06 神様の父になりまして。



 「アズエル!アズエル!!」

 『‴なんですか‴』


 掴みかかる勢いで、アズエルに詰め寄る。

 そんな悠真を前に、アズエルはただ笑みを浮かべ小首をかしげる。


 あまりに白々しい。今、自分が何を言いたいか分かっているだろうに。

 その様子に顔をしかめ、それでも懇願するように彼の肩をつかんだ。


 「私を緑溢れる国へ連れて行ってくれ!」

 『‴なぜですか‴』

 「分かっているだろう!」


 ――ラティエルを止めるためだ!

 その声が遠くまで響く。

 ついさっき彼女は、

 「死は最大の幸福だ」なんて抜かした彼女は、一人この地を飛び去って行った。隣の国、緑溢れる国に。干ばつで国全土が苦しんでいる国に。


 嫌な予感がする。嫌な予感しかない。

 彼女はきっと、いや、絶対に誰かを殺めるだろう。

 彼女が馬鹿な真似をする前に止めなくてはならない。


 しかし、悠真には隣国へ行く手段がない。彼には空を飛ぶ羽も、魔法も存在していないのだから。今この瞬間、頼れるのはアズエルしかいないのだ。


 「たのむアズエル!私はあの子を止めなくてはいけないんだ!」

 アズエルを掴む手に力が籠められる。

 自身の肩に置かれた手を横目で見据え、アズエルは小馬鹿にしたように鼻で笑った。


 『‴あなたには無理だと思いますよ‴』

 「………え?」


 肩を掴む手が緩まる。

 瞬間、アズエルの手がまるで汚らわしいものを扱うように悠真の手を払う。

 ラティエルと良く似たアイスブルーの冷たい瞳。背筋も凍るのではないかと思える、視線が悠真に突き刺さる。彼の整った口元が三日月のように吊り上がった。


 『‴貴方にはあの子は止められませんよ。悠真様‴』

 「なにを…。」


 悠真は思わず言い淀む。

 この世界にきて久しぶりに聞いた自身の名前。しかし、何を怯える必要があるのだろうか。アズエルは唯一、悠真の存在を覚えている人物だ。


 だが、彼はどうして今ここで悠真の名前を出したのか。それも、何故ラティエルを止められない等と断言するのか。分からない。


 「なぜ、そんなことが言える!」

 ふり絞った声が、かすかに響く。

 アズエルは口元に手を添え、小さく笑みをこぼす。


 『だって、貴方は私たちの父親ではありませんから』

 それはあまりにも、無情で冷たい言葉だった。


 胸に痛みが走る。まるで鋭い刃物が突き刺さったようだ。「違う」否定を口にしようとして、その言葉が喉の奥で押し留まる。


 違う。

 「違う」?

 いいや、違わない。


 「私は………」

 『‴言い返せないでしょう?貴方は私たちの父バロンではない。どんなに《バロン》の記憶を持とうが、姿同じであろうが、貴方は私たちの父親ではない上城悠真という他人だ。だから貴方に彼女は止められない‴』


 悠真の想いを裏付けるように、アズエルは冷酷に発した。


 ああ、そうだ違わない。

 悠真は兄妹の父親バロンではない。


 バロンの姿をし《記憶》を携え彼の子を想う気持ちがあろうとも。自我は、自我だけは上城悠真という一人の平凡な男の物だ。ラティエルは娘だ。娘という《記憶》があり大切に想う気持ちも確かに存在するが、実のところ本当に娘として見たことは多分、無い。何故ならそれは《バロン》の物で悠真の物ではないからだ。


 今までは、この世界に理不尽に連れてこられ、行く当ても帰る当てもないから、ただ何となく“記憶”と“想い”に身をゆだね過ごしていたにすぎない。


 それでも、それでもだ。

 彼女の凶行を止めない理由にはならない。


 「だからなんだ!確かに私は君たちの父親ではないかもしれない!だが、それはお前もよく知っているだろう!私は、俺はお前たちに理不尽に化け物にされ、この世界に連れて来られただけなのだから!父親にしたのはお前たちだろう!だけどな、それが何だというんだ!人殺しを止めない、止められない理由にはならない!!」


