04 バロンの魔法 5
――この少女は今、何を言ったのだろうか?
理解しかけた悠真の頭が再び真っ白になるのが分かった。
今、悠真の目に映るラティエルはうっとりと細め、興奮したように頬は紅潮し、その口元には確かな笑みが浮かぶ。今この状況であまりに場違いな場違いすぎる表情。
『‴父上。お喜びください。これで、各国も喜ぶことでしょう‴』
突然、隣から声がした。
視線を向ければ、アズエルがたたずんでいる。こちらは、いつものような冷静な笑みを湛え。
「何を――?」
しかし、彼は今何を言ったのだろうか。
賊を退治できた?各国も喜ぶ?
それよりも、先ほどのラティエルの表情は…?
そんな悠真の様子にアズエルは、表情を変えた。あまりに無表情に、何か虫かゴミを見るように。
「お兄様。いけませんよ」
ただ、それも一瞬のうち。ラティエルの一言に、彼は直ぐに笑みを浮かべる。悠真は再びラティエルに視線を移した。
今見る彼女にはもう、あの興奮したような表情はない。
代わりに彼女は優しく微笑む。いつもより優しげに、まるで悠真をいたわるように。
その顔を見て、悠真は己に言い聞かせる。先ほどの表情は見間違いだと。
「お父様――」
優しい声が、小さな手が悠真に伸びた。温かなその手は悠真の大きな黒い手を優しく握りしめる。
「ラティエル、私は……」
その温もりに思わず言葉が漏れた。その優しさに、現実を見たくなくなる。
そう、たった今自分がしでかした事など…。
「賊は全員退治できましたよ。みんな死んでいます。お疲れ様です」
そんな偽りを壊すように、ラティエルは優しげに言った。
その言葉で悠真は嫌でも我に返る。嫌でも先ほど忘れかけた事を全て理解する。
――たったいま、自分は人を、国を殺めたのだと。
頭ではもう理解していた。
けれど、言ってほしくなかったのだ。自分が人を殺めたのだと。否定してほしかった。
そんな思いは聖女のような少女によって打ち砕かれた。
「やめろ!」
「!」
気づくと大声で彼女を拒絶していた。
驚いたラティエルの顔が目に映る。だが、それも一瞬。
「どうしたのですか?」
そんな悠真と裏腹にラティエルの静かな声が頭に響いた。
目に映る彼女は声同様いたって冷静だった。ただ、困った表情を浮かべ何故悠真がここまで声を荒げるのか理解していないように。
そんな悠真とラティエルの間にアズエルが割り込む。
にこやかに悠真に対し笑みを向ける彼の眼は、驚くほどに冷たかった。
『‴やめてください父上‴』
「!」
『‴あなたはたった今、一つの国をその手で消し去ったのです‴』
「だからっ!」
『それとも、現実逃避でもしていましたか?だからラティエルに諭され逆上したと?』
「――っ!?」
言葉が詰まる。
事実だ。
何も言えなくなる悠真にアズエルは笑う。先ほどと同じ。人を小馬鹿にしたように、まるで虫けらを見るかのように。
『‴父上。貴方が魔法を使いたいと願ったんですよ?‴』
口元をまるで三日月のように吊り上げあげたその姿は、まさに悪魔のようだ。
「わ、たしはっ!人を、国を殺めるとは思っていなかった!ここまで、するなんて――。国を亡ぼすなんて君達は言わなかったじゃないか!」
振り縛り出てきたのは、二人を責めるかのような言葉。
だが、それも事実だ。
確かに悠真は魔法を使いたいと願った。しかし、ここまで、酷いことになるなんて思ってもみなかった。
「そもそも、言っていたじゃないか!盗まれたものを取り戻すって!だから私は――」
盗人から物を取り返すだけ、人を殺すなど思ってもいなかった。
――ホントウニ?じゃあ、どうして“バロン”は魔法を嫌っていたの?
そんな言葉が頭をめぐる。
『‴…くっ…あはははははっ!!‴』
悠真の言葉にアズエルの笑い声が上がる。
ラティエルの困った表情が目に映る。
悠真の額に冷や汗が流れる。
思い出す。思い出した。
完全に思い出した。《バロン》の魔法を…
ラティエルから引き継いだその力の全てを。
『‴父上!あなたの魔法は『殺し』と『破壊』でしょう!?だから他国で魔王なんて呼ばれているんじゃないですか!‴』
アズエルはどこまでも人を馬鹿にしたように笑った。
悠真は愕然とする。アズエルの言葉など到底信じたくない。しかし頭が《記憶》が真実と語る。
そもそも、すこし考えれば分かったことじゃないか。
あの日、アズエルに魔法の使用を願った時。ラティエルが言っていたではないか。“使われると困る”と。ヴァロンの街で
少し考えれば、危険な魔法だと気づけたのではないか?
