第29話 月下の白兵戦

 その出番は、間もなくやってきた。

 壁の上から放たれた矢を、魔界の斧が吹き飛ばし、タイロンとドモスは、イスメが空中から掴みだした矢で弓兵を射落とす。

 同じことの繰り返しが何度となく続けば、やがてどちらかが手詰まりになるのは火を見るより明らかだった。

 壁の上を眺めて、ドモスがつぶやく。

「あ……来た」

 弓兵の影が、1つ、また1つと消えていく。

 だが、それは射落とされたからではない

 タイロンが、1本の矢を手にして呻いた。

「これで最後か?」

 イスメは、魔界の斧を両手で構えた。

「おぬしらもよくやった」

 ドモスの手にも、矢は1本しか残されていない。

 この2本が当たっても当たらなくても、次は壁から下りてきた大人数の兵士との斬り合いが待っている。

 だが、それを少しでも有利に運ぶ手段がないわけではなかった。

 アンティが、豊かな胸元に手を滑らせる。

「これを……」

 差し出した手の中にあるのは、あの宝珠だった。

 たしかに、これが放つ光は、暗闇の中で襲いかかる者の目をくらます効果がある。

 もっとも、そのためには大きな代償を覚悟しなければならない。

 ドモスが承知するわけもなかった。

「イスメの斧が」

 宝珠の光の中では、稲妻の蛇も姿を現すことができない。

 武器にどのような魔法がかかっていようと、相殺されてしまうのだ。

それはアンティも分かっているはずである。

「アテにはしていませんわ」

 光輝く球を高々と掲げようとする姫君の華奢な手を、傭兵の逞しい腕が押さえる。

「間に合わなくなるまで待て」

「今だって」

 間に合わない、と言わんばかりにアンティが腕を振りほどこうとする。

 だが、その時には小柄な影が、青い闇の中へと駆け込んでいた。

 再び、何匹もの稲妻の蛇が鮮やかに閃く。

 それに打たれたかのように立ち尽くす兵士たちの姿が、いくつもの影となって浮かび上がった。

 もちろん、それは長くはなかったが、魔界の闇の中で戦ってきた者には格好の的である。

 ドモスは口元を歪めて笑った。

「よく狙えよ」

「そっちもな」

 面白くもなさそうに答えるタイロンよりも不機嫌に、アンティは皮肉を込めて告げた。

「あのお嬢さんに当てないようにね」

 弓に矢をつがえたドモスは、振り向きもしないで言い返した。

「心配いらねえ……タイロンの腕なら」

 そのタイロンはといえば、からかい気味に横から混ぜっ返す。

「自分はどうなんだ」

 矢はなかなか放たれない。

 弦を引き絞りながらの返事は、声まで力みかえっている。

「分かんねえのか……お前が射るまで俺もな」

 答えの代わりに風を切って飛んだ矢を、次の矢が追いかける。

 続けざまに2つの影が倒れたが、倍に倍する軽装の兵士たちがその後から迫ってくる。

 イスメの斧からどれほど稲妻の蛇が迸ろうと、焼き尽くすことなどできそうになかった。

 