 久しぶりに、自分自身だけの言葉を発したような気がした。

 父親だろうがなかろうが、今この状況で自分がすべきことは何一つ変わらない。

 今すぐラティエルを追いかけ、止めることだ。

 そんな悠真の言葉にアズエルは再びクツクツと笑う。


『‴そうですよ。私たちは人間の貴方を化け物にし、この世界に連れてきました。父上の《記憶》と魔力を貴方の身体に無理やり埋め込んで。もう、体は一生元に戻らないでしょうね。……しかし、父親ではない、か……‴』


 悠真の身体が強張るのが分かる。同時に怒りがじわじわと溢れ出す。身体が元に戻れないのは何となく察していた。しかし、元凶に肯定されると酷く腹立たしい。

 だから気づかなかったのかもしれない。彼が一瞬見せた表情を。


 ――だからなんだ。今は関係ない。さっさとラティエルの後を追え!


 そう、怒鳴りつけようとして、その言葉は突然上がったアズエルの笑い声に掻き消された。何が面白いのか、アズエルは腹を抱え目に涙を浮かべるほどにケラケラと声を上げる。暫く笑い、彼は悠真をまっすぐに見据えた。口元に笑みを残したまま、ゴミか虫けらでも見るような冷たい目で。


 『‴馬鹿でしょう。《父親》ではないから止められないのではありませんか。彼女は、私の創造主は父親の言葉しか耳を貸さない。母の中で特別なのは《父親》《バロン》だけなのだから!それ以外はただの可哀想な玩具にしか過ぎない!‴』


 だが、その声は表情と裏腹に、まるで今までの気取るような態度を壊すかのような大きく、心底人を馬鹿に

したように。しかし、どこか嫉妬と悲痛が混ざったような声色だった。

 だが、それもほんの一瞬の事。悠真に口をはさむ暇など無かった。

アズエルは目を細め、首をかしげいつもの口調で問いかけてきたのだから。


 『‴そもそも、何故貴方はそこまで彼女を止めたいのですか?他人の子なんてほっとけばいいのに。それとも死を幸福と呼ぶような子すら見捨てないのは貴方の世界では普通なのですか?‴』


 その問いに出しかけた声は発せられる前に消えた。何も言えない。

 アズエルの問いに答えをつけるとしたら。「いいえ」だ。


 人殺しや自身とあまりにかけ離れた狂った思想を持つ者と親しくできる者など、偽善者か、とんだお人よしでしかあり得ない。普通ならば、どんなに親しくしていても悪人とは、ましてや人を殺すことを幸福と呼ぶ相手なんかと仲良くは出来ない。


 悠真は限りなく普通だ。

 知り合いになれば出来るだけ仲良くするが、それが人殺しをするような人物となれば距離を置く。関わりたくもない。恐ろしく、理解もできそうにないから。


 なら、何故ラティエルはほっとけないのか。こんな簡単に国一つを潰す計画を企て。“死が最大の幸福”その言葉も理解できない。実の娘でもなく、ましてや自身を酷い目に合わせた元凶。


 なのに。何故自分は、彼女をほっとけないのだろうか。

 それこそ一人の化け物の《記憶》や《想い》のせいだろうか。だが、何故だろうか。それは違うと頭が叫びたがる。

 ただ、ただ、彼女を、ラティエルを止めたいのだ。


 「………父親」

 『?』

 「私が、本物の父親……《バロン・ドゥ・ディユ》になれば、追ってくれるか?」

 『は?』

 「私の中には《バロン》の《記憶》と《想い》がある。私は自身を捨てて、それに全て身をささげる。だから――」


 ――ラティエルを追ってほしい。


 アズエルは息を呑み驚くのが見て取れた。当たり前だ、悠真という人物の全てを捨てるというのだ。他人でしかなく、狂気に呑まれた少女一人のために。それこそ到底、理解できるものではないはずだ。アズエルは目を細める。その口元にすでに笑みはない。

 悠真をじっと見つめ、小さくため息をついた。


『‴馬鹿ですね。家族ごっこにほだされましたか?食事ぐらいしか家族らしいことはしていないのに‴』

「………」

『‴……でも、まぁ良いでしょう。……《父親》は何があっても必要ですから……‴』


 アズエルの黒々とした大きな翼が広がる。

 ひとたび羽ばたけば、砂が舞い上がり同時にアズエルの身体は宙に浮き、悠真の腕をつかみ抱え上げた。羽ばたきと共に悠真の身体は空へと舞いあがり砂原はどんどん遠ざかっていく。


