03 ヴァロンの街へ 3
馬車の速度がゆっくりと落ちる。
窓から、まず見えたのは大きなレンガのアーチ。
その前でランプの馬車は大きく揺れて止まった。どうやら、ここが街の入口らしい。
そのまま外を眺めていると、何やら中くらいの影がこちらへ急いで走ってくるのが見える。
何かの獣の皮で造られた派手な色の鎧が目に付く。その手には槍。
「…あれは?」
「街の自警団の方ですね。今日はバルバラ様とバルナラ様の様です」
ラティエルが説明をする。
思えばここは街なのだ、自警団がいてもおかしくない。
「へぇ──」
しかし、ラティエルの説明に納得したと同時、悠真は言葉を失う事になる。
近づいてきた、その2人はあまりに異質であったから。
おどろおどろしい色の肌に、異常に折れ曲がった腰はでこぼこと背骨の形が浮き彫りになり、異常に細い体とギョロりとした大きな目。ボサボサの髪の毛。
そして何より、地面に付きそうな程、顎が外れ大きく開かれた口。
――化け物だ。
悠真は思わず生唾を飲んだ。
化け物達は馬車の前で止まると、二マリと笑み。
「バロンさん。お久しぶりです。ご子息もお元気そうで!」
「この頃はラティエルさんしか来ないので心配してましたよ~」
──背筋がゾッとする程低い声……
などではなく、意外と軽やかな青年の声。
一体、その口でどうやって喋れているのか疑問であるが、その声に全く恐ろしさはなく、それどころかどこか親しみすら感じられる。
しかも、どうやらこの化け物達は
何度も言うが、悠真では無く《バロン》の事であるが
そんな化け物達にラティエルは慈愛深く微笑んだ。
「お兄様は面倒だと街にはあまり来ませんからね。お父様は訳あって来られませんでした」
ラティエルは何故こうも慈愛深く親しげに話せているのか。悠真の理解が追いつけない中で化け物達はケラケラと笑っている。
「まぁ、アズエルさんの声は我々にも問題ですからね」
「街の娘達はそれでも、一夜を共にしたいという者が大勢いますが。…ところで今日はどう言ったご要件で?」
「はい。今日は久しぶりに食事に来たんですよ。お買い物も、です」
「それは、それは!では、馬車は我々に任せてゆっくりしていってください!」
ラティエルと話を終えると、化け物達はいそいそと姿を消した
かと思えば、馬車の扉が自動で開かれる。
扉の前には化け物達、どうやら彼らが開けてくれたらしい。
「あ、ありがとう」
悠真が戸惑いながらもお礼を言うと、化け物達はギョロりとした目をふっと細め、優しげに小さく笑った。
馬車から降り、彼らに見送られ少し離れたところでラティエルがこっそりと教えてくれた。
「あれは
そう言われても。
そう思いながらも、悠真達はアーチを潜るのだった。
◇
「いらっしゃい!」
街に入り何よりも、まず始めに出迎えたのは女性の声だった。
声がした方向に視線を向ければ新鮮な果物や野菜の前で1つ目の女性が澄んだ声を上げている。
その前には悩まし気に首をかしげている深緑の肌を持つ恐ろしげな顔の子供ほどの小さな化け物。
その頭には頭巾をかぶり、古びたワンピース、手にはカゴ。
何を買おうか迷っているようだ。
よく見れば、深緑の化け物はあちらこちらに居た。
腫れぼったい瞼、ギラつく目、歪な口から見える紫の舌と、とんがった牙。
あちらこちらで声を上げながら。しかし、楽しげに買い物やお喋りを楽しんでいる。
すぐそこのカフェだろうか?小さなテーブルの席に座った、深緑の化け物は今、
「あの深緑の方々は
「ああ。ゴブリン」
ゲームや漫画で見た通りの見た目だ。
悠真は目を細めた。
「あ、あの1つ目の方々は
「え!え、エルフ?」
ラティエルが手で示したのは、つい先程、野菜を売っている女性。
長い髪にとんがった耳。白い肌に美しい輪郭と声を持っているが、その顔には大きな目玉がひとつしかない。
悠真の中のエルフとは整った容姿のイメージだったのだが…
周りを見渡せば、
形の良い唇に軽やかな笑みを浮かべ、パンを売ったり、カフェで食事を運んだりと男女関係なく忙しそうに働いている。
「あちら、鍛冶屋で働いてるのは
次にラティエルが示す。
そこには2mほどの牙の生えた恐ろしい顔立ちの大男がハンマーを手に、6、7歳の小さな男の子に叱られ今にも泣きそうな表情をしている。
「あら、ガルド様。また、叱られているのですね。あの二人は師弟の関係なんです。
パッと見、大人が子供に叱られているようにしか見えない様子に悠真は思わず小さな声を上げ笑ってしまった。
「ダメダメ!これ以上は値下げはしねぇからな!」
ふと、通りから大きな声がする。
見てみれば沢山並んだ魚の前、体格の良い男が声を上げている。
しかし、その頭は蛇で大きな山羊の角が生えている。
身体は鱗でびっしりと覆われており、体格の良い人間男性の様な体付きをしているが、服から覗く手足は、体と同じように鱗に覆われ鋭い爪が見えていた。腰下あたりからは蜥蜴の尻尾。
「あれは
そう説明され、辺りを見間渡せば同じような姿の女性を見つけた。
革鎧に身を包み、その手には槍を持っている。
彼女も自警団と呼ばれる存在なのだろう。
ただ、その頭は男と違い蛇というよりゲームの中の“竜”そのものだ。
