神様の父になりまして。

海鳴ねこ

プロローグ

00 真夏の夜に


 夏の夜。11時過ぎ。

 電車から降りた男は大きく背伸びをした。


 「はぁ。やっと帰れる……」


 ため息混じりに呟く彼は

 上城悠真かみしろゆうま、20代、独身、彼女無し。

 至って普通の青年である。


 今日も至って普通の残業帰り。

 コンビニで弁当を購入し、今、帰宅する所であった。

 今日は新月、月明かりのない暗い道。

 古びた掲示板、街灯、閉まった店

 いつもと変わらぬ帰り道になるはずだった。


 「今日はこっちから帰るか。」

 ふとした気まぐれで、いつもの帰り道を変える時までは。


 「ん?」

 それは公園の前を通った時だ。

 悠真はふと足を止めた。

 暗い公園の中、小さなブランコ。

 そこに座る小さな影。


 「……こんな時間に、子供?」


 それは、どう見ても小さな子供であった。

 悠真は悩んだ。

 迷子か?家出か?ここは話しかけるべきだろうか?

 しかし今のご時世、男が下手に子供に声をかけると時折まずいことになる。

 それが例え善意からの行動からでもだ。

 しかし……


 「はぁ。ほっとけないよ……」

 ここで無視をするのも大人失格ではなかろうか?


 どんな事情であれ、夜中に子供が1人で公園にいるのだ、声を掛け、何かあれば警察に連れていく。

 それが最低限のマナーでは無いかと悠真は判断し、公園へと足を向けた。


 近づけば、それは少女である事が何となく分かった。年は6,7歳だろうか?


 ただ問題がある。その少女、どう見ても日本人じゃない。

 暗い公園の中でも分かる、金髪に白い肌。


 “英語、喋れないんだけどどうしよう。”


 そんな思いが悠真の頭を過ぎる。

 残念ながら、英語は昔から一番苦手な科目だった。


 「……えーと。こんばんわ?」

 迷いに迷った中、とりあえず日本語で話しかける。

 絞り出すように出来るだけの優しい声色で。


 瞬間、少女の肩は大きく跳ね上がり悠真を見上げた。

 左顔を隠した長い金髪、丸い顔、くりくりした瞳。

 なんとも愛らしい顔立ち。


 一瞬、ドキリとするが、それどころじゃない。


 「あ!ご、ごめんね。驚かせちゃったかな?お兄さんは怪しい人じゃないから!」

 内心、いや待て!怪しいだろ。と思いつつも悠真は慌ててそんな言葉を口にしていた。

 気まずくなり、悠真は当たりを見間渡す。誰もいない。



 「えっと。お嬢ちゃん。お父さんやお母さんは?」

 「……。」

 長い沈黙が流れる。

 やはり日本語が分からないのだろうか。

 どうしようかと悩んだ時だ。


 「おとうさ……さが、してる」

 可愛らしい声が響いた。


 「そ、そうか。お父さんとはぐれちゃったのか!」

 その言葉に少女は小さく頷く。

 悠真は内心ほっとした。

 正直、日本語が通じなければどうしようかと本気で思っていたからだ。


 しかし、やはり迷子とは。

 悠真は再び辺りを見間渡す。近くに彼女の父親らしき人影はいない。


 「どんなお父さんかな?」

 聞くと、再び少しの間。

 少女が絞り出す様に小さく声に出した。


 「……おっきー……」

 「そ、そっかぁ。」

 大きい男とは?

 そもそも幼い子供からすれば大人の男は皆大きいのではないか?

 そんな思いが過ぎったが、子供に言っても無駄であろう。

 何にしても情報が少な過ぎる。


 「じゃあ、お父さんの名前は?」

 何でもいいので情報を、と思い。

 少女のその"大きなお父さん"とやらの名前を聞き出そうと口にする。

 何度目か、また少しの間。



 「……バロン」

 少女はそう答えた。


 “バロン”