 『‴………褒めてあげてください‴』

 空の上でアズエルは突然、呟くよう発した。


 『‴今回の事も全て、あの子は貴方に褒めて欲しい一身で計画したんです。だからいつものように抱きしめて褒めてあげてください。「頑張ったね。凄いね」……そう言って頭をなでて、帰ろうと言えば、それだけであの子は素直に言うことを聞きますよ‴』


 それは、きっと助言だ。

 それが、二人の父、ラティエルが望む《バロン・ドゥ・ディユ》なのだろう。

 悠真はきつく拳を作り、覚悟を決めたようにきつく目を閉じた。


 『‴……子を殺して自身も死ぬ。そんな選択もありますけどね。……そちらの方が父親らしい……‴』

 「!」


 アズエルのぽつりとつぶやいた一言に悠真は顔を上げる。

 ちらりと此方を見下ろす彼は、先ほどと同じ冷たい目をしていた。


 『‴おやおや‴』


 追求する前にアズエルは視線を前に移し困ったように小首をかしげる。つられて悠真も前を見る。遠くの方に何か見える。茶色と緑の斑模様にどこまでも広がる大地。緑溢れる国に到着したらしい。

 そんな斑模様の中、いやに目立つ赤色の何かが見える。


 アズエルが降下を始めた。

 近付くにつれ鮮明に見えてくる赤色の正体。身体が硬直するのが分かる。


 黄金色の髪も真っ白な肌も、白いドレスもどす黒い赤に染め上げて大きな赤い鎌を手にする少女の姿。


 彼女の目の前には小さく震える仔馬がいた。

 仔馬の大きな黒い瞳に真っ赤な天使が映る。

 瞳の中の天使はどこまでも慈愛深く微笑み、大きな鎌を振り上げた。


 「ラティエル!!」

 「………」

 鎌は振り下ろされる瞬間に止められた。

 少女がゆっくりと振り返り、何処までも澄み渡ったその瞳が鎌を押さえる悠真を映して優しく微笑んだ。彼女は意外にも何も言わない。ただ、瞳が語る。「邪魔をしないで」と。


 悠真はあたりを見渡す。ここから少し離れた場所に赤い塊が一つ。

 恐ろしい形相でこと切れている男が一人。その身体は沢山の小さな傷で埋め尽くされ、しかし同じ場所を何度も鎌で切り付けられたのか、手足は千切れかけ、それでも抵抗をつづけたのか、男の周りはまさに真っ赤な海と化していた。


 そして、仔馬の近くにも死骸が一つ。元はきっと白かったのだろうその身体を真っ赤に染め上げた雌馬。

 だらりと舌が口から飛び出し、目は両方つぶれ、男と同じ、体中小さな傷で埋め尽くされていた。

 仔馬はその側で逃げることなく震えていた。


 「ラティエル……」

 「仔馬が可哀想でしょう?一人ぼっちで。生きるすべもない」

 悠真の言葉を遮るようにラティエルが呟く。

 自身の心拍が早くなるのが分かる。

 真っ赤な彼女から赤い液体が滴り落ちる。鉄臭い。


 「こんな――」

 こんなことはだめだ。そう言いかけて、またその言葉は消えた。

 彼女に悠真の言葉は届かない。届くはずがない。先ほども届かなかったではないか。

 けれど、彼女にはこれ以上、惨劇を続けてほしくない。


 ――褒めてあげてください

 アズエルの言葉が頭の中で木霊する。

 そう、そうだ。褒めればいいのだ。《父親》として。


 「頑張ったね。凄いよ」

 そう言って、抱きしめて。頭をなでて、帰ろうと微笑めばいい。そうすれば、彼女は止めてくれるはずだ。


 悠真はラティエルの小さな肩に手を伸ばす。


 「ラティエル」

 膝をつき小さな身体を優しく抱きしめる。

 鎌を持つ手が緩まるのが分かる。


 「す、ごいね」

 声が震えるのが分かる。

 腕の中で、彼女の息を呑む音が聞こえる。

 そうだ。このまま、このままでいい。


 このまま褒めて、褒めて、褒めて、そして帰ろうと囁けばいい。

 そうだ。《記憶》が語る。そうすれば、彼女は元の見せかけは良い可愛い娘に戻ってくれる。

 昔からずっと、そうして彼女を守り続けていたのだから。

 《バロン》はこの方法で彼女たちを育ててきたのだから。


 ――本当にそれでよいのだろうか?


