩れ込んでくる。

 それなのに、タイロンの脚はもう、身体を支えてはいられなかった。

 がっくりと膝を突きそうになるのを、横からドモスが支える。

「立て! お前が立たないと、アンティも俺も死ぬんだぞ!」

 分かりきったことだったが、どうすることもできない。

 しかし、そこで響き渡った声があった。

「その場に伏せよ! 死にとうなかったら!」

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