08 変わった日常で天使は微笑む



 「まったくアズエルは!なんであんな子に育ったかな?」


 悠真はアズエルに対し怒りを募らせながら庭先にいた。

 あれから、アズエルは逃げるように去っていてしまった。


 ルルーシカの事はルビーが自分に任せておいてほしいと引き受けてくれたのでお願いしてある。男のユーマが話すより女同士の方がよいと思ったからである。

 なら自分はアズエルを見つけ出して、もう一度叱りつけるべきだと判断したのだ。


 そんなこんなで、ユーマは今アズエルを探し庭にいる。アズエルが自室にも広間にも城の中には何所にもいないのだから仕方がない。この庭にいなければ、街にでも逃げたのだろう。

 覚えておけ。夕食はあいつの苦手なものを沢山入れてやるっと心に決め、ユーマは庭にいる。


 「ラティエル様!!おやめください!!私がやりますから!」


 突如として、庭に真面目そうな女性の声が響き渡った。

 ユーマは驚き声がした方向に身体を向ける。彼の視線の先に立っていたのは二人の人物。ラティエルと傍には慌てふためく女性がもう一人。しかし、その女性は人の姿をしていない。


 全身が美しい深緑の鱗で覆われ、腰下から生えた長い蜥蜴の尾。長い指先からは鋭い爪を覗かせ。ピンっと建った背筋に引き締まった豊満な女性らしい身体。そして、竜のような頭と二本の角。金色の瞳

 蛇人間リザードマンだ。名前はアグラーシェス。アグリーと呼ばれている。


 彼女も城で雇った使用人の一人である。役職は兵士。その隊長を務めてもらっている。といっても平和なこの島では敵襲など無く、城の見回り程度が彼女の仕事だが、その強さは右に出る者はいないと評判だ。なんでも一人で5mは超えるサメを一突きで退治したとか。他国の船を三隻潰したとか。真偽はどうあれ頼もしい存在だ。

 そんな彼女が何故、今ラティエルといるのだろうか。


 「やぁ。ラティ、アグリー」

 声を掛けるとラティエルとアグリーは驚いた様子でユーマを見据えた。

 「こ、これはお父様。ごきげんよう」

 「ゆ、ユーマ様。ごきげんよう」


 2人そろって礼儀正しく小さく頭を下げたが、その様子はやはりおかしい。良く2人を観察すれば、ラティエルの足元に割れた花瓶が詰め込まれた木箱が存在した。

 なんてことない、メイドの一人が今日割った花瓶達である。怒られる前にラティエルに治してくれと頼んだのだろう。今までアズエルのせいで忘れていた問題が思い出される。

 そう、メイド掃除下手問題。


 「ラティ、これは誰が割ったのかな?」

 「え、ええと」

 「これはルルーシカです。」


 ユーマが問うと、ラティエルは見て取れて焦り始め口籠り、それを遮るようにアグリーが迷うことなく犯人を摘発した。どうやらルルーシカ、カーテンの他にも余罪があったらしい。しかも「これは」とは?

 このほかに、割った人物がいるのか。なんにせよ、ラティエルは犯人を庇い立て、庭でこっそりと花瓶を治そうとしていたわけだ。


 「あのね、ラティエル。ルルーシカを庇おうとしたのは、まぁ、いい事だと思うけど。限度があるよ?」

 「私もそう思います。そもそも、本日だけで10件目です。私たちは貴女方に雇われた身。貴女はもっと厳しくしてもいいかと思いますよ!」


 ユーマの言葉にアグリーが大きく頷く。アグリーは酷く生真面目だ。他人を簡単に庇ってしまうラティエルの行動が許せないらしい。嫌、しかし本日10件は流石に多すぎではないか。アグリーの言葉は正論にしか取れない。

 そんな二人の前でラティエルは困ったように小首をかしげた。


 「しかし、ルルーシカ様は昨日もカーテンを汚しましたし。私の差し上げた指輪も無くされたようですし、減給は免れないと思いまして。そこに、この花瓶の数となりますと更に減給されかねませんので…」


 よく見ているではないか。

 確かに、この割れた花瓶の数は異常だ。ユーマならまだしもアズエルにバレたりすれば減給対象であろう。カーテンも指輪も事実であるし。どうやらこれ以上はルルーシカが可哀想でこっそり庇っていたらしい。