 褒めて、褒めて、褒めるだけ褒めて、そうすれば彼女は凶行を止めるかもしれない。

 しかし、それは本当に止めたと言えるだろうか。


 ――子を殺して自身も死ぬ

 ふと、アズエルの言葉が蘇る。

 今の悠真には強力な魔法がある。ラティエルの胸に手を当てる。

 今この瞬間、彼女を殺す。悠真の今の魔法ならば殺せるかもしれない。

 それこそが、この世界のため彼女のためになるのではないか。



 ――どうして貴方はそこまであの子を止めたいのですか?

 再びアズエルの言葉が頭をよぎる。

 本当に、どうして何故、自分は彼女を止めたいのだろうか?


 「……それも、いい選択かもしれませんね」


 腕の中でラティエルがまるで全て理解したように小さく呟いた。

 ドキリと心臓が跳ね上がり、悠真は彼女を見た。


 「自分でも理解しているんですよ。私は壊れているって。……だから、これはこれで良いのかもしれません。だから、どうぞお父様」


 

 ――殺してみてください。



 彼女は何時ものように何時も日常で悠真に見せるように愛らしく笑った。


 それがあまりに悲しくて、寂しくて、苦しい程に胸が締め付けられる。

 あの時彼女の左顔を見た時と同じ感覚だ。


 彼女が狂っていることは分かっている。

 止めなくてはいけないことも分かっている。

 だけど、

 だけど、

 だけど。


 ――親に「殺して」だなんて言わないでくれ。



 ……ああ、そうか。

 ふと、今までの疑問の答えがすとんと悠真の中に落ちてくるのを感じた。


 どうしてほっとけないのか?


 確かに悠真はバロンじゃない。彼女たちの望む父親じゃない。

 無理やり父親を押し付けられた一般人で。過ごした時間も短く、家族として過ごしたと言えばアズエルの言葉どおり一緒に食事をしたぐらいだ。



 ――それでも、そんな短い時間でも、楽しかった。


 その笑顔を見ているのが、楽しくて、ずっと見守っていたいと心から思えるほど。笑顔だけじゃない。

 彼女は何に対して怒るのか。何に対して悲しむのか。何をすれば喜ぶのか。もっと知りたい。

 怒った顔も悲しむ顔も喜ぶ顔も驚く顔も、もっと沢山見たい。見守っていきたい。

 自分は父親じゃない。そう思っていたけれど、



 ――だけど、本当は、彼女達の父親になりたいと願い始めていたのだ。

 バロンとしてじゃない、上城悠真という男として……。



 「どうして彼女を止めたいのか」

 その答えは簡単だ。

 大切だから、娘だから、止めたかったのだ。

 他にはない、それだけだ。


 もしかしたら、この想いは《バロン》の物なのだろうか?

 違うと思いたいが、正直な所もう分からない。

 ああ、だが、もういい。悠真は目をつぶる。


 この想いが誰の物か、分からない。分からないが、すべて受け入れてやる。

 バロン、悠真のどちらの物だとしてもラティエルを愛おしいと思う気持ちは本物だ。

 それ以外の気持ちは無い。

 悠真はどうしようもなく。



 ――ラティエルの父親だったのだから。



 だけど……。

 『悠真』は《バロン》のように褒めるだけの父親にはならない。

 彼女の望む父親なんぞにはなってやらない。



 「――ラティエル、君は、すごく最低だ。」

 「!」


 悠真の突然の一言にラティエルは身体を硬直させた。

 刹那、彼女の小さな身体を突き放し、悠真は左手を振り上げる。


 草原に響く乾いた音、悠真がラティエルの頬を叩き飛ばした音。

 小さな身体が、衝撃で倒れこみ、右頬を押さえながら、その右目は呆然としている。


 後ろから、ぱちんと指の鳴らす音がする。

 瞬間、悠真の身体に激痛と共に無数の刃が突き刺さった。見ずともわかる。アズエルだ。激しい痛みが身体全体を襲う。すさまじい痛みで、どう見ても致命傷だが、この身体はこのぐらいでは死なないらしい。


