第9話 姫君とふたりきりの真面目な話
「若いの、ついてこい」
朝食を済ませた老人は、長柄の斧をを手に取ると、ドモスを急かした。
「何で俺だけ……タイロンは?」
「おぬしは見習い騎士であろう」
それだけ言って、老人は小屋の外へ出ていった。
ドモスが流しで自分の食器をぐずぐず洗っていると、今度はアンティが背中から叱りつけた。
「私が洗ってさしあげますから、言う通りになさい」
それは姫君が末端の騎士に命令を下す時の口調であった。
ドモスはまだ納得できない様子で、ブツブツ言っている。
「巡回なら、人数多い方が……」
「悪い、ドモス、今朝は……」
そう言いながらアンティを横目で見るタイロンを睨みつけて、見習い騎士は一言だけを残して出ていった。
「しっかりやれよ」
その口元に浮かんでいた微かな笑みは、励ましに二重の意味があることを示していた。
だが、タイロンはいきなり用件を切り出すことはしなかった。
「巡回って?」
自分の食器を洗いながら、当たり障りのない話を始める。
空になったスープ皿を持って隣に立ったアンティは、しなやかな指でタイロンの手を押さえた。
「洗って差し上げます」
それは、長い話になるから座って聞けという意味である。することのなくなったタイロンは、自分の席に戻った。
その傍らには、肌身離さず携えている偃月刀が立てかけてあった。
アンティは瓶の水で4人分の皿をまとめて洗いながら問いかける。
「この城がなぜ、二重の壁で囲まれているかお分かりになって?」
傭兵としていくつもの戦場を経験してきたタイロンにとって、それは難しい話ではない。
「攻め込んできた敵に、2度の手間を強いるためさ」
へえ、とアンティは微笑んでみせる。自信たっぷりに答えたタイロンの経験が認められたのだろう。
興味津々で尋ねてくる。
「そんなに大変ですの? 壁を超えるのは」
「直に手足を掛けたり、鉤付きのロープを投げたり、雲梯を掛けたりね」
立ち上がって、城壁に掛ける巨大なハシゴを登る真似をしてみせると、アンティは澄んだ声を立てて笑った。
「ご経験がおありですの?」
「上から大きな石や矢が雨あられと降ってくるから、いつ落ちるかと気が気じゃなかったよ」
タイロンは、ほっと息をついて、再び椅子に掛けた。戦場に比べれば、この狭い小屋の中は天国といっていい。
目の前には、美しい姫君までいる。
そのアンティは、勿体ぶった問いをさらに投げかけてきた。
「二重の壁には、他にも意味がありますの……この城の南側をご存知?」
「隣の国があるんだよね、丘の向こうに」
知っている限りのことを答えたタイロンに、姫君はこの城塞都市の構造を説いて聞かせた。
「まず、都市の北側と違って、南側は外壁に門がありません。内壁の門までは、豪華な彫刻を飾った通路になっています」
「何で知ってるの?」
アンティは生まれてすぐ、魔族の赤子とすり替えられて「魔界」へとさらわれていったはずである。
「彼が教えてくれました」
あの老衛兵のことである。だが、アンティは「ご老人」とも「衛兵」とも呼ばなかった。
口を堅く引き結んだタイロンなど気にもしない様子で、城塞都市カナールの姫君は恋い慕う男から聞いた、まだ見ぬ城内のことを歌い上げた。
「南門の市街地側は関所になっていて、多くの人と車が留め置かれます。それを狙って、多くの露天商などが集まってくるのです。そこはもう、一種の市場。たいへん賑やかなところだとか」
「壁の話じゃなかったの?」
不愛想に水を差したタイロンに口を尖らせたアンティは、渋々と話を元に戻した。
「だから南側の門番は、1人いれば用が足ります。北門のほうは、内壁も外壁も、内側からなら合言葉なしで開けられます。そして、外壁を越えてきた侵入者があれば……」
そこでタイロンが口を開いた。
「市街地から出てきた兵士たちが、袋小路になっている南側へと追い詰める?」
洗い物を終えたアンティが、流しに掛けられた布切れで拭いた手を叩いた。
だが、椅子に座りながら出した問いは、少し意地が悪かった。
「では、内壁の門を出たとき、敵が城の左右から壁を越えてきたら? 挟み撃ちになりますよ?」
「内壁の向こうに退くしかないかなあ……」
考え込むタイロンに、アンティは自分が築いたわけでもない壁の仕掛けを自慢げに語った。
「内壁を越えようとしたり、門を無理に開けようとしたりすれば、大昔の魔術で作られた仕掛けが動き出します」
「そんなものがあるの?」
目を見開くタイロンを脅かすように、アンティはテーブルの上に身を乗り出した。
「壁石の隙間から吐き出された毒の息が、どんどん足もとに溜まっていくのです。それはやがて壁の間を満たして、侵入者の呼吸を止めてしまいます」
「その仕掛けの見回りか……」
アンティは目を閉じて、心配そうに頷いた。
「本当に動き出したら、彼も命がないのですが」
「死ぬのは1人で充分ってことか」
皮肉な言い方が気に障ったのか、アンティはタイロンをキッと睨みつけた。
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