第39話 再び鷹を待つ
やがて、城塞都市国家カナールの内壁に設けられた門が厳かに開かれた。
タイロンは宝珠を胸に抱え、アンティの傍らにひざまずく。
「騎士団がやってきたら、そこで僕の仕事は終わりだ」
囁く声は、寂しげである。
それに追い打ちをかけるように、アンティが囁いた。
「その騎士団の前で、私が帰らないと言ったら……ともに荒野をさまよってくださいます?」
タイロンはしばし、言葉に詰まった。
目を上げると、返事を待つかのように見下ろすアンティの眼差しを受け止める。
やがて、裏も表もない、はっきりとした言葉が告げられた。
「姫様に、決してそのようなおつもりはないと存じます」
アンティは、いつになく張りつめた面持ちで尋ねた。
「どうして、そう思いますの?」
真剣な眼差しで、タイロンは答えた。
「先ほど、姫様は魔界の姫を殺そうとなさいました。あそこで身分が明かされなければ、あのようにはなさらなかったでしょう。悔しかったのではありませんか? 魔王を父として愛しても本当の娘になることはできなかったのに、血のつながりだけでそれが叶う者が目の前にいることが」
心の底まで見透かしているかのような物言いに、アンティ……いや、アンティフォーネルカディート姫は、不機嫌そうに眉を寄せて言った。
「長々とした理屈は、無理があるものですわ。たいしたことではありません。私が王国の姫で、あの娘が魔界の後継者。お互い、相手をあの場で生かしておけない立場だったというだけのことです」
タイロンは寂しげに笑って、目を伏せた。
「お許しください。魔界からの救出に雇われた傭兵の分際で、出過ぎた口を利きました」
そこで口を閉ざすと、姫を迎えに来た騎士団を迎えるべく、頭を垂れる。
だが、現れたのは馬に乗った堂々たる騎士たちの群れではなかった。
大きな門の下で、ひとりの男がぽつねんと佇んでいるばかりである。
どこかで見た顔だったが、それが誰であったか気づいたのはアンティだった。
「あなたは……いや、お前は……」
そう言いながら、恥ずかしげに顔を背けるのも無理はなかった。
それは、タイロンとドモスの護衛で無理やり魔界から連れ戻された後、アンティがほとんど腹いせのように心を捧げた、あの老門番だったのだ。
だが、それは魔界の姫、イスメーヌエールラーウェンスが姿を変えたものだったはずだ。
なぜ、その老人が再び姿を現したのか。
その謎は、すぐに解けた。
タイロンやアンティには目もくれず、老人が真っ先に駆け寄ったのは外壁の門だったのである。
「何じゃあ、この壁際の死体の山は? えらいことじゃあ! おお、門が、門が開いておる! ああ、これでワシは縛り首じゃあ……!」
おいおいと泣き崩れる老人に、タイロンは歩み寄った。
「お爺さん……僕を覚えていますか?」
尋ねるなり、老人はタイロンにすがりついた。
「確か……あの傭兵! 取り替え子にされた姫様を助けに行った……」
「そうです、僕です」
はきはきと答えてみせるのは、もちろん老人を落ち着かせるためだ。
老いた門番は、ようやくのことでタイロンの周りを見る余裕を取り戻したようだった。
「はて、もう片方の若造、確かに女みたいななりじゃったが、こんなんじゃったか……」
その目がしげしげと見ているのはアンティである。
だが、かつては想いを寄せた老人の姿に、もはや憧憬の眼差しが向けられることはない。
むしろ、冷ややかに見つめ返す瞳に、老人が縮み上がったくらいであった。
「いや、そんなことはどうでもいいんじゃ……とにかく、門を開けてこれだけの侵入者を許したということになれば……」
確かに、職務怠慢といえなくもない。
だが、それが罰せられるかどうかは、内壁の向こうにいた理由による。
姫君を迎える街の人々の乱痴気騒ぎに加わっていたのなら、言い訳の余地はない。
再びうろたえ騒ぐ老人をそこでなだめたのは、アンティだった。
「侵入者は、全て成敗いたしました。そなたが壁の向こうでやましいことをしておらねば、咎を受ける心配などありません」
タイロンへの、偉ぶってはいるが砕けた物言いとは違う。
それとは打って変わった、威厳のある口調だった。
アンティの正体を知らぬまま、老いた衛兵はその場にひざまずいて恭しく答えた。