 矢を射つくしたタイロンが呻いた。

「ダメだ、間に合わない」

 同じことを、ドモスは気にもしていない。

「イスメ強いじゃん」

 絶えることがない侵入者の群れは、縦横に振るわれる斧と、閃く稲妻で次々に薙ぎ倒されている。

 もっとも、アンティがそれを賞賛することはない。

「間に合わない子ね、口ばっかりで」

 結果だけ見れば、そうであった。

 そもそも、壁を越えて城塞都市をひとつ攻め落とそうとする連中である。

 たった4人でどうこうできるような人数であるわけもない。

 タイロンは、弓をその場に投げ捨てた。

「後は頼んだ」

 偃月刀を一振りすると、アンティは勝ち誇ったように答えた。

「もっと早く言ってくだされば」

 そう言うなり、高々と宝珠を差し上げる。

 イスメの斧から放たれる稲妻よりも眩しい光が、どこまでも広がる。

 同時に駆け出したタイロンが、遅れたドモスを促した。

「目を閉じろ」

 後ろから、ぼやく声が聞こえた。

「行く先がわからねえ」

 そう言いながらもうろたえた様子がないのを見ると、ついてきてはいるのだろう。

 強張っていた肩から、力がすいと抜ける。

 斬り合う前の緊張もほぐれて、つい、口元も緩んだ。

「同じことだろ、夜なんだから」

「違いない」

 ドモスの返事には、微かな笑いが混じっていた。

 魔王討伐行の間も、この声は絶えることがなかった。

 深い谷間や鬱蒼とした木々の生い茂る山奥を駆け抜けるときも、タイロンたちはこんな軽口を叩き合っていたものだ。

 それが、斧を構えて白兵戦に臨もうとしていたイスメの癇に障ったらしい。

「なぜ来た!」

 振り向きもしないで叱りつける。

 ゆっくりと目を開けてみると、壁を越えてきた兵士たちがすぐそこまで迫っているからだと分かった。

 宝珠の光に目が眩んでいない分、こちらに分がある。

 それが分かったからか、いきなりタイロンを追い抜いたドモスが、華奢な背中にぴたりと寄り添った。

「矢が足りなくてな」

 いいところを見せるのは今だと思ったのだろう。

 低音を利かせて囁くが、イスメは応じる様子はない。

 遅れて歩み寄ったタイロンが、襲い来る兵士たちを見渡しながら一言で告げた。

「後ろへ」

「人間どもの力は借りん」

 イスメが、小さな腰を落としながら囁き返す。

 だが、タイロンはなおも止めた。 

「その斧じゃ……」

 宝珠の光の中では、稲妻の蛇は放てない。

 しかも、相手は大勢だった。

 小さな体と細い腕で、この大きな斧がどれほど扱えるものか。

 ドモスも、同じことを考えていたようだった。

 レイピアを手に、イスメを押しのけようとする。

「俺が!」

 そう言うか言わないうちに、身体をすくめてしゃがみ込む羽目になった。

 音もなく振るわれた斧が、手に手に剣を振り下ろしてきた兵士たちの胴体を真っ二つにしたのである。

 面白くもないといった口調で、やはり振り向きもしないイスメは言い捨てた。

「魔界の鍛冶の業物よ」

 タイロンの身体は凍り付いた。

 傭兵として幾多の戦場を駆け巡り、先の討伐行でも数えきれない魔族たちを斬ってきた。

 無残な死骸など見慣れている。

 むしろ、目も眩む光の中で振るわれた斧の一閃は、鮮やかでさえあった。

 恐る恐る立ち上がるドモスは、今さらのように叱りつける。 

「見とれてる場合か!」

「惚れちまったんだよ、悪いか……」

 だが、その声は震えていた。

 恐怖を覚えながらも捨てきれない恋など知らぬ顔で、その相手は幼い顔で冷たくつぶやいた。

「囲まれたな」

 敵は光にまだ目が慣れていないのか、遠巻きに様子をうかがっているらしい。

 目を細めても見えはしなかったが、タイロンはそれを気配で察していた。

「こちらの目は潰されていない」」

 数では劣っているが、すぐ戦えるという点ではこちらが圧倒的に有利だった。

 もちろん、その数の中にイスメは入っていない。

 ドモスが背中でかばいにかかった。

「こっちへ」

「邪魔だ!」

 後ろから押しのけられたドモスは、いささか気負いながら答えた。

「ほっとけないよ、女の子1人で」

 自分を遥かに凌ぐ相手に、いいところを見せたいという態度がありありと現れていた。

 もっとも、イスメにとっては利用価値しかないらしい。

「私の背中をおぬしらに預ける」

 ドモスは嬉々として、その背後で斜めに立った。

「じゃあ、俺はイスメとタイロンに」

 タイロンは、自分の背中で三角形の最後の辺を担う。

「頼んだぞ」

 宝珠の光が、少し薄らいだようだった。

 ドモスが、声を低めて答える。

「この光があるうちは」

 イスメが、次第に露わになってくる兵士たちの姿を見渡した。

「たいして長続きしなかったがな、さっきは」

