第28話 皮肉交じりの絶体絶命

 やがて、うず高く積もった灰からは煙が立ち上りはじめた。

 月光の中に、それは高々と一条の筋を引く。

 見上げるタイロンは、苦笑して眉を寄せた。

「いい的ができたな……」

 それを冷ややかに見つめるのは、壁の向こうの王国に帰ろうとしない姫君である。

「本当は手も足も出ないんじゃありませんこと?」

 アンティの声には、どこか張りつめたものがあった。

 本当は恐ろしいが、助けてほしいとは言えないのだ。

 タイロンはいつになく皮肉を言った。

「それだけ軽口が叩ければ大丈夫かな」

 こうでもしないと、火矢の雨が降ってくる前に気持ちがひしゃげてしまう。

 不安なのは、同じことだった。

 アンティも、嫌味たっぷりに言い返す。

「口先だけの男に助け出されたなんて、残念ですわ」

 そう見下されると気には障ったが、口と腹は別だと思い直す。

「射返す矢があればいいんだけど、これじゃあね」

 これは本音だった。

 矢が尽きてしまっては、もう反撃の方法がない。

 それはアンティも分かっているはずだった。

「本当は届かないんでしょう? 壁の向こうまで」

 人を小馬鹿にするにも程がある。

 タイロンの弓矢と剣に自分の命が懸かっているというのに。

 だが、それは何とかしてほしいという気持ちの裏返しだ。

 正直、打つ手はない。

 だが、アンティに危機を悟らせるわけにはいかなかった。

「ドモスと一緒にするなよな」

 何の脈絡もなくけなされても、魔王討伐行の戦友は気にした様子もない。

 ただ、鼻で笑うばかりだった。

「騎士に弓矢はいらないんだよ」

 捨てたはずの身分を口にしたのは、タイロンの本意を察したからなのか。

 守られるべき姫君だったアンティに睨みつけられても、気にした様子はない。

 この辺りが、ドモスだった。


 タイロンは苦笑してみせる。

「調子のいいことを」

 本当は、感謝していた。

 窮地に立たされたとき、ドモスはいつも逃げ道を確保してくれる。

 アンティも、矢が届く届かないといったことはもう、口にしようともしない。

 そこは生死を共にしてきた仲間ならではの、阿吽の呼吸といったところだろう。

 もっとも今は、それが理解できない者もいるにはいる。

「それなら妾が射てやろうか」

 イスメは、幼い頃にアンティとの取り換え子にされた魔族の娘である。

 もしかすると、壁越しでも百発百中で的を射抜くかもしれない。

 味方にすれば心強いが、敵に回せばこれほど恐ろしい相手もいないのだった。

 だが、ドモスはそんなことは考えもしていないようだった。

「いや、弓があっても矢がなけりゃ」

 たとえ考えていても、この少年は気にしないだろう。

 気にしているのは、一見したところ幼いイスメの可憐さだけだ。

 実際の年齢などは、問題にもならないことだろう。

 イスメはといえば、そんなドモスの眼差しなどには知らん顔で答える。 

「矢ならあるぞ」

 その場の空気が凍り付いた。

 無理もない。

 やり場のないアンティの苛立ちの矛先は、最後にイスメへと向けられた。

「普通は弓と一緒に」

 最初から出していれば、射込まれた矢をいちいち地面から引き抜いて使うことなどなかったのだ。

 イスメは事もなげに答える。

「多すぎてな」

 何もない薄闇の中から、何本もの矢を掴み出してみせる。

 アンティは姫君らしからぬ文句を垂れた。

「いっぺんに」

「何でも一掴みずつでしか出せぬのだ」

 魔界から着た少女は、取り換え子の片割れから目をそらす。

 その小さな白い手は、タイロンの目の前に矢の束を突き出した。

 これで勝ってみせろと言わんばかりである。

 歴戦の傭兵は、不敵に笑ってその1本を手に取った。

「充分だ……見てろ」

 アンティが不安げに眉をひそめた。

「1本ずつで間に合いますの?」

 弓がきりきりと引き絞られる。

「矢は1本ずつ射るものさ」

 その先は、壁の上へと向けられている。

 ここを越えた遠矢が、当たるかどうかは定かではない。

 戦に疎いアンティでも、そのくらいのことは分かるようだった。

「相手は一人二人ではありませんことよ!」

 非難がましい叱咤の言葉を、タイロンは平然と受け流す。

「1人ずつ射倒せばいい」

 だが、いかに戦慣れしてはいても、間に合わないことはある。

 月明かりを背に、弓を背負った影がいくつもいくつも、壁の上に現れたのだった。

 冷たく強張った声で、アンティがなじる。

「射倒すんじゃありませんでしたこと?」

 ひょうとばかりに矢を放ってから、タイロンは答えた。

「壁の向こうでとは言っていない」

 射返す間もなく、弓兵が1人消える。

 それでもアンティの皮肉は止まなかった。

「苦しい言い訳ですわね」

 イスメから恭しく矢を受け取ったドモスも、弓を構える。

 引き絞りながら、タイロンの代わりに悪態をついた。

