第16話 姫君の怒りが炎と燃える
「そういうことか……」
地面に伏せたまま、タイロンは呻いた。
これで全ての説明がついたのだ。
「道理で騎士見習いが魔王討伐なんか任されたわけだ……」
早い話が、厄介払いである。騎士団は、腕は立つが女性の趣味に問題がある見習いを、任務にかこつけて始末しようとしたのだった。
それはつまり、タイロンもアテにされていなかったことを意味する。
「あいつら、やる気なんか全くなかったってことじゃないか……」
依頼主たちはアンティと「宝珠」の奪回に失敗したら、城内の人々にはずっと隠しておくつもりだったのだ。
もともと、魔王も「魔界」も攻撃してこないことを知った上で。
「じゃあ、そもそも何で……」
アンティを魔界の何者かとすり替え、「宝珠」を奪ったのか。
その疑問が解ける前に、また幼い声が飛んだ。
「誰なの?」
地面とひとつになるくらいに平たく伏したタイロンだったが、「魔界」の暗闇の中ならともかく、月の光の下で隠れおおせるものではない。
タイロンは舌打ちして立ち上がった。
「仕方ないか……」
偃月刀を手にして立ち上がる。見つかってしまった以上、迷いは禁物だった。
相手が何者かは分からないが、場合によっては斬るしかない。
だが、目の前で浴槽に隠れた少女の正体を知る前に、タイロンの背後へ殺気と共に迫る者があった。
「何してるの!」
一閃する青い炎が、地面に揺らめく影を落とす。
振り向きざまに偃月刀で受けたタイロンは、その短剣の勢いに後ずさる羽目になった。
「アンティ!」
闇に燃える魔剣のせいか胸のあたりがひと回り大きく見えるが、それは確かに、「魔界」から救い出した姫君だった。
「卑怯者!」
短剣を振るうたびにタイロンの肌を舐める炎が、跡を残すことはない。だが、その魔力は明らかに、実力以上の剣技をアンティに与えていた。
歴戦の猛者が、受けきれずに怯んでいる。偃月刀を身体の前にかざしたまま、その手から落とさなでいるのが精一杯であった。
「やめろ……アンティ、何の真似だ!」
「あの方を殺すなら、私を先に!」
そうは言うものの、アンティが亡き魔王の面影を求める門番の老人は今、ここにはいない。代わりに見たのは、浴槽から顔を覗かせた少女の幼い顔である。
だが、その事情が呑み込めていないタイロンに、弁解の術はない。門番の老人を暗殺しようとしていたと勘違いしたアンティに、魔王の形見の短剣で襲われようと。
それでも言葉で説き伏せようとすれば、手元がお留守になるのも仕方のないことであった。
「しまった……」
タイロンは覚悟の呻きを立てたが、その胸に青く燃える刃が突き立てられることはなかった。むしろ、その持ち主が睨み据えていたのは、月下に胸を隠して佇む、大理石の彫刻のような肢体である。タイロンは慌てて目を背けかかったが、わざわざその裸身を晒した少女は、身を隠すことも逃げることもならないようだった。
「ダメだ、アンティ!」
少女をかばうかのように立ちはだかるタイロンに、アンティは尻込みする様子もない。逆手に持った青い炎の短剣を頭上に高々と掲げて、毅然とした口調で命じた。
「どきなさい」
「何する気だよ」
まるで旧知の友人の奇行をたしなめるかのように、タイロンは苦笑いして言った。だが、その口元はひくひくと強張り、声は震えている。目元だけはまだ穏やかだったが、視線はあてもなくさまよっていた。
気の抜けた傭兵に内心を見抜かれていることなど察していたのか、アンティは迷うことなく間合いを詰めると、一声発して短剣の切先を振り下ろした。
「見れば分かりますわ!」
脳天から頭へと垂直に振るわれた刃を鼻先でかわして、タイロンは偃月刀を薙ぎ払った。普通の戦闘なら、相手は喉笛を切り裂かれて絶命しているところである。もちろん、今のタイロンにそんな気がないことはいうまでもない。
何が気に障ったのかは分からないが、アンティは頭に血が上っている。月光を照り返した一瞬の閃きは、その肝を冷やして正気に戻すために放たれた紙一重の剣技であった。
だが、愛するものを守ろうとする姫君の怒りが収まることはなかった。大振りの一撃で大きく開かれたタイロンの胸めがけて、真っ青な炎が空を駆ける獣のように走る。
「そういうんじゃなくて!」
どういうつもりなのか全く見当もつかないアンティの豹変ぶりに、悲鳴にも似た叫びが上がる。それでも火傷ひとつ負っていないのは、幾多の修羅場をくぐり抜けてきたタイロンなればこそだ。
とっさに地面に転がった仰向けの身体の上を、青い炎がかすめていく。
タイロンがいかになだめようと、その努力はムダなようだった。魔王から短剣を託された姫君は、なおもその命を狙い続けていた。
「じゃあ、分かりきったこと聞かないでくださいます!」
燃える刃をかざして覆いかぶさってきたところで、その腕を片手で掴む。偃月刀を手にしたまま、タイロンはアンティを押し倒す形で上下の攻守を入れ替えた。
短剣を手にした腕を地面におしつけられた姫君は、そっぽを向いて開き直った。
「私をどうなさるおつもり? まさか……」
諦めきったような自嘲気味の声だった。目を背けたアンティの肢体は、両膝をついたタイロンの脚の間で、されるがままになっている。
振り上げた偃月刀が、その場ではたと止まった。
「いや、そんなつもりは……」
タイロンがみなまで言わないうちに、アンティはその身体へ馬乗りになっていた。
いつのまにか再び地面に転がされた歴戦の賞金稼ぎは、意外な体術を見せた姫君を呆然と見上げる。
それを冷ややかな眼差しで見下ろしながら、アンティは挑発的に囁いた。
「言わなくても先が分かるなんて……そんな目で見てたの? 私を」
月下にそそり立つ身体は、その起伏も豊かだった。それに思わず見とれていたタイロンは、地面の上で首を横に振った。
短剣は炎を放ち、清かな光は天から降り注ぐ。そのどちらからも照らされて真っ青な顔で、アンティは微笑した。
「私、知ってたんですのよ……魔界からの帰り、あなたがずっと私を見ていたって」
「僕は……そんな」
顔を背けたまま、タイロンはそれ以上、何も言えなかった。代わりに、アンティが軽蔑しきったように告げた。
「意気地なし」
その一言と共に降ってきたのは、月光と見まがうばかりに青い、魔剣の炎だった。
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