 タイロンが偃月刀を腰で構える。

「確かにそうだな」

「だが、おぬしらもよくやった」

 人間の少年2人を、魔族の少女が初めて褒めた。

 だが、ドモスに喜んでいる余裕はもうない。

 次第に弱まってくる光の中で、兵士たちは包囲の輪を狭めてくる。

 それを少しでも阻もうというのか、レイピアを真っすぐに突き出す。

「このままお寝んね……」

 そこで、閃く白刃が一斉に打ってかかる。

 宝珠の放つ光の代わりに、月明りが戻ってきたのだ。

 タイロンが唸るようにつぶやいた。

「悪いが、それはお互い様だ」

 真っ先に斧を振るったのは、イスメだった。

 いままで抑え込まれていた稲妻の蛇が、青い夜闇の中を駆け回る。

 最前列の輪が焼き尽くされ、続く兵士たちは二の足を踏む。

 その隙を、タイロンもドモスも見逃しはしない。

 傭兵の振るう刃と騎士見習いの操る剣が、次に控えた包囲の輪を一気に斬り伏せた。


 無勢に形勢をひっくり返された多勢の士気は、意外に脆かった。

 1人が逃げ出せば、あとは蜘蛛の子を散らすかのようだった。

 荒れ狂う稲妻の蛇に背中から食いつかれ、それを逃れた先には城壁がある。

 追い詰められても、救いの縄は降りて来なかった。

 途方にくれる間もなく、背後からは偃月刀とレイピアが襲いかかる。

 逃げられないとなれば、あとは死に物狂いで抵抗するしかなかった。

 まとまった人数でかかれば、勝ち目はある。

 だが、残った兵士たちが密集隊形を取ったとき、相手になったのは長柄の斧だった。

 その一閃で、再び現れた稲妻の蛇が、三つ巴、四つ巴の渦となって兵士たちを取り巻く。

 やがて月明りの青い闇が戻って来たとき、そこには丸い焼け焦げの跡が残っているばかりだった。

 ドモスが闇の奥から姿を現す。

「まだいるか?」

 タイロンが、うずくまるアンティの傍らで立ち上がった。

 兵士たちが集まってきたとき、イスメが稲妻を放つことは見当がついていた。

 その場を離れることができたので、アンティのもとに戻ったのだ。

 殺戮の現場を見せたくなかったのだが、すでに遅かった。

 魔界で見たものを再び目の当たりにするのは、耐え難いものだったのだろう。

「もう来ないと思う」

 それは、アンティへの言葉でもあった。

 もちろん、ドモスの知ったことではない。

「何で分かる?」

 イスメのほうへ向かいながら、不審げに尋ねてくる。

 いちいち説明しろと言われても、困る。

「戦場のカンだ」

 経験を積むと、考えるのに理屈はいらなくなる。

 だが、その辺りが騎士見習いにはまだ分からない。

「アテになるかよ」

 イスメの前で真面目くさってみせたところで、冷やかに横から口を挟まれた。

「魔族なら分かる」

「どうせ俺は」

 見習いですよ、と言わんばかりに不貞腐れてみせる。

 お目当ての少女は、だいぶん傾いた月を見上げているばかりである。

 代わりに声を立てたのは、姫君のほうだった。

「終わったの?」

 静寂が戻ってようやく我に返ったのか、タイロンの顔を不安げに見上げた。

「ようやく姫様のお出ましですか」

 イスメに相手にされなかったドモスは、皮肉たっぷりに尋ねた。

 負けじとばかりにアンティも言い返す。

「ご自分の仕事をお忘れなんじゃなくて?」

「忘れたんじゃない、捨てたんだよ」

 そう言うなり、イスメの傍らにひざまずく。

「寄るな」

 知らん顔をしてはいても、突き放さないわけにはいかない。

 この人間が誰のために身分を捨てたのか、魔界の少女にとってはどうでもいいことであった。

 タイロンも、壁の上を眺めている。

 皮肉を返す相手がいなくなったアンティも、そちらに目を遣った。

「諦めたのかしら? 壁の外では」

「いいや、まだだ」

 タイロンの声は厳しかった。

 アンティが非難がましく尋ねる。

「もう来ないって」

 少なくとも夜明けまで、この奇襲は続くものと思われた。

 だが、それもまた肌で感じることで、戦ったことのない者には説明のしようがない。

 代わりにイスメが、月を見つめながら答えた。

「次の手があるということだ、向こうにも」

 そっぽを向かれて面白くないのか、ドモスが悪態をつく。

「そんなの、最初から使えば……」

 皆まで言わないうちに、共に戦ったタイロンが答えを与えた。

「奥の手は、それなりに手間がかかるものさ」

 内壁の向こうから、銅鑼の音が聞こえてくる。

 だが、それは与えられた時間の残りを数えるものではないようだった。

 街の人々は新たな時代の訪れを待って、夜通し騒ぐつもりらしい。

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