第35話 壁を越えた連中が城塞都市へと迫る
とっさに地面に転がったタイロンとドモスの頭上で、凄まじい閃光が荒れ狂った。
侵入者たちが、断末魔の絶叫を上げる。
少年ふたりが顔を上げると、そこには地面の黒ずみからたちのぼる煙と、それを見つめて呆然と立ち尽くす侵入者の群れがいた。
沈黙の中でまず声を上げたのは、ドモスだった。
「イスメ!」
タイロンが振り向くと、そこには薄い鎧をまとった幼い少女が、長柄の斧を片手に佇んでいた。
もう片方の手に持ったレイピアをドモスに放ってよこすや、叱咤の声を飛ばす。
「何をしておるか! 突っ立っておるデクノボウどもをその剣で始末せい!」
立ち上がったドモスのレイピアが閃くと、たちまちのうちに数人が絶命して倒れた。
今度は、タイロンが叱り飛ばされる。
「お前しかおらんではないか、門を閉められるのは!」
そこでイスメが斧をひと振りすると、門から入ってきた敵兵がまとめて吹き飛んだ。
門の外では、たじろぐ敵兵の群れが、こちらの様子をうかがっている。
イスメの雷撃に恐れをなしたようだった。
ふらふらと立ち上がったタイロンは、その前に立ちはだかった。
その様子がよほど恐ろしかったのか、敵兵たちは一斉に後退する。
タイロンは残りの力を振り絞って、雄叫びと共に両手で門扉を引っ掴んだ。
「おおおおおおお!」
門が閉まったところで、仰向けに倒れる。
眺める先に、もう月はなかった。
夜の青が少しばかり薄らいで、星の光もよく見えない。
夜明けが近づいているのだ。
タイロンは身体を起こすと、落ちた閂を掴んだ。
だが、疲れ切った身体では、持ち上がらない。
そこで、すぐ隣にしゃがみ込んだ者がいた。
「世話が焼けますわね……」
アンティだった。
タイロンは、かすれた声で罵る。
「聞こえなかったのか、動くなって……!」
戻って来たのは、口答えのひと言だった。
「あなたに命令されるいわれはありません。王国の姫になる気はありませんが、あなたのしもべになった覚えもありませんわ」
そう言いながら掴んだ閂は、少女の細腕では重すぎた。
タイロンは、なおも咎める。
「危ないだろ、まだ敵兵が……」
そこでアンティとは反対側でタイロンの傍らに膝をついた者がいた。
「もういねえよ。俺が片づけた」
タイロンとアンティの手を借りて、3人がかりで閂を持ち上げようとするが、まだ持ち上がらない。
やはり、ひとりが疲れ切っていては、力が足りないのだ。
そこで、斧を振り捨てたイスメが閂の端に着いた。
「持ち上げよ!」
その合図で、横一文字の重い棒は、ようやく動いた。
閉ざされた扉が、再び封じられる。
何度目かの静寂と共に、内壁の向こうからの嬌声が、また聞こえてきた。
4人はその場にへたりこんで、一斉にため息をついた。
しばしの沈黙の後、最初に口を開いたのはドモスだった。
「これで夜が明ければ、お城から鷹も飛んでくる。姫様を迎えに来いと手紙を返せば、万事解決ってわけだ」
だが、アンティは不機嫌に言い返す。
「帰るつもりはありませんわ。そう言ったはずですが、お忘れですの?」
そこでなぜか、仰向けに倒れたままのタイロンを見やる。
もちろん、持てる力を全て使い果たした歴戦の傭兵は、返事もできない。
代わりに口を開いたのは、イスメだった。
「これで諦めたと思うか? あの連中」
ドモスが怪訝そうに首を傾げた。
「逃げたじゃねえか、タイロンにびびって」
騎士見習いを冷ややかに見つめた魔界の娘は、嘲笑と共に答えた。
「甘いのう……見抜かれてしもうたのじゃ、こちらの人数と戦力を」
ぐるりと3人を見渡したイスメは、傍らの斧を手に取った。
さすがのアンティも、口答えもできずに息を呑む。
「4人しかいないと分かれば、壁を越えてくるだけで充分……」
ドモスが、夜の色が次第に薄らいでいく天を仰いだ。
「タイロンの読んだ通りか……どえらいハッタリかましたもんだな、俺たちも」
イスメは頷くと、苦笑した。
「それは無駄ではなかった。連中も痛い目を見たのだ。こちらから手を出さなければ、わざわざ勝ち戦で命を落とそうなどとは思うまい。だが、もし……」
