第25話 空飛ぶ侵入者

「アンティ!」

 叫びながらも、タイロンは何が起こったのかは察していた。

 魔界から命懸けで連れ帰った姫君は、一瞬の隙をついてさらわれたのだ。

 それはたぶん、城門を開けにかかるアンティを止めようとしたときのことだ。

 その前に回ることばかりに気を取られて、背後に迫る者たちに気が付かなかったのだった。

「3人か……」

 両脇から羽交い絞めにして、最後の1人が足を持ち上げれば、女の子の1人や2人、連れ去ることなど造作もない。

 そんな光景は、戦場で何度も見てきた。

 武器を持った屈強な男たちが、抵抗できない女たちを思いのままにする様を。

 だが、それをタイロンは許したことなどない。たとえ味方であってもだ。

「どこだ!」

 呼んでも、答える声はなかった。こういうとき、女たちは猿轡を噛まされたり、恐怖で気を失ったりして、返事などできるものではない。

 それでも、目に見える限りは必ず救ってきた。相手が何人いようと、必ず偃月刀で残らず叩き切った。

 戦場に出るたびにタイロンの評判が上がっていったのは、味方に勝ちをもたらしたからというだけではない。

「……そこか!」

 月明かりに、思った通りの姿勢で連れ去られるアンティの姿が見えた。

 壁を越えてくるくらいだから、さらって行った者どもの身はさぞ軽いことだろう。

 だが、それはひとりひとりで行動する場合だ。

 3人が息を合わせて、しかも人間ひとりを持ち上げて連れ去ろうというのだ。いかなる軽業を身に付けていようと、そうそう逃げ切れるものではない。

 タイロンが力の限り疾走すれば、真後ろにつくことなど造作もなかった。

「1人!」

 アンティの足を抱えた黒い影に、背中から斬りつける。月に照らされてぼんやり光るのは、腰回りと上半身だけを覆う黒革の防具だった。

 今までなら、そんなものがあっても、女に手をかける外道は一撃で絶命させていた。たとえ味方であっても容赦しない。

 タイロンは、若いながらも確かな腕と揺るがぬ信念を持つ傭兵として知られていった。

 雇われた傭兵部隊では、正規兵でも及ばないほど規律が整う。それを率いる軍もまた、行く先々で民の信頼を集め、威信を高めていった。

 だが。

「逃げた……?」

 振り下ろされた刃は空を切った。

 タイロンの目には、左右に横たえられたアンティの身体が見える。2人が、その頭と脚を抱えていた。

 残りの1人は、その姿が見えない。

「引っかかるかよ!」

 短剣を逆手に落下してくるところに、偃月刀を跳ね上げる。刃の衝突で、月明りの中にも眩しい火花が散った。

 手応えは、ない。相手の姿も、消えている。アンティの身体が、今度は縦に抱えられて遠ざかっていった。

 頭と脚を抱えていたのは、やはり2人だ。その中の1人は、黒革の防具を装着していた。

 すると、残る1人の見当はつく。

「後ろ!」

 振り向きざまの一閃で、短剣が高々と吹き飛ばされた。

 このくらいの読みは、何でもない。

 防具を付けた者がアンティを運ぶ側に回ったということは、別の1人がタイロンの攻撃にかかったということだ。

 さらにアンティの身体の向きが変わったということは、その1人も同じ方向へ動いたということだ。

 目の前に見当たらなければ、そいつは死角から仕掛けてくる。

 そこを狙うだけのことだ。

 だが、仕留められなければ意味がない。

「またか!」

 吐き捨てるのさえ、もどかしかった。

 確かに手応えはあったのに、人影はない。

 冷たく光る地面の上に、跳ね上げられた短剣だけが逆さまに突き刺さっていた。

 だが、タイロンの目的はこの戦いに勝つ事ではない。

 救い出すべき姫君の姿は、いつの間にか再び3つの影に抱えられて、さらに遠ざかっていた。

「アンティ!」

 もう、名前を呼ぶことしかできなかった。追いつけないことはないと思っていたのだが、読みが甘かった。

 この3人は代わるがわる、巧みにタイロンの邪魔をして、その間に距離を稼いでいたのだ。

 長く戦場を駆けまわってきたが、こんな技は見たことがない。その上、走っては立ち止まり、戦ってはまた走るという繰り返しは、意外に息切れを誘った。 

 思うように足が動かない。頭の芯も、なにやら痺れてきた。眼の前が、暗くぼんやりと霞んでいく。

 それでも全力を振り絞って走っていると、やがて3人は壁に寄り添って立ち止まった。

「あ……」

 タイロンは息を呑んだ。夢や幻としか思えないような光景を目の当たりにしたからだ。

 ぐったりと萎えきったアンティの身体が、何かに抱え上げられたかのように壁の上へと浮かび上がっていく。