 だが、悠真は力を籠め、ふら付きそうな体を支える。

 この痛みは罰だ。兄妹の言葉にまんまと騙され人を沢山殺めてしまった。

 全く足りないだろうが、今はこの痛みを罰としよう。


 痛みをこらえ、悠真はアズエルをにらむ。

 「お前はそこで黙って聞いていろ!ドマザコンドシスコン!!受け入れるだけで支えることも知らない馬鹿が!!」


 自分でも驚くほど、ドスの利いた声が響く。

 その迫力の為か、アズエルは大きく肩を震わせ振り上げていた手を下した。


 悠真は再びラティエルを見据え、手を伸ばす。動くたびに身体から青い液体が溢れ出し思わず顔をゆがめたが、痛みを我慢し彼女の肩を掴む


 「今、君を叩いたのは自分勝手な考えを押し付けて人を傷つけたからだ」

 まずは、叩いた理由をちゃんと説明しよう。それがまず第一歩だ。


 「ラティエル。聞いてほしい。」

 静かな声が響く。ラティエルは抵抗することはなかった。


 「……俺は、死はとても怖いものだと思っている。」

 アイスブルーの瞳がゆっくりと悠真を映す。何を考えているかは分からない。


 「君は自分が死ぬところを想像したことはある?俺は、一回だけあるよ。……でも、しっかりと想像できなかった。死んだことないもの。当然だよね。あまりに未知で、未知すぎて、何も分からなかったよ。――ただ、何となくだけど怖いと思った。」

 悠真の手にさらに力が籠められる。


「――けど、あの時公園で、君たちに横腹を突き刺されたとき、本当に死ぬかと思った。痛くてたまらなくて言葉に言い表せない程、怖かったよ。死ぬとき走馬灯がよぎるって言うけど嘘、かもね。俺の身体はそんな事よりも、死にたくない。生きたいってただそれだけを叫んでいたから」

 ラティエルの瞳が大きく揺らめく。


 それが酷く悲しく見えて、何故か無性に彼女を抱きしめたくなった。

 だけど、抱きしめてはあげない。抱きしめるという行為は彼女にとって、それは「褒める」という行為だろうから。

 今は、褒めたりはしてあげない。


 それよりも彼女には言わなければいけない。

 その言葉が届くか分からないが、自身の言葉で、自身の考えで、否定するのだ。


 「死は幸福じゃないよ。死に幸福なんてない。死ねば全部なくなっちゃうんだ。幸福なんて感じる暇なんてない。死は不幸でしかない。だから俺は君の考えに賛同することも、君がすることを褒めることもできない」

 悠真は一瞬、口を噤む。


 呆然としているラティエル。彼女はこの先の言葉にどんな反応をするだろうか。

 拒絶するだろうか。

 泣き叫ぶだろうか。

 怒るだろうか。


 いいや、考えても仕方がない。

 これは悠真として決めた事なのだから。


 「だって、俺は君の父親だけど、《バロン》ではないから。これからは俺らしく君たちを育てていこうと思う……!」



 ――悠真は胸を張って、そう宣言した。



 ……。



 静寂が流れる。

 ラティエルもアズエルも何も言わなかった。悠真はだんだん不安になってきた。


 自信満々に言ってみたが、今のこの発言。危険ではないか?ラティエルは異常なまでに父親バロンに執着している。今の発言を聞いて泣き叫ぶとか、拒絶じゃなくて、それどころか命の危険性はないか?


 現に後ろのアズエルからは氷のような視線が送られている。

 というか、今にも魔法を使おうとしている。

 正直さっきの魔法。結構、かなり痛かったのに。


 「アズ……」

 「お兄様」


 取り敢えず、アズエルを止めるべきかと思った時、悠真の声を遮るようにラティエルが声を上げた。アズエルはどこか憎々しそうに手を下す。

 前を見れば、ラティエルが顔を上げている。



 「……お父様の考えは分かりました。この子を導くのは止めます。それで、他に私にどうしてほしいのですか?」

 何時ものように、変わりなく愛らしい慈愛に満ちた微笑を湛えて。

 正直、悠真は焦った。


 悠真の言葉に何か追求することもなく、あまりに当たり前に悠真を父と受け入れニコニコと微笑んでいるラティエル。正直、悠真の言葉に理解してくれたようにも見えない。何を考えているか分からない。


 しかし、取り敢えず。そうだな。何をしようか。考える。

 思いついたやるべき事は一つ。


 「埋葬。埋葬しよう。この人たちも、リル・ディーユの人たちも。魔法は使わずに。」


 再び、暫くの沈黙が流れる。

 『‴は!?なんの……!‴』

 「分かりました。お父様のおっしゃる通りにしましょう」

 アズエルの不満げな言葉を遮ったラティエルの声色はどこまでも優しかった。

 

