第15話 月下の風呂に見たものは
我に返ったタイロンは、小屋を出ようとドアに向かって駆けだす。
それが目の前で開いて、現れたのはドモスだった。
さっきまで殺気立っていたのが、元のような少女にも似た顔だちに戻っている。
「タイロン……」
「じゃあ、君……」
ドモスの穏やかな声にいくばくかの期待を込めた呼びかけは、次の瞬間に裏切られた。
「死んでもらうぜ、お前にも姫にも!」
腰の辺りから抜き放たれた細身の剣が、ロウソクの微かな光を照り返して一条の軌跡に変えた。
タイロンの偃月刀が、それを弾き返す。
「何のつもりだ! 僕はともかく、アンティを何で……」
「聞くな!」
凄まじい速さの連続突きが、受ける偃月刀との間に火花を散らす。
その間にも、タイロンは空しいまでの説得を試みていた。
「城内に入るんだろ……新しい時代の町に!」
「そんなもの、いらん……新時代なんぞ!」
叫びと共に振り下ろされた袈裟懸けの剣を紙一重でかいくぐり、タイロンは低い蹴りでドモスを小屋の外へと転がした。
ドアを後ろ手に閉めたタイロンに生じた死角を狙って、剣が突き出される。
だが、横薙ぎの剣はドモスの首もとに迫っていた。
夜空では雲が晴れたのか、蝋燭の光よりもはるかに明るい満月の光が差し込んできた。お互いを牽制し合って動かない2人を、頭上から照らしだす。
「僕は……戦いたくない」
「そんなら大人しく!」
ドモスの身体が月光の中に消えた。
跳躍したタイロンが飛び蹴りを入れるのと交差して、斜め下から剣の切っ先が突き出される。
「しまった……」
つぶやいたのはタイロンのほうだった。ドアを背にしていたのに、今はドモスがドアに面している。
そこで小屋の中に飛び込もうとするのを見逃すことなく、タイロンは背中から偃月刀で斬りつけた。
ただし、使われたのは刃ではなく、峰のほうである。
それを振り向きざまの剣で弾き返したドモスは、憎々しげに言った。
「舐めるな、タイロン!」
アンティのことなど忘れたかのように、ドモスはありとあらゆる死角を狙って剣を繰り出す。
防ぐことしかできないタイロンは、ひたすら退くしかなかった。
「倒してみろ、俺を……お前のアンティを守りたいなら!」
その一言に、タイロンは吼えた。
「気安くその名を呼ぶなあああああ!」
「……少しは頭を冷やすんだな!」
挑発に乗って斬りつけられる偃月刀を、ドモスは軽く受け流す。
だが、それは目くらましにすぎなかった。
「それは君のことだ!」
低い姿勢で、タイロンは大きく踏み込む。ドアを背にして、月下に輝かんばかりの美貌が、苦悶に歪んだ。
その鳩尾には、体当たりで叩きつけられた肩がめり込んでいた。
「悪いね」
ドアにもたれかかるようにして昏倒したるドモスを後に、タイロンは老人が浸かっているはずの風呂へと走った。
「おかしい……」
それは、ドモスの豹変ぶりに対する不審であった。
城内へ戻るための障害となる門番の老人を死をもって排除しようとしていたのに、なぜ?
なぜ、共に戦い、心を通わせていたはずのタイロンやアンティを手に掛けようとしたのか?
重い浴槽を苦労して設置したのは、見張り小屋の裏であった。その辺りに来たところで、タイロンは地面に伏せた。
これまで修羅場をくぐってきて、身に付けた習慣である。
「何事もなければいいんだけど……」
敵や罠などの危険を回避し、地面に落ちた遺留品などの発見で状況を察するには必要な用心であった。
そして、そこには人影があった。
「誰だ?」
人の出入りを差し引きすれば、そこには老人1人しかいないはずである。
だが、先入観でものを見るのは禁物だった。そこに老人がおらず、別人がいることもあり得た。それは即ち、何か危険なことが起こったのを意味している。
「あれは……」
月の光の中、その人影は浴槽の中に立ち上がった。背の高さは、老人と同様、それほど高くない。
だが、水の飛沫をきらめかせる細い身体は、老人のものではなかった。どちらかというと、ドモスに近い。
そのドモスも、小屋の戸口で気を失って倒れているはずだった。
「じゃあ、あれは……」
「誰!」
どう見てもあるとは思えない薄い胸を抱えて浴槽に沈んだ影から聞えたのは、確かに女の声だった。
ただし、アンティとは明らかに違う点がある。
たしかに、10年とはいかないが……。
その胸の薄さからみても、湯の中にいるのは間違いなく、幼い女の子だった。
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