第12話 風呂を焚くのに一日かかるとは

 ところが、風呂を沸かすのは半日がかりの仕事となった。

 まず、風呂釜が必要である。

 これは小屋の裏の倉庫にしまい込まれていたのを、2人して運び出した。

 水は小屋の裏の井戸から汲めばいい。

 ところが、火を焚く方法が分からない。

 倉庫の中をひっくり返して探してみると、重い石の板と、これまた鉄のかまどが見つかった。

 あれやこれやと相談しながら、足りない部品を倉庫の中から探しては風呂そのものを組み立て直し、ようやく完成したときにはもう昼飯時になっていた。

 戻ってきた老人に、アンティは嬉々として話しかける。

「いかがでした?」

「特に変わったこともない」

 老人は不愛想に答えて、姫の作ったスープを啜る。

「そこの若いのがサボったんでな」

 アンティは大げさに身体をすくめた。姫君らしくもなく、歯を向いてドモスを睨みつける。

 なんだよ、と睨み返すのには知らん顔して、老人に対しては居住まいを正してみせた。

「ごめんなさい、叱っときます……お昼からは?」

「城壁を反対回りに」

 老人の返事に、立ち上がったアンティはドモスに命じた。

「行きなさい、ドモス」

「何で俺ばっかり」

 ブスッとする騎士見習いの代わりに、放浪の傭兵が仕事を買って出た。

「僕が行くよ……ドモスは薪割ってて」

 そこでアンティが苛立たし気に声を上げた。

「まだ終わってなかったんですの?」

 ドモスが負けじと声を張り上げた。

「じゃあ、自分で組み立ててみろよあの風呂!」

 まあまあ、と老人が割って入る。

「私はタイロンと参りましょう。姫様はそう……そのお風呂を使ってみてはいただけませんか? 男がいないうちに」

 そう言うなり、ドアを出ていこうとする。だが、タイロンは椅子から動かなかった。

 老人は不愉快そうに眉根を寄せた。

「どうした? 行くぞ」

 でも、とタイロンはドモスとアンティの顔を見る。

 アンティも、顔を赤らめて身体をすくめた。

 その目はやはり、ドモスを見ている。

「ここにも、男が……」

「俺は姫様がどんな格好しても興味ねえ……心配なら、薪ぐらい目隠してくべてやるぜ」

 ドモスが事もなげに言ってのけた。

 老人も頷く。

「その若いのなら気にせずともよろしいでしょう」

 しぶしぶながらも納得したアンティを後に、老人はタイロンを促して小屋を出た。

 小屋を出るなり、老人はタイロンに告げた。

「案ずることはない、あの若いの、目上の者を敬うということを知らんが、心にもないことは言わん男だ」

「知ってます。生き死にを共にしたんですから。帰りの道中も、何だか姫君とも打ち解け合って……本当は、仲がいいんです」

 老人は苦笑した。

「分かっておるよ」

 いつの前にか手にしていた斧をかついで、老人は歩きだす。タイロンも、持って出た偃月刀を腰に差して後に続いた。

 城内のお祭り騒ぎは、相変わらず止む様子がない。

 ため息混じりのつぶやきがきこえた。

「あの姫君が帰った次の日には、治まっておろう……何事もなかったかのようにな」

「そういうものでしょうか」

 老人は、きっぱり言い切った。

「そういうものだ……人間など」

「確かにそうかもしれません……でも」

 幾つのもの戦場から生還してきたタイロンは言い切った。

「それが人間の強さです」

「……そうかねえ」

 老人は、半信半疑の様子である。だが、タイロンの言葉には、姫君の前とはうって変わって淀みがなかった。

「街や村が戦で荒れ果てても、次の日には立ち上がっているのが人間です。それこそ、何事もなかったように。目の前が真っ暗闇になったときこそ、人は僅かな光に希望が持てるんです」

 じっと聞いていた老人は尋ねた。

「魔族は……どうだった? 暗い岩山の奥に棲んでいるのだろう?」

 タイロンは、ちょっと考えてから答えた。

「武装した相手と戦っただけなので、よく分かりません。ただ……」

「ただ? どうだった?」

 そこで急に口ごもったのを、老人は急きたてた。タイロンは、言葉を選び選び答えた。

「どう言ったらいいのか分かりません。見た感じ……普通でした。格好も、話している言葉も僕たちと同じで、そう……人間の戦場で見たのと、何も変わりませんでした。それに、もう……」

 そこで、老人の不機嫌な声が話を遮った。

「もういい。言わんでいい」

 だが、タイロンはきっぱりとした口調で言葉を継いだ。

「魔王は、いません。僕とドモスで倒しました。魔族たちも逃げてしまいました。だからもう魔界はありません」

 言い切るにしても、その響きはいささか強すぎた。目を閉じて聞いていた老人は、一言だけ尋ねた。

「何を話した? 魔王は……」

 すこし考えてから、タイロンは答えた。

「宝珠を取り返したとき、死ぬ間際に言いました。我々は草花の種だ、と」

「そうか……何も願わなかったのか、宝珠に」

 それだけ言うと老人は胸を張り、高い壁の間を大股に歩きはじめた。タイロンは急ぎ足に後を追う。

「どうして、魔族のことなんかを?」

「ワシもあの若いのと同じく、王家に仕える者のひとりよ。戦う相手がどんな連中で、どうなったかは知りたくもなろう。それよりも……」

 いきなり立ち止まった老人は、振り向くなり言った。

「魔族のもとで育ったあの姫君を、お前はどうしてやりたい?」

「どうするもこうするも……アンティ次第なんでしょう?

 不意を突かれてうろたえたタイロンだったが、どうにか老人の言葉を逆手に取ってみせる。

 だが、老人は平然としたものだった。

「その姫君をどうしたいかは、お前が決めることだ」

 言葉を失ったタイロンに背を向ける。

「城内へ返すも良し、門を出て共に荒野をさすらうも良し」

 一言だけ残して、再び悠々と歩きだした。

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