第13話 姫とお風呂とひと悶着

 日が暮れる前に見張り小屋に戻ると、その裏からドモスがボロ布を片手に現れた。

「あ、ちょっと外で待ってろ」

「疲れてんだよ」

 妙な威圧感のある老人に半日ついて歩いた若い傭兵は、騎士見習いが止めるのも聞かずに小屋のドアを開ける。

 その瞬間、タイロンの眼前に包丁が1本飛んできた。

「誰だ!」

 偃月刀を抜き放ったところで、老人がその手を押さえた。

「慌てるでない」

 もう一方の掌には、包丁の刃が親指で挟み取られていた。それを投げた本人は、身体に巻いたシーツの前を掻き寄せるや、寝室のドアの向こうに消えた。

「ごめんなさい……あの」

 アンティの声だけが聞こえる部屋の中に老人は悠々と入り込んで、夕食の支度を引き継いだ。

 ただ立ち尽くすだけのタイロンは、背中をどやしつけた相手を低い声で罵った。

「先に言えよ、ああいう格好だって」

「聞かなかったのお前だろ」

 そう言うなり、ドモスはタイロンを小屋の外に引っ張り出した。

 手に持ったボロ布を、ぐいと突きつける。

「見てないから安心しろ」

 アンティの使った風呂のかまどに薪をくべながら、自分で言ったことはきちんと守って目隠しをしていたようだった。

「俺が気にしなくても、姫様はそうじゃないからな」

 そう言いながら顎をしゃくった先には、アンティが着ていた衛兵の服を掛けた物干し台がある。

「乾くまでずっと、寝室のベッドの中さ。湯冷めしないようにって」

 呆然と佇んでいるタイロンの頭を叩いたドモスは、その手を引いて洗濯ものを取りに向かった。衛兵の服を手渡すと、ひそひそと囁く。

「姫様には、もういっぺん小屋の外へ出てもらわなくちゃならん」

「何で?」 

 怪訝そうに眉を寄せるタイロンに、ドモスはさらに声を低めて告げた。

「あのジジイを始末する」

 少女のような要望には似合わぬ凶悪な提案に、タイロンは口を開けたまま後ずさった。

 ドモスはその手を捉えて、抱きしめるように引き寄せた。

「ジジイが死ねば、姫様がここにいる理由はなくなる。城からの迎えに連れて帰ってもらって、俺たちはその後についていけばいい」

「王様には……どう説明するの?

 ようやく言葉を発したタイロンに、恐ろしい言葉が平然と返ってくる。

「熱い湯で心臓が止まったとでも言うさ」

「アンティの恨みを買うよ……王宮に戻ったら、絶対にお前を殺しにかかる」

 タイロンの言葉は説得というよりは恫喝だったが、ドモスには効かななった。

「そんときはそんとき! このまま行けば、王様の命令に背いたことになるんだよ!」

 ドモスの頭には、完全に血が上っていた。

 損得勘定を働かせる余裕もなくなったドモスに、タイロンは別の理屈を持ち出した。

「あの爺さんは、強いよ。返り討ちに遭うかもしれない」

「まさか……」

 笑い飛ばそうとしたドモスは、タイロンの真剣な顔を見て息を呑んだ。

「マジ……」

「冗談抜きで」

 魔王との戦いぶりを知っているドモスは沈黙した。

 だが、そこで小屋のほうから声を掛けたものがある。

「姫様には、服がまだなら先に夕食を取ってもらう。ワシは風呂に入るから、湯を沸かしてくれ」

 食事の支度を終えた老人だった。

 そこで、ドモスはハタと手を打った。

「風呂に入ってるときに殺せばいい」

「待て! そんな卑怯な真似は……」

 叫びかかったタイロンの口元を押さえて、ドモスは微かな声で言った。

「それは俺と、あのジジイの問題だ」

 そこでタイロンは、大きな声で返事をした。

「服はあるんで、夕食はみんなで取りましょう」

 ドモスに渡された衛兵の服を持って、タイロンは小屋へと駆け戻る。

「アンティ! 服はここに置いておくから!」

 ドアを閉めながら声をかけると、寝室から悲鳴に近い怒鳴り声が聞こえた。

「分かりましたからタイロンは外に!」

 やがて、再び衛兵の服を着たアンティがドアを開けて、はにかんだ笑顔を老人に見せた。

「別に、お気になさらないでもよろしかったのに……」 

 その明らかな態度の違いには何も言わず、タイロンはドモスを呼んだ。

「早く来いよ! 早く食べよう……みんなで!」

 夕暮れの光を遮る壁の暗い影の中を歩いてくるドモスは、なかなか戸口に現れなかった。テーブルに付いて待っていると、タイロンの隣に座って小突いてくる。

「やってくれたな」

「諦めろ」

 蝋燭の光の届かないところで囁き合うのを、アンティが叱りつけた。

「何ヒソヒソ喋ってるの!」

 それにも構わず睨み合う2人を交互に眺めて、老人は席を立った。

「では、自分で風呂を沸かして入ってくる。若い者同士でゆっくりするがよい」

 小屋を出ていく後ろ姿を呆然と見つめていた若者3人は、やがてお互いの視線を牽制し合いながら黙々と食事を始めた。

 その重苦しさが耐え切れなくなったのか、アンティが口を開いた。

「おかしな目で見ないでくれない?」

「だ……誰が!」

 そう言いながら、タイロンはスープにむせかえる。すぐ隣からも、ドモスが目も合わせずに言った。

「さっさと謝っちまったほうがいいぜ」

「……ごめん」

 タイロンにしても、やましいことがないといえばウソになる。

 そこで、湯のあふれる音が外から聞こえてきた。

「あ……沸かすの早いね、あの爺さん」

 タイロンが重い雰囲気の中で話をそらそうとしたのを捉えて、アンティも席を立った。 

「じゃあ、お背中流してこようかしら」

 嫌味たっぷりの視線を向けられて、タイロンは小さくなる。

 それには目もくれず、ドモスがドアに向かって歩きだした。

「火加減見てやるよ」

「ダメだ!」

 机を叩いて立ち上がるタイロンを、アンティは不審気に見つめる。

「どういうつもり?」

「いや、その……」

 下手をすれば姫君と騎士見習いの間に確執をもたらしかねない事実を、タイロンは口にはしなかった。

 ドモスは勝ち誇ったように、とどめの一言を言い放つ。

「姫、タイロン殿から大事なお話があるとのことです……では、ごゆっくり」

「そうなの、タイロン?」

 アンティの問いに、幾多の戦場を駆け抜けてきた傭兵は立ちすくんだ。ドモスはわざとらしいまでのため息をついてみせる。

「では、申し上げましょう。タイロン殿は姫君に……」

「分かった! 話す! 話す……」

 タイロンはほとんどヤケクソ気味に席に着いた。アンティは小首をかしげながら、座って見つめてくる。

 どうすることもできないタイロンを後に、ドモスは悠々とドアを出ていった。

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