  ◇


 「アズエル!魔法は使うな!!」


 砂漠と化したリル・ディーユで体中包帯だらけの悠真の怒号が響く。

 あれから数時間。今はこの国の亡骸を丁寧に埋葬していた。魔法は使わず、一人ひとり丁寧に。といっても、巻き上がった砂で亡骸のほとんどは埋もれてしまっていたが。それでも出来るだけ、全員。


 悠真の怒号に全身砂まみれで、片腕を振り上げていたアズエルは不服そうに憎々しそうに悠真をにらみつける。

 だが、反抗はしないようだ。


 渋々といった様子で膝をつき、ぶつぶつ文句を言いながら穴を掘り始めた。悠真の隣で同じように砂まみれになったラティエルがアズエルの様子に優しく目を細める。アズエルは悠真の命令というより、ラティエルがいるから言うことを聞いていることは伝わった。


 まぁ。アズエルに関しては、今はそれでいいかと悠真はため息をつく。

 悠真は隣で亡骸を埋葬するラティエルを見た。問題は彼女だ。


 「あの、ラティエル」

 「はい?」


 声を掛ければ、彼女は手を止めこちらを見据える。しかし声を掛けたものの、何を話すべきか。何も思いつかない。

 暫くの沈黙。

 

 「君は私が父親で異存はないのかい?君の考えを否定して。その、私は《バロン》じゃないわけだけど……」


 考えたすえの問いはいきなり核心をついてしまった。内心焦りながら隣を見る。今気づいたのだが、いつの間にか口調が元に戻っている。

 そんな悠真に対し気にも留めてない様子でラティエルは小首をかしげて相変わらず微笑んでいた。


 「異存も何も、お父様でしょう?」

 「え?ああ、そ、うだね」


 ラティエルの様子を見て、そういえばと思い出す。

 彼女は自信を《神》だということを覚えていない。同時に悠真をここに連れて来た元凶だということも忘れて父親と慕っている。どれだけ悠真が自身を《バロン》ではないと宣言しても彼女には理解不能の言葉でしかなかったのか。そう思い始めてきた。


 つまり、さっきの悠真の宣言はラティエルには何の意味もない。

 大きくため息をついた。やはり一番の問題児は彼女だと思った。


 「――ですが。私、今のお父様の名前知りませんから。なんとお呼びすればいいか分かりません。」

 悠真の穴を掘る手が止まった。

 ラティエルを見る。彼女はどこか困った笑みを浮かべていた。


 「……悠真だ。悠真って言うんだ。」


 気付けば、自然と自身の名が口に出ていた。自分で自分の名を口に出すのはひどく久しぶりだ。

 そんな悠真にラティエルは優しく目を細めた。


 「……悠真様。そう、ですか。」

 悠真の名前をつぶやきながら、何かを思い出すように彼女はそっと目を閉じる。


 「……実はあの日の公園で、私に声を掛けて下さったのは貴方だけだったんですよ……?」

 「え!君――」

 「悠真様であろうと、私は貴方をお父様と呼びますよ」


 ――覚えているのか。

 その言葉は本日何度目か分からないラティエルの一言に掻き消された。にこりと微笑んで、何事もなくその場を離れるラティエル。


 そういえばと思う。彼女は《神》であることを受け入れていないだけで、この世界の 創造主であることはしっかり自覚しているのだ、悠真の事を覚えていてもおかしくない。いや、普通に覚えていることだろう。


 「なら、いやいや待て待て。覚えているのなら謝罪の一つはないのか。」――と思ったが、ため息をついて、今はそれ以上は黙っておくことにした。

 今だけだ。覚悟しておけ。家に帰ったら、みっちり叱ってやると。心に決めて。


 ◇


 全ての埋葬が終わったのはすっかり日が暮れた頃だった。たくさん並んだ墓の前で悠真は静かに手を合わせる。謝罪と。どうか、安らかに眠って欲しいと心から願う。どこか後ろ髪を引かれる想いで、悠真は再びアズエルの手によって空へと舞いあがった。


