第17話 姫と少年2人で三つ巴

「おっと……」

 聞き覚えのある声がしたかと思うと、魔剣の切先もまたタイロンの目の前で止まっていた。

 アンティが、姫君らしからぬ低い唸り声を上げる。

「どういうつもりですの? 騎士見習いがこんな……」

 月の光を冷たく照り返す細身の剣が、いつの間にかアンティの首筋に背後から押し当てられていた。

 その持ち主は、少女のような笑みをたたえて自嘲した。

「もう、いらねえな……あってないような、そんな肩書は」

「私を連れて帰れば、騎士に叙勲されるのでしょう?」

 タイロンに刃をつきつけたまま、アンティは懐柔とも脅迫ともつかない冷ややかな声で尋ねる。

 ドモスは軽蔑を込めて言い返した。

「連れて帰れば……? 帰る気もなかったくせに、何言ってやがる」

「そういえば、そうでしたわ……あなたにはもう、何も残っていないのでしたね」

 姫君もまた、高らかに笑った。そこには、下賤の者に刃を向けられた怒りよりもむしろ、刃を向けるしかない者たちへの憐みがあった。  

 だが、図星を突かれたはずのドモスには、たじろぐ様子もない。ただ、月の光の中で皮肉っぽい笑いを浮かべたばかリである。

「ちょっと前まではな」

 アンティの笑いが一瞬、凍りついた。

 この騎士見習いには、姫を帰還させない限り、未来がなかったはずである。だからこそ、壁の向こうへは入らないというワガママが通ったのだ。

 ところが、今のドモスは様子が違った。この城塞都市を敵に回してでも守るべきものが、他にできたかのようだった。

「本当はあなた、男色の趣味がおありになって?」

 強張った笑顔のまま、アンティは穏やかに尋ねた。その両脚の下で、タイロンは呻く。

 命の危険に晒された恐怖からではない。その喉の奥から絞り出されたのは、同じ立場にありながら虚勢を張るアンティをたしなめる声だった。

「よせ……ドモスを怒らせるな」

 まかり間違えば相手の逆鱗に触れて、命を落としかねない。騎士見習いのドモスには、タイロンと互角に渡り合えるだけの力と技があった。もっとも、実戦の経験がない分、命のやりとりを繰り返してきた者には及ばない。

 だが、ドモスは冷ややかに言い放った。

「少なくとも、あんたに興味はないな」

「それじゃあ、答えになってませんわ」 

 アンティは身じろぎひとつしなかった。いつでも首を刎ねることのできる白刃のせいではない。険しさの解けたその笑みは、余裕を取り戻した高貴な姫君のものだった。

 いつものとおり、ドモスも負けてはいない。同じくらい落ち着いた口調で応じる。 

「答える気なんかないからな、最初から」

 抜き身の刃物を手にしている割には、子どもの喧嘩のようなやりとりである。これは、タイロンにとっては願ってもないことであった。

「まあ、アンティもドモスも、その辺で……」

 おそるおそる言いながら、腰を挟み込んでいるしなやかな脚の間をすり抜けようとする。だが、固く締めあげられてくるアンティの太腿は意外に力が強かった。

 逃がすまいとする理由は明らかだった。もはや目的は手段へとすり替わり、さっきまで魔界の刃の餌食となるはずだったタイロンは、ドモスに対する人質に格下げされていたのである。