「魔法……?」

 呆然としてつぶやいたが、こんなことができる魔族は全て、その王と共に滅んだはずだった。

 いや、生き残っていたなら生き残っていたで、わざわざ3人がかりでアンティをさらっていく必要はない。

 最初から、魔法を使って壁の向こうへ連れていけばいいのだ。

 だが、おぼろな意識の中でようやく浮かんだ疑問は、あっさりと晴れた。

 幼くも傲岸不遜な声が、タイロンを背後から叱りつけたのだった。

「そんな幼稚な仕掛けが見抜けんのか、人間!」

 叫ぶなり、小柄な身体が月明りの下に美しい弧を描いて跳び降りる。

 それは、人間の世界に生き残っていた最後の魔族であった。

「……イスメ?」

 ためらいがちに、呼んでみる。

 名乗られたきり、自分からは口にしなかった名前だった。

 そのイスメは、さっき見せたばかりの跳躍力を再び見せる。両の爪先を地面につけたかと思うと、再び高々と宙を舞った。

 向かう青い闇の中には、太いロープに絡めとられたアンティの姿がある。

 だが、あの3人も指をくわえて見ているわけではなかった。

 高々と頭上へ投げ上げたものが、冷たい光を放つ。

 だが、イスメがそんなものに怯むことはなかった。

「ちょこまかと小賢しいわ、虫けらども!」

 たちまちのうちに、一閃した斧から幾筋もの稲妻が蛇となって暴れ回る。

 襲い来る手裏剣はことごとく、あちらこちらへ跳ね飛ばされた。

 だが、それを放った3人は傷ひとつ負ってはいない。イスメが着地した瞬間を狙って、再び手裏剣を投げた。

 いつのまにか余裕たっぷりの声が応じる。

「違うのだよ、そこらの雑魚とは!」

 そう言いながらも、片手には斧を掴んだまま、ロープに括られたアンティの身体を両腕で抱えている。

 耳元を、鼻先を、次々に手裏剣がかすめた。紙一重の神業とはいえ、かわすのが精一杯である。

 的を見失った刃が襲いかかってくるのを、タイロンはどうにか偃月刀で叩き落とした。

 それに気を取られているうちに、最後の1本がイスメに迫る。

 艶やかな喉元が切り裂かれそうになったが、それを放っておくタイロンではなかった。

「言わんこっちゃ……!」

 つぶやきさえ、間に合わない。遅すぎた、というか、そもそも手裏剣が速いのだった。それが頭の隅では分かっていても、タイロンは力の限り走る。

 その眼の前で、小さな火花が高い音を立てて散った。

 風を切る手裏剣の音が消えたかと思うと、単高い声がイスメを叱り飛ばす。

「格好つけるな!」

 一振りのレイピアが、白い喉元すれすれに突き出されている。ドモスが、いつの間にかそこにいたのだ。

 その剣先は、イスメを襲う刃の切っ先を過たず捉えていた。地面に突き刺さった最後の1本が、その結果だった。

 ドモスは恐らく、既にタイロンの傍らをすり抜けていたのだろう。

 戦友を襲う手裏剣などには目もくれずに。

 だが、今度はタイロンが知らん顔をする番だった。

「大丈夫か、アンティは?」

 駆け寄ったところで、その身体はイスメの腕から放り出された。

 抱き留めはしたが、縛を解かれた姫君は、まだ気を失ったままだった。

 ドモスが背中を向けて、タイロンをからかう。

「それ、任せたぜ」

「それって……」

 物の言いようが気に食わなかったが、アンティの身体を抱えていてはろくに動くことも出来ない。

 イスメとドモスはというと、2人並んで壁際の3人に襲いかかっていた。

 もちろん、レイピアの一閃よりも斧から放たれた雷撃の方が速い。

 侵入者たちは全身を這いまわる稲妻の蛇に自由を奪われ、冷たく光る刃で次々に急所を貫かれて絶命するはずだった。

 しかし。

「あ……」

 つぶやいたのは、タイロンだけではない。

 雷撃の光が消えたとき、ドモスもイスメも呆然として夜空を見上げていた。

 高々と宙を舞う3つの影が、外壁の上に音もなく降り立つ。

 それを追うように、イスメが一声叫んで跳躍する。

「おのれ……!」

 タイロンはアンティを抱えたまま、壁の高さに浮かんだ幼い少女の小さな影に呼びかけた。

「ダメだ、狙い撃ちされる!」

 壁の外で、無数の弓弦が次々と打ち鳴らされる音がする。それらはすぐさま、矢の実体を伴って頭上から降り注いだ。

 魔界の娘は、それらをくるくるとかわして、羽毛のような優雅さで地面に舞い降りる。 

 レイピアの一振りで矢の雨の難を逃れたドモスは一言、不機嫌につぶやいた。

「言わんこっちゃない……」

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