その言葉を遮ったのは、アンティだった。
「向こうが何をしてきても、自分の身は自分で守りますわ」
すると、ドモスが肩をすくめて皮肉に笑った。
「長続きはせんだろうよ。そのときは……」
そこで見やったのはイスメの斧だったが、アンティはその言葉の先も阻んだ。
「あんな連中の辱めは受けません」
豊かな胸元から取り出したのは、あの青い炎を上げる魔王の短剣である。
ドモスは息を呑んだが、イスメは鼻で笑ってそっぽを向く。
そこでようやく、タイロンが微かな声を上げた。
「ダメだ……誰の力を借りてもいい、少しでも生き延びろ」
そのときだった。
タイロンたちの頭上で、外壁の揺れる音がした。
真っ先に軽口を叩いたのは、ドモスである。
「何だあ? この壁が陥ちねえもんだから、遂にぶっ壊そうってか?」
タイロンは、大真面目に答える。
「雲梯……壁を越えるハシゴがかかったんだろう……もうすぐ、総攻撃をかけてくるはずだ」
アンティが魔王の短剣を手に、身構える。
それを見たイスメが、長柄の斧を引き寄せた。
空いた手を、アンティの前にかざす。
「戦うにせよ、命を絶つにせよ、魔王はそんなことのためにその短剣を授けたのではあるまい……案ずるな、妾が守ってやる」
最後にイスメが口にしたひと言に、アンティは目を怒らせて言い返した。
「襲われたら、相手を遠ざける……父の残した言葉に従っただけです」
今度はイスメが、顔をひきつらせた。
「父……?」
死ぬか生きるかの瀬戸際で仲間割れを始めそうな少女2人を、タイロンが止めた。
「声を立てるな……連中は今、城内へ攻め込むので頭がいっぱいなはずだ。それより……僕に考えがある」
一同が、タイロンの囁きに耳を傾ける。
再び沈黙が辺りを支配したかと思われたときに、壁の上で物音がした。
ドモスが、タイロンの話を遮って尋ねる。
「あれは……」
かすれ声で、答えが返ってきた。
「雲梯を、もうひとつ下ろしたんだ……こっちへ……。もうすぐだ、もうすぐ反撃の時がくる」
そこで、タイロンは口を閉ざした。
ドモスとイスメは武器を手に、アンティは宝珠と短剣を隠した胸元を手で覆う。
月はもう、壁の向こうに沈んで見えない。
夜明けを待つ、朝とも夜ともつかない光がぼんやりと辺りを包む中、鎧に身を固めた兵士たちがハシゴ伝いに下りてきた。
中を守るのが4人だけと知って、もう黒ずくめの潜入者も暗殺者も送り込む必要がなくなったのだ。
その4人は息をひそめていたが、彼らが守ってきた壁の影が沈む月の光で長く伸びて、その姿を隠していた。
内壁の向こうからは、夜通し騒ぎ続けるつもりらしい街の人々の歓声が聞こえてくる。
夜が明けるぞ
姫君のお帰り
朝日と共に
栄えよこの国
壁を越えてきた兵士たちは顔を見合わせる、
だが、それも壁を守ってきた4人の勇者たちの存在をくらますには好都合だった。
やがて、兵士たちは隊列を組んで外壁からハシゴを外し、内壁へと迫った。
イスメが囁く。
「門番を探して、合言葉を聞きだす気はないらしい。有無を言わさず壁を越えようというのじゃろう」
タイロンがつぶやいた。
「まずいな……あのハシゴを焼き払ってくれ」
ドモスとアンティが呆然として、ハシゴとタイロンを見比べる。
イスメだけが、にやりと笑った。
「そんなことをせずともよいが……そういうことか。おぬしも善人よのう」
謎めいた言葉を口にすると、長柄の斧を手に、せっかく姿を隠してくれた外壁の影から駆け出した。
長いハシゴは、すでに内壁にかけられている。
何人かの兵士が、もう登りはじめていた。
タイロンが、ドモスとアンティに囁いた。
「今だ……閂を外してくれ」
きょとんとする2人だったが、それぞれ何か思い当たることがあったのか、すぐに閂に取りついた。
同時に、イスメの斧から閃光が放たれる。
稲妻の蛇たちが夜明けの薄闇の中を疾走し、兵士たちの乗ったハシゴを焼き払った。
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