「内壁の向こうからやってまいりました小娘に、姿と、扉の合言葉を奪われてございます。私は小娘に姿を変えられ、扉の向こうへ追いやられましたところ、城からやってきた衛兵たちに捕えられて、地下牢に放り込まれておりました」
そこでタイロンが相槌を打つ。
「取り替え
アンティが恨めしげに荒野の彼方を見つめるのは、それを仕掛けた魔族の娘をまんまと逃がしてしまったからであろう。
老人は、それを見て何を勘違いしたのか、いそいそと門に向かって歩きだす」
「閉めるのを手伝うてくださらんか。この年寄りには扉も閂も重うございます」
「扉はともかく、閂は人が来るのを待ってからでいいでしょう」
タイロンが声をかけると、老人が怪訝そうな顔をした。
「なぜ、人が来ると分かりますのじゃ? 元の姿に戻ったと思うたら、地下牢から城の外に放り出されて、それっきりでございますが」
その問いに答えるかのように、再び内壁の門が開く。
現れたのは、堂々たる鎧に身を固めた馬上の騎士たちであった。
それを率いて先頭に立っていた貫禄のある男が、長いマントをひるがえして、ひらりと馬から下りる。
アンティの前にひざまずくと、後に続く騎士たちも、それに倣った。
騎士団長と思しき男は、野太い声で恭しく尋ねた。
「アンティフォーネルカディート姫であらせられましょうか」
王国の姫は、答えることなくタイロンを顧みた。
若き歴戦の傭兵は、まっすぐに見つめ返す。
やがて、朝日の光が城壁の上から差し込んできた。
アンティは騎士団長に向き直ると、厳かに答える。
「いかにも、カナール王の正統なる姫、アンティフォーネルカディートである。出迎え、大儀であった」
そのひと言が合図であったかのように、騎士たちの後ろに控えた金色の馬車が、細かな象嵌細工の施された扉を開けた。
馬車の後ろには、やはり騎士たちの列が、開け放たれた門の向こうへと続いている。
だが、アンティは石像になったかのように動かなかった。
騎士たちはというと、その前にうずくまって頭を垂れ、姫君の口から出る言葉を待っている。
タイロンは独り言でもつぶやくかのように、まだ閉ざされていない外壁の向こうを見つめて言った。
「暗殺者が南から毒持って、わざわざカナールの北門まで来たんだ。今度は、そっちから来るかもしれんな」
すると、アンティはひと言で命じた。
「こちらへ」
近づいてみると、胸の谷間に突っ込んだ手が、何か取り出すところだった。
タイロンは、思わず顔を背けて後じさった。
その目の前には、あの宝珠が突き出されている。
「これは……?」
タイロンが声を潜めて尋ねると、アンティは囁いた。
「もう、ただの石ころなの、これ……いつか分かってしまうことなんだけどね」
宝珠に込められた魔力は、壁を守るための、たったひと晩の戦いで使い果たされたらしい。
だが、その間じゅう壁の内側でぬくぬくと、いや、乱痴気騒ぎにふけっていた連中に、それは理解されるまい。
姫は連れ戻したが、王国の至宝を奪還するのは失敗したわけである。
成功報酬の半分を要求することもできなくはない。
だが、それは、金に命を張って生きる者のすることではないだろう。
この場でカナールを去るのが、道理だった。
もし、もういちどアンティに会うことができるとしたら、それはタイロンが再び必要とされるときだ。
至宝が永遠に失われた今、この国が安定を保ち、外敵の侵入を阻めると考えるのは難しかろう。
タイロンは、門の外へと歩きながら答えた。
「そのときはまた、鷹を放ってくれ」
彼と彼女4人のウォールディフェンスを中の連中は誰も知らない 兵藤晴佳 @hyoudo
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作者
兵藤晴佳 @hyoudo
ファンタジーを書き始めてからどれくらいになるでしょうか。 HPを立ち上げて始めた『水と剣の物語』をブログに移してから、次の場所で作品を掲載させていただきました。 ライトノベル研究所 …もっと見る
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