「それ、どけてくださらない? この方が大切なら」

「やめろ、誤解されるような言い方は」

 不機嫌に剣を引いたドモスにしなやかな背中を向けたまま、アンティは立ち上がった。

「私たちの他に誰がいるって言うんですの?」

「それは……」

 ドモスがちらと見やった先には、その3人から完全に忘れられていたかのような浴槽があった。そこには、まだ何者かが身体をすくめている。 

 そちらへ目を遣ったアンティの視線を遮るように、ドモスはその前に立ちはだかった。

 豊かな胸元に構えられた魔剣から、青い炎が吹き出して揺らめく。アンティの眼差しが、再び鋭くドモスを射た。

「やっぱり、あなたも邪魔をするのね?」

「そうじゃねえよ、とにかくここは……」

 恋い慕う老門番のために感情を剥き出しにするアンティを、ドモスはなだめにかかっていた。

 さっきまでの狂乱ぶりからは考えられない落ち着きようである。苦楽を共にした旅の仲間を手に掛けようとしていたときとは、まるで別人だった。いや、それが湯浴みする幼女のためだったとすると、別人のほうがまだよかったもしれない。

 ドモスはその青い裸身のある場所を背にして、じりじりと後ずさり始めた。その顔つきはというと、割と真剣ではある。だが、どこやら邪な色が見える目は、アンティではなくタイロンをじっと見つめていた

 ようやくのことで身体を起こしたタイロンの目は、目の前の姫君は通り越して、一見して少女のような見習い騎士を見つめ返していた。

「すまん……俺はお前の気持ちに応えられない」

「だからそういう意味じゃねえ」

 ドモスは、さっさと小屋に戻れとでもいうように顎をしゃくる。先ほどの乱心のせいか、きまり悪そうだった。

 だが、言われた通りにしようにも、タイロンは地面に横たわって動くこともできない。

 ドモスに背を向けて歩きだしたのは、むしろアンティのほうだった。一時の感情に捉われて、大股開きでタイロンにまたがったかと思えば、その命まで奪おうとしたのである。

 いかなる言い訳もできはしなかったが、その手にはまだ、豊かな胸の谷間にしまうこともできない魔剣があった。タイロンの心臓に突き立てようとして、固く握りしめられていたのだ。

 その刃に掛かりそうになった当の本人は身体を起こしはしたが、背中を向けて小屋へと歩み去る姫君をじっと見つめるだけだった。生命の危機にさらされた恐怖など、そこには微塵もなかった。

「アンティ……」

 遠慮がちに呼びかけたが、返事はない。慌てて立ち上がって早足に間を詰めたところを見ると、姫君に声をかけてほしかったのであろう。

 もちろん、アンティは振り向きもしないが、タイロンも少年ながら戦いに生きてきた身である。魔王のもとで大切にかくまわれてきた少女の足に追いつくのに、それほど時間はかからなかった。

 その肩に、手をかけたりはしない。並んで歩きもしない。ただ、すぐ後ろについて歩くだけだ。

「離れてくださいません?」

 冷ややかではあるものの、ようやく言葉が返ってきた。

 タイロンが立ち止まると、アンティは低くつぶやいた。

「ケガをするって言ってるんです」

 振り向きざまに薙ぎ払ったのは、まだその手の中にあった魔剣だった。

 もちろん、そんな不意打ちにうろたえるタイロンではない。軸足を左右に変えるだけで巧みに身体をくるりと回し、アンティの傍らにつく。さらに、蛇が蛇にからみつくようなしなやかさで、魔剣を手にした腕を巻き取った。

 だが、一瞬だけ遅かった。

 その時には既に、魔剣から放たれた火線がドモスの服に焦げ目を作っていた。だが、その場で腰を抜かした騎士見習いの少年が見つめるのは、姫君の手にある魔剣の炎ではない。

 アンティの眼差しもまた、同じものへと向けられていた。

「彼に触らないで!」

 だが、縮み上がったのは可憐な姫君の傍らにいたタイロンだった。ドモスはというと、悪い夢にでも取りつかれたようにふらふらと立ち上がる。

 向かう先には、さっきのあの影があった。

 月の光に照らしだされた、真っ青な裸身……。

「そこから動くな、ドモス!」

 叫んだのはタイロンだった。アンティの視線を遮るかのように、その逞しい背中を晒す。魔剣とはいわず普通のナイフであっても、突き立てられたら命がない。

 姫をとことん信頼していなければ、できないことであった。

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