 城に帰る空の上。

 悠真は改めて我が子となった、微笑んでいる娘と不機嫌そうな息子を見た。


 娘であるラティエルは、彼女はひどく我儘だ。

 我儘で何を考えているか分からない時があって自分勝手で神様なくせに狂っていて神様らしくない。


 息子のアズエルは、彼はひどく子供だ。

 酷く嫉妬深く、家族以外に他人に関心がなく。そのくせ、家族の支え方を知らない。


 なんだか不良息子と不良娘が出来た気分だ。いや、実際に出来たのか

 なら、この子たちの父親なると決めた自分はどうするべきか。まず、これまでの事を叱ろう。良いことをしたら褒める。

 それから、自分勝手な考えを、行動を改めさせ、そうだ。


「――更生させて自立させなきゃ、な。」


 悠真はぽつりと呟いた。取り敢えず、父親離れをさせなくては。人を更生させる事は、酷く難しいことだろうが。自立の一歩だ。

 それが兄妹に出来る父親の役目ではないだろうか。

 そうとなれば、まずは何をすべきか。


 「お父様。どうなされたのですか?」


 ふと考えていると、心配そうにラティエルが此方をのぞき込んでいた。

 相変わらず、見てくれは本当に愛らしい。中身は狂人だが。

 上を向けば自身を運び飛んでいるアズエルは不機嫌そうにそっぽを向いた。やはり子供だ。



 「……今後の方針だよ。まぁ、目標かな」

 「方針?目標?」

  悠真はうなずく。


 「まず、人――生き物を遊び感覚で殺さない!今回みたいなことは絶対だめだ。」

 暫くの間。

 ラティエルは「はい」とうなずいた。妙な間があったが、信頼しよう。見張ってやるが。


「アズエルも、確か敵船を潰していたんだよね?これからは追い返すだけでいいから。侵入者がいれば捕らえて連れてくること」

 アズエルは鼻を鳴らし目も合わせてくれなかった。ラティエルに合図を送ると、察したようにラティエルはアズエルに頬笑みを向けた。しばらくして舌打ちが聞こえる。


 悠真はそれからと続ける。ここが一番大事なことだ。悠真はラティエルをみる。


 「ラティエルはまず、その厨二病を治すこと!」

 「え?ちゅうに……?」


 死が最大の幸福など絶対に許さない。少し位考えるのは許そう。けど実行は絶対に許さない。

 それまではそんな考え、厨二と呼んで馬鹿にしてやる。

 次にアズエルを見る。


 「アズエルは…」

 アズエルは?アズエルはどうしよう。何故か急に反抗期に入り先ほどから話もしてくれない。

 悩んでいるとヴァロンの黒曜石城が見えてきた。やっと帰ってきた我が家だ。ほっと心が安らぐと同時、寂しくも感じる。あの大きな城には誰もいないのだから。


 「あ、そうだ。」

 そんな城を見て悠真はあることを思いつく。


 「城に人を、使用人を雇おう!」

 「まぁ」『!?』

 悠真の一言に見て取れて兄妹は驚いた。特にアズエルはかなり不満気だ。

 というか、反対だと言葉にするよりも前から視線で訴えている。気持ちはわかる。彼は他人に興味なく、生物を死に至らしめる声を持つ。《バロン》ならここで「冗談だよ?ごめんね。」なんて、謝るのだろうが、残念ながら悠真は《バロン》じゃない。


 「文句は聞きません!これは決定事項です!まず君たちはもっと人とのつながりを知るべきだ!」

 悠真は目を細める。


 「だからアズエルは、その傍迷惑な能力を押さえなさい」


 彼にちゃんとした顔があったのなら、きっと意地悪な表情をしているに違いない。

 その一言に、アズエルの整った顔が完全に醜くゆがむ。視線が語っている「落とすぞ」と。だが悠真を落としてみろ。アズエルはラティエルに怒られるだろう。一週間は口すら聞かないかもしれない。それは嫌だろう。


 それを察してか憎々しそうにアズエルはそっぽを向く。

 そんな兄に、ラティエルは珍しくどこか呆れたような笑みを小さく浮かべていた。


 悠真はそんな兄妹に優しげに目を細める。顔があるなら微笑んでいる事だろう。


 これからの事は分からない。

 正直、この狂った神様を更生できるのか不安でしかない。

 それでも、悠真はそんな神様の父親になると決めたのだ。


 それならば、自分らしく、少しずつで良い。

 この子たちを、彼女を立派な神様に育て上げよう。

 そう心に決めて。



 ――神様の父親になった男は、朗らかに笑うのであった。






~神様の父になりまして。 プロローグ終~

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