「自分は何もしないくせに」

「あなただって言い訳していたんじゃありませんこと?」

 アンティにはようやく、口喧嘩の相手が見つかったらしい。

 捨てた身分も忘れて、ドモスも言い返した。

「騎士の武器はな、馬上槍と剣なんだよ」

 それまで知らん顔をしていたイスメが、苛立たしげに尋ねた。

「できるのか、できないのか」

 やっと言葉をかけてもらえたドモスは、もったいぶってみせる。

「いれば当たるんだが、数がな」

 その間に、タイロンは次々に矢を放つ。

 並んだ弓兵は、ひとり、またひとりと壁の向こうへ落ちていった。

 それを見ながら、イスメは元・騎士見習いをたしなめる。

「多ければそれだけ当たりやすくなるものだ」


 だが、寄せ手が多ければ、2人や3人に矢が当たってもどうということはない。

 その間に、残った弓という弓には、雨となって降り注ぐには充分な矢がつがえられていた。

 地面から見上げるタイロンたちにも、それは肌で感じられた。

 アンティが、低い声でつぶやく。

「無理があるんじゃありませんの? 1人では」

 弓を高く構えたドモスも、顔を強張らせた。

「だから言わんこっちゃない」

 それでも、矢は月に向かって高々と放たれる。

 見る間に、弓を構えた1人が姿を消した。

 イスメが初めて、感嘆の息をついた。

「意外に当たるものだな」

 うまくやっても褒めてもらえないドモスは、口を尖らせた。

「それちょっとひどすぎないか?」

 そう言いながらも、目元は嬉しそうに緩んでいる。

 イスメの瞳が、月の光に冷たく輝いた。

「口よりも矢を!」

 慌てながらもドモスが放った矢は、さらに弓兵を1人射落とす。

 だが、それも焼け石に水というものだった。

 残った兵士の弓につがえらえた矢が、一斉に放たれたのである。

 タイロンが叫んだ。

「アンティ!」

 息を呑むしかない姫君を背中にかばう。

 弓を片手に偃月刀をかざすと、狙いすました群れなす矢が、まっしぐらに襲いかかってくる。

 あてずっぽうに放たれた壁越しの矢とは、精度も勢いも違う。

 レイピアの柄に手をかけたドモスが、悲鳴を上げた。

「間に合わない!」

 だが、幼い声が低く囁いた。

「伏せろ」

 稲妻の蛇が四方八方に走る。

 ドモスが真っ先に地に伏せ、続いてタイロンがアンティを抱えて転がった。  

 一瞬の閃光が鎮まると、静かな青い夜闇が戻ってくる。

 弔い合戦の矢は残らず焼き尽くされ、鏃だけが地面で冷たく光っていた。

 イスメが、魔界の斧を振るったのだ。

 その威力に、敵味方問わず、沈黙がしばし続いた。

 やがてタイロンが、ぐったりとしたアンティを抱えて立ち上がる。

「すまない」

 それは、突然のことに己を失った姫君への詫びではなかった。

 イスメが、感謝の言葉に照れくさそうな返事をする。

「あのような雑兵どもに射殺されとうないだけよ」

 それをどう取ったのか、跳ね起きたドモスが急かした。

「じゃあ、連中をその稲妻で」

「ここからでは届かん」

 むすっと答えるイスメを、いつの間にか我に返ったアンティが冷やかに嘲った。

「口ばっかりですわね」

「おぬしに言われとうない」

 目も合わせずに言い放ったイスメの前で、ドモスが胸を張った。

「代わりは俺が」

 そのときイスメは、今までにない微笑を浮かべた。

 少なくともドモスには向けることのなかった笑顔である。

「ならば、妾を守れるか?」

「命に代えても」

 見つめ返すドモスの眼差しは、真剣だった。

「よかろう」

 イスメが頷く。

 その耳元を掠めて、壁の上からの矢が地面に突き刺さった。。

 ドモスに、鋭い声で命令が下る。

「妾に矢を向けた者を射よ!」

「お任せあれ!」

 たちまちのうちに風を切る矢の音がした。

 壁の上で、影が1つ消える。

 次を射ようと背中の矢筒に手を伸ばしていた弓兵である。

 アンティが、初めてドモスを褒めた。

「当たるものね……」

 居並ぶ弓兵の中から、イスメを狙った者を見分けて射落とす。

 一言では済ませられない技を見せたドモスがぼやいた。

「まだ言うかな」

 無数の弓を引き絞る音が聞こえてくる。

 タイロンが、魔界の斧を眺めてつぶやいた。

「無理なら仕方ない」

「アテにしてたのかよ」

 ドモスが苦笑すると、タイロンは壁の上を見つめた。 

「さっきのアレを見ればな」

 それは、矢の雨のことでもあったし、それを焼きはらった稲妻の蛇のことであった。

 いずれにせよ、アンティは勘定に入っていない。

「どうせ私は」

 時と場所を弁えずに拗ねる姫君を、タイロンがたしなめる。

「アンティの出番が来たら終わりだ」

 その言葉には、いつになく皮肉が込められていた。

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