 ユーマは再び悩まし気に額に手を当てた。庇うことは悪いことではないと思うが、それが過ぎるのも良くない。ラティエルをどう諭すべきか考える。


 「安心して、ルルーシカの減給はしないから。でもね、アグリーの言う通りだよ。庇ってばかりじゃだめだ。それはルルーシカの為にもならない。それに君が治す前に誰かに花瓶が足りないことがバレてしまうかもしれないよ」

 「ですが……」


 「そしたら犯人探しだ。城中の使用人たちを疑わなきゃならない。君もつらい思いをするんだよ?」

 「いえ、私はルルーシカ様が怒られずに済むのなら辛いなど感じませんよ?」

 「………いや、そうじゃなくて」


 ユーマの言葉にラティエルは聖母がごとく優しく微笑んだ。どうやら心からの言葉らしい。

 全く、殺戮病すら発症しなければ本当に聖女か天使そのものなのに。

 しかし伝えたいのはそういう事じゃない。ユーマはチラリとアグリーに視線を送った。


 「えーと。私たちが使用人を疑い犯人を捜す。そしたら、他の使用人はどう思うかな?」

 「………あ、凄く嫌な気分になりますね。主に信用されない等、それはもう悲しいです。そして、真犯人も許せません。私なら張り飛ばします。」


 どうやらアグリーは察してくれたらしい。少々やり過ぎな気もするが。しかしラティエルには十分に伝わったようだ。その表情は悲しそうな色に染まった。


 「そう、ですね。犯人探しなんて、犯人扱いされた方々は悲しくなりますよね。私、ルルーシカ様だけでなく他の皆さんの気持ちも考えるべきでした」


 ラティエルは小さく「ごめんなさい。」と呟いた。分かってくれたならいい。ユーマは目を細める。正直、「そもそもそんなヘマはしません」や「私が身代わりになります」等と言われるのではないかと内心不安であったが、いらぬ心配だったようだ。

  

 「………どうせ言ったところで“そういう事じゃない”、“君が身代わりになったところで意味はない”と言われるのが落ちですからね。」

 「え。」

 「ハイ、なんですか。お父様。」


 ラティエルの発言に思わず顔を見る。完全に今、心を読まれたような気がする。

 そんなユーマを気にする様子もなくラティエルは割れた花瓶を見た。


 「これからは花瓶を割ってしまった方には、こう言いましょう。私も一緒に謝るので素直に謝りに行きましょうと。」


 これでよろしいでしょうか?と小首をかしげての愛らしい微笑み。完全に誤魔化された。

 ユーマはまじまじとラティエルの顔を見つめる。いつも通りの笑顔、慈愛に満ち、嘘偽りのない完璧なまでの笑顔だ。

 ユーマは大きくため息をついた。


 「そうだね。それが良いと思うよ。」


 確かに間違った判断はしていないようだ。ユーマは目を細め優しくラティエルの頭をなでた。さらさらふわふわとした彼女の髪はとても心地よい。ユーマに褒められてか、ラティエルも嬉しそうに目を細め小さく耳を動かす。その笑顔は本当に愛らしい。


 ただ、思う。本当に表情が読み取れない子だと。

 これもまた三か月で判明したこと。正直、ラティエルの表情を読み取るのはかなりの難問だ。というより、あからさまに分かりやすいが、異常なまでに分かりにくい。


 もっと簡単に言えば、嘘を付くのは馬鹿みたいに下手糞で分かりやすいが、それ以外の感情は全く読み取れない。しかし、こうして喜びは全く隠すことなく露になっているのだ、ポーカーフェイスと言うわけでもない。


 問題なのは、笑顔。

 このいつも、ニコニコニコニコ浮かべている慈愛に満ちた笑みのせいだ。

 人前に出ると癖のように浮かべるこの笑顔。嘘や偽り等ない心から浮かべているこの笑顔。


 「皆我が子のように愛している。」狂っているが、その言葉は心からの本心らしい。

 彼女の本性を知らない相手からすれば、まさに聖女であるが、本性を知るユーマからすればこれ以上のない大きな壁である。



 「ま、まぁ。本心みたいだし、いいか」


 ただ、今はたどり着いた彼女の判断には嘘や偽りは見当たらない。ユーマの小さな一言にラティエルはやはり何時もと変わらない笑顔で頷くのであった。

 しかし、その和やかな時間は僅かな事。


 「あの、何を納得されているのですか?」


 今まで黙っていたアグリーの言葉にラティエルの表情は変わることとなる。

 

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