 それは、どう考えても日本人の名前では無いだろう。

 大きくて外人であれば直ぐにでも見つかるのではないか。

 なんとも有力な情報だ。


 しかし、三度目の正直。

 辺りを見間渡すが、そんな人物はどこにもいない。

 それどころか、人影1つ見当たらない。

 警察に任せるべきであろうか?そんな事を思い始めた時だ


 ―――くぅ……


 そんな小さなお腹の音が木霊したのは…

 悠真では無い。

 視線を移すと少女が真っ赤な顔でお腹を押さえている。


 悠真は小さく笑みを浮かべた。

 「これ、食べていいよ。」

 そう言って、差し出したのはコンビニ弁当。

 先程購入した悠真の夕食であるが、致し方がない。


 プラスチックスプーンを包から出し、弁当の蓋を開けてあげる。

 まだ暖かなチャーハンからは、ほかほかと微かな湯気と香ばしい香りが漂ってきた。


 少女は驚いた様子で悠真を見上げた。


 「……いー…の?」

 「いいよ。お兄さんはお腹いっぱいだから。」

 少女は弁当と悠真を交互に見つめ、

 「あり、がとう。」

 嬉しそうに笑顔を浮かべた。


 なんと愛らしいのだろうか。

 悠真も思わず笑顔になる。


 パクパクとチャーハンを食べ進める少女を見て思う、娘がいれば、こんな感じなのかなと。

 そんな事を思いながら、スマホを取り出した。

 この少女が迷子の事実は変わらないのだ、それならばやはり警察に任せた方が良いと判断したからだ。


 「交番、近くになかったっけ?それとも直接電話した方がいいのか?」


 そんな独り言を呟きながら、スマホのマップアプリを開く。

 だから、悠真は気が付かなかった。

 少女がどんな表情を浮かべていたかなんて…


 「……お兄様、この方にします。」

 たどたどしい日本語であったはずの少女の声色が突如として滑らかな声を発する。

 ガラスの鈴を転がしたような、愛らしく何処までも澄んだ声。


「 え、今─。」


 脇腹に鋭い痛みが走る。

 その衝撃はあまりにも唐突だった。

 手からスマホが落ちる。


 横を見るとそこには少年が一人いた。

 プラチナブロンドの髪に、少女とよく似た顔立ち。

 アイスブルーの瞳を弓のように細め、背筋が凍るほどのゾッとする笑み。


 抱きつくように、悠真の脇腹にその細い手を深々と突き立てていた…。


 「──ぁがっ」

 悠真は口から声とも言えない音と共に、その場へと倒れ込んだ。

 同時に少年の手は悠真から抜かれ、激しい痛みと夥しいほどの液体が悠真の体から溢れる。


 痛みの中で悠真の、頭に浮かんだのは"少女"の事だった。

 彼女が危ない。彼女だけでも逃がさなければ、悠真は必死に少女へと手を伸ばす。


 伸ばした自身の手が、ボロボロと崩れていくのを見るまで…。

 肌が砂のように零れ、肉が溶けだす。

 骨は砕け、中から黒々としたモヤの様な何かが飛び出した。


 その光景は一瞬、理解できなかった。

 黒いモヤが自分の腕だと気づいた時、声を上げようとして、声が出ないのに気づく。

 喉が焼け付くように痛い。


 喉だけでない、身体すべてが焼け付くように痛い。

 目が1つ転げ落ちるのが見える。歯が溶けていくのが分かる。身体が大きく膨らんでいくのが感じる。

 体を屈折させ、悠真はその痛みにひたすらに耐えていた。


 何が起きているか分からない。

 ただ、分かるのは自身の脇腹が紅く光っているということ…

 その赤い何かが、身体の中で飴玉のように溶けているという感覚だけ


 薄れていく意識の中、悠真はみる。

 満月を背に己を見下ろす2つの影を…


 ゾッとするような美しい少女と青年が1人ずつ。

 彼女は愛おしそうに美しいアイスブルーの瞳でこちらを見下ろしていた。



 ◇



 誰かの声がする。

 優しい暖かな手が頭を撫でる。

 その温もりに悠真は目を覚ました。


 あれから、どれ程たったのか。目に最初に飛び込むのは、茶色の天井。


 柔らかな感触で、ベッドに寝かされていると瞬時に悟る。

 しかし、何処であろうか。そこは自身の家でない事も瞬時に理解した。

 “いや本当にそうであろうか…?”

 おかしな疑問が頭をよぎる。


 「――お父様。」


 ふと。隣から懐かしい声がした。

 聞き覚えのある声に、悠真は公園で出会った少女を思い出す。


 “嗚呼、あの子、父親に会えたんだな。”

 1番に思ったのは何故か、安堵したそんな想いだ。


 「お父様。おはようございます。」

 再び、愛らしく優しい声色がする。

 同時に額に感じる柔らかく暖かな手の感触。


 もしかしてだが、"お父様"とやら自分の事だろうか?


 ぼんやりとした頭で悠真は隣をみた。

 ベッドの傍ら、そこに居たのは1人の少女。


 朝日に輝く金色の髪、隠れた左顔。アイスブルーの大きな右目。

 公園で見た少女に面影がある。しかし、どう見ても幼い少女ではなく10代前半の少女。

 見とれるほど美しいその少女は、悠真を映して嬉しそうに愛おしそうに、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。


 「おはようございます。お父様。」

 「────ラティエル。おはよう。」



 …

 ……

 …………?



 今、自分はなんと言ったのであろうか?

 悠真の頭に再び疑問が生まれた。

 今、自分はこの少女を"ラティエル"と呼んだのか?

 しかし、その名前が少女の物であると何故かハッキリと確信していた。


 そんな悠真にお構い無しに、少女…ラティエルは悠真に問う。

 「お父様。ご気分の方はどうですか?」

 「あ、ああ。問題ないよ。」


 やはり、何かがおかしい。

 悠真は、自身の真っ黒な大きい手で頭を押さえながら体を起こしながら違和感に首を傾げた。



 真っ黒な……手?



 ばっ。

 音を付けるならこうだろうか?

 そんな音が聞こえそうな勢いで悠真は改めて己の手を見る。


 そこにあるのは黒。

 真っ黒で異様に長く異様に大きな手。指は3本しかない。

 見たことも無い模様が刻まれた、到底人間とは思えない腕がそこにあった。


 悠真は、その手で己の顔を触る。

 何故か、鼻や口の感触が感じられない。


 「ラ、ラティエル。わ、私の顔はどうなっている?」


 状況が分からないまま、悠真は自信がラティエルと呼ぶ、少女に問う。

 そもそも、自身のことを"私"等と呼んでいたであろうか


 ラティエルは不思議そうに小首をかしげる。

 「?…はい。いつも通り、とてもお優しいお顔をしています。」

 「そ、そうじゃないよ。」


 少しの間。再び問う。

 「私の顔の特徴を言ってごらん。」


 ラティエルはきょとんとした表情。にこりと微笑む。

 「真っ黒なお顔には大きなひとつ目。沢山の模様が入っていらっしゃいます。」

 自信満々に答えた。


 悠真は考える。必死に考える。

 ここが何処か。自分は誰か。ラティエルとは誰か。

 自問自答のすえ、悠真は答えを導き出す。


 「…ここは異世界ルティフェール。私の名はバロン・ドゥ・ディユ。…彼女は私の娘、ラティエル・ル・ディユだ…」


 何故か、その答えは最初から悠真の中にあった。




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