「あ、危ない!」
あまりの光景にゆらりと悠真の身体が揺らめくと、ラティエルが突然悠真の手を引いた。
何事かと思えば、悠真の足元、そこを慌てたように10cm程の小さな赤い帽子を被った何かが数人かけて行く。
「ごめんよ!あーまったく!革紐の在庫を切らすなんて!あの新人め!」
ぷんすかと怒りながら、その背には何やら細い紐のようなもの。
「あれは
次々に説明を受けながら悠真は他にも辺りを見間渡す。
石の道、白のレンガで造られた美しい街並み。
彩の花や植物が並ぶ花壇。
光が差すと、街並みはキラキラ輝き、
しかし、上を見あげれば窓から干された洗濯物が見え、どことなく生活感がある光景だ。
魔物の町。
どこか不安であったが、どうだろう。
とても美しく素晴らしい街だ。
ふと、どこからか楽しげな音楽が風に乗って聞こえてくる。
ラティエルは花が咲いたような笑顔を浮かべた。
「あ!お父様、お兄様!行きましょう!」
悠真の手に小さな白い手、ラティエルに手を引かれ、ぐらりと傾く身体は導かれるように自然と前へと進む。
「あぶないよ」
そんな言葉が頭を過ぎったが、ラティエルの横顔はあまりに楽しそうな年相応の普通の少女で、悠真は優しげに目を細めた。
彼にちゃんとした表情があるならば、彼は今とても優しげに微笑んでいる事だろう。
器用に人混みを避けながら、悠真達は開けた大きな広場へとたどり着く。
彼らを歓迎したのは、心踊るような楽しい光景。
傍では
今にも踊りたくなる様な楽しくも愛らしい音楽が奏でられていた。
と、我慢が出来なくなったのだろうか。1人の
それを筆頭に、また1人また1人、種族関係なく手を取り音楽に合わせリズムに合わせ踊り始めた。
器用に尻尾でリズムをとる
靴屋の看板がある家の窓から
自宅から顔を出した
あちらこちらで、沢山の異形の姿をした者達が楽しそうに顔を出す。
あらゆる種族、性別関係なく皆、満面の笑み。
見ている
「歓迎してくれているんですよ」
その光景に見とれていると、ラティエルがポツリと口にした。
彼女が示す場所には、1人の
彼が、悠真達が来たことを街に伝えたのであろう。ラティエルはそう言った。
「本当は年に一度のお祭りにしか踊らないんです。でも今日はお父様がいらしたから。お父様は人気者ですから」
「……そっかぁ。」
きっと今、悠真はとても優しい笑みを浮かべていることだろう。
隣を見れば、アズエルもどこか優しげな笑みを浮べていた。
再び悠真はラティエルを目に移す。
「ボク達、この音楽が昔から大好きなんです。」
彼女もとても幸せそうに笑っていた。
いつもと変わらず、慈愛に充ちた瞳を住民達に向けながら
「……ラティエルはいつも慈愛に充ちた表情を浮かべているね。」
その表情を見て悠真そう口にする。
ラティエルは悠真を見上げると、一瞬きょとんとした表情を浮かべ、また直ぐに慈愛に充ちた笑みを浮かべた。
「慈愛、ですか?お兄様にもよく言われますがボクにはその自覚がありません。」
しかし。彼女は、そう続ける。
「ボクは誰であろうと、どんな種族であろうと、生きとし生けるもの、その全てがとても愛おしいのです。まるで、この世の全てが我が子のような……そんな気持ちです。」
悠真はラティエルの言葉を聞き少し目を細めた。
彼女の慈愛に充ちた表情は作り物には見えない。
ラティエルの言う通り、確かに彼女は生きとし生けるもの全てを平等に心から愛しているのだろう。
だから、愛おしい存在を前にすると自然と慈愛に充ちた笑みを浮かべてしまう。
それは最早、無意識である。
そして、それはきっと"母親"としての愛情だ。
しかし――。
「そっかぁ。ラティエルは凄いね。」
「?ボクは《天使》ですから、天の使いならば、当たり前です!」
「………そっか……」
ラティエルは自分自身が
悠真はその事に、何となく気づいていた。
いや、それは最早確信していたと言っていいだろう。
ラティエルは何も覚えていない
この世界を創った事も何一つ。
自分勝手に悠真をこの世界に連れて来た事も何一つ。
今のラティエルは《天使》でしかない。
今の彼女にとって悠真は本物の《
そんな、天使は今日も誰に対しても聖母のような慈愛に充ちた笑みを向ける。
何故なら、
神様に使わされた、人を導く存在だから。
しかし、傍から見ればそれは――
嗚呼、いや、今はそれは置いておこう。
悠真は静かにラティエルから目を逸らした。
──あちらこちらに楽しげな声が上がる。
──あちらこちらで楽しげな音楽が響く。
──しかし、その全てが化け物だ。
パチンと、指を鳴らす音、アズエルだ。
その途端どこからともなく沢山の鮮やかな花びらが風に舞、広場を彩る。
歓迎のささやかなお礼だろう。
花びらが舞う中、住人達は歓喜の声を上げ、悠真達に拍手を送った。
「素敵な街でしょう?」
ラティエルが悠真の顔を覗き混みながら問うた。
やはり、その表情は慈愛深い。
楽しげな音楽と心踊るダンスの歓迎。
花びらが舞う中、悠真は静かに目を細めた。
「……うん。そうだね。」
悠真の声はいつもより優しげであった。
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