そう、思っても、もう遅い……。
「お父様。そんなに悲しまないでください」
気づくとラティエルが顔を覗かせていた。
悲しまないでください?そんなの無理な話だ。
アズエルが小さく笑う。
『‴そもそも父上。貴方だって、さっきまで罪悪感なんか、感じていなかったでしょう?‴』
「っ――!」
「もう!お兄様は静かに!」
アズエルの言葉にラティエルが怒る。
嗚呼、しかし。その通りだ。悠真は、魔法の力を思い出せなかっただけでなく、魔法を使うその瞬間まで、この国の者たちに魔法を使うことに罪悪感は感じていなかった。
そればかりか当然だと思っていた。
――相手は悪いことをしたのだから少し位の罰は当然だ、と……。
「気にしないで、お父様。」
呆然とした悠真の手を再びラティエルが優しく包み込んだ。アイスブルーの右目が心配そうに悠真をのぞき込み、そしてはにかむ。
「ここの方々は許されない事を犯した罪人なんです。だからそこまで気に病むことはありません」
「ざい、にん?それは、彼女たちの事だろう?」
そう、指すのは側で事切れている女と男達。側にある財宝の山は、先程のアズエルの様子から島で盗られたものなのだろう。その側にいたのだ。彼らが賊であるのは、ほぼほぼ間違いない。
だから、なんだというのだろうか?罪人といっても、島に侵入し盗みを働いただけだ。殺す必要はなかったのではないか?
「殺す必要はなかった……。盗まれたものを取り返すだけでよかった……。この国の人たちは関係なかった……」
…
……
………?
そういえば、彼女らはどうやって島に侵入者したのだろうか。何かまだ忘れていることがある気がする。
アズエルの事だ。彼は…。
「その、盗まれた物が問題だったんですよ」
頭にかすかに浮かんだ疑問はラティエルの一言にかき消された。
彼女は、悠真から離れ、こと切れている女の元に歩み寄る。膝をつき、ラティエルは女の指から何かを抜き取った。それは――
「この指輪。覚えていますか?」
――ひとつの指輪。
金で出来ていて、その中心に玩具のような宝石が一つ、ついている。
それには確かな《記憶》があった。
「それ、呪いの指輪だよね!なんでここにあるの?それは島から持ち出しちゃいけないって言ったじゃないか!」
悠真はラティエルから指輪を奪い取った。
何、ありがちな話だ。
それは見てくれは小さな古ぼけた指輪。対して価値もない。
ただ、持ち主が願えば、持ち主が住まう国が驚くほど豊かになる。草木は大きく育ち不漁等もなくなり、災害も天災も疫病も争いすら起こらなくなる。
嫌、起こらなくなるのではない。
代わりに、未来に起こるはずだった災いを全て、隣国に押し付ける。そういった方が正しい。
昔々、神様が天使と作り、《父》にこっぴどく怒られた思い出の指輪。
神様にしか作れない、《バロン》がすべて壊したはずの最悪の指輪。
既にこと切れている彼女たちは、この指輪を盗んだのか?
それならば、ここまでの豊かさは?隣国の厄災は?すべて辻褄が合う。
「この女性は、豊か溢れる国の聖女だとか呼ばれていたようですね。神から与えられた力を持つとか………。まあ、与えていませんけど」
ラティエルは軽やかに慈愛に満ちた笑みを女に向けて言った。
聖女。傍から見れば確かにそうだろう。彼女が指輪に祈るだけで、この国に平和は訪れるのだから。事情を知らない者たちは彼女を聖女と称えよう。
それに、とラティエルは続ける。
「この方々、ヴァロン以外にも他国で盗みを働いていたようですよ。……祖国を豊かに。それをスローガンに、あっちで盗みこっちで盗み。その戦利品の少しは、探険して見つけたとか適当な嘘を付いて国の王に渡し。残りは自分達の元に置いていたみたいですね」
――けれど仮にも王様でしょう?他国の盗人騒動、聞いてないのでしょか?
――どうして、自分の国だけは平和だと。疑問に思わなかったのでしょうか?
――隣国の者たちはあんなに厄災に悩まされて、必死にこの国に助けを求めたのに。誰一人、他国の者を助ける人はいなかった。
――助けようと思えば、助けられたのに。
――突然現れた聖女に誰も、疑問を持たなかったのでしょうか?
――少なくとも、隣国はこの国を恨んでいたでしょうね。
――だから……とラティエルは続ける。
「お兄様も仰っていたでしょう?各国も喜ぶって。だから、お父様は何も気にすることはありません。これは自分の幸福しか望まなかったこの国への『罰』なのですから」
彼女はどこまでも優しく微笑んでいた。
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