10 初めての仕事 3



 「ねぇ本当に大丈夫なの。これ。」


 ユーマは牧場から少し離れたところで一人立っていた。

 手には棍棒。ただそれだけで、周りには誰もいない。


 正確に言えばディアーミカからは「あそこらへんで立っていてください。」と適当に指をさされて放置されてしまった。指された先に一本の木が有ったので今はその下にいる。


 一応ユーマはあの精霊ニンフ二人の雇い主で有るのだが、先ほどから少々扱いが雑ではないか。今は精霊ニンフ達は雇い主でもあるが。


 ただ忙しそうに収穫の仕事をし始めた精霊ニンフ達に声を掛けるのも忍びなく、ここにやって来たのだった。しかしやはり心配になる。本当にコレで良いのか。ここでいいのかっと。


 ディアーミカ曰くモンスターはユーマの姿を見るだけで逃げていくというがそれは本当だろうか。いくら“記憶”をあさっても、そんな“記憶”は存在しないのだが。


 もし精霊ニンフ達の勘違いであるなら、この状況は危なくないか。棍棒一つでどこまでやれるか。やはり鉄の剣ぐらいは欲しかった。なんてさっきから何度も考えているわけだ。


 「ていうか、モンスターって何?何が来るの?」


 よくよく考えてみれば、今から追い払わなければいけないモンスターの姿どころか名前すら知らない。どんなモンスターが来るかぐらいは聞きに戻るべきか。


 ――そんな事を考え始めた時だった。


 ユーマの立つ、その先。緑の草原が広がる丘の上。そこに何か見たこともない物体が現れたのは。


 ソレらは様々な色をしていた。

 赤、青、オレンジ、黄色、緑、ピンクに紫、黄緑。

 鮮やかでカラフルで、しかし水のように透明で太陽の光がソレの身体に当たりキラキラ輝いている。

 大きさはさまざまだ。小さい物がいれば中くらい、大きい物もいる。ソレらがぴょんぴょん飛び跳ねながら近づいてくるのが分かった。


 まん丸で、プルプルしていて。でも目とか鼻とか口とかそういう物は一切存在してなくて。

 どう見てもソレはモンスターだった。

 だってそれは間違いなくどうしようもなく。現代のゲームでよく見るモンスター。――「スライム」なのだから。


 「………え。いや気持ち悪い。」

 大きな問題があるとすればその量である。

 ユーマは思わず口走った。


 丘の上。プルプル震えるスライムたちは10匹や20匹じゃない。丘を埋め尽くさんばかりプルプルプルルンと跳ね回っている。ぱっと数えただけで100は超えているだろう。

 そんなゼリーの大群がぴょんぴょん不規則で跳ね回っているのだ。しかも迫ってきているのだ。触ったら気持ちよさそうとか美味しそうとか考えている暇はない。


 そして、こんなプルプルのスライムたちだが、精霊ニンフ達からすれば大問題な存在でもある。

 なにせこの世界のスライムたち。透明でプルプルのくせして、かなりの大食いで新鮮な甘い野菜が大好物なのだ。その上、透明なくせして知能がそこそこ高いのだから。


 そんな大量スライムたちと対峙する羽目になったユーマ。これは本当に襲われないだろうか。大丈夫なんだろうな。彼がそう思ってしまっても仕方がない事だ。

 それでもユーマは「コレは仕事だ。」そう言い聞かせ腹をくくって棍棒を握りしめる。


 一匹も通さない覚悟で、そして自身はスライムたちに揉みくちゃにされるのを覚悟して。

 やっぱり鉄の剣がよかったと今日何度目かも分からない我儘を頭に浮かべて。



 ――プルるんっと。

 そんなスライムたちの動きが止まったのは、棍棒を握りしめるユーマの姿を彼らが無い筈の目に映した瞬間だった。


 あんなに不規則に跳ね回っていたスライムたちが一斉にピタリと動きを止めるのが分かる。

 まるで何かを確認するようにプルルンっと、連携してまるで大きな波を創るように全スライムが動く。


 そして、プルプルプルプル振動し始めたかと思いきや。

 スライムたちは一斉に後ろを向いて、逃げ出した。


 それはもう大慌てで、迫っていたときよりも数段早く、かなり慌てまくっているそぶりで

 その慌てぶりは見ている側からすれば正直滑稽だ。少し可愛らしくも感じてしまう程に。…いや、やっぱりどこか気持ち悪い。


 ユーマは唖然とその様子を見ていた。っと、その時一匹のスライムが転がり落ちてくるのが見えた。ない足でも滑らせたか。

 コロコロコロっとドングリの様に坂を転がり落ちたそれは、ユーマの足元で丁度止まった。


 見下ろせば、その透明な物体がプルプル震えているのが分かる。

 大きさからして子供だろうか。


 どうしようかと少し悩んで、取り敢えずおずおずと手を伸ばす。

 ユーマの手が触れる直前、子スライムは「ぴー」と大きく何処からともなく叫び声を上げた。


 びくりと跳ねるユーマの手を転がりよけて、慌てたように体を起き上がらせると大きく跳ねてユーマから距離をとる。その場に固まり、ぷるぷる震えるその姿は可哀想ですら感じた。

 だから少し考えてユーマは手を引っ込めると、ちょいちょいと手を振った。「あっちいけ。」といわんばかりに。


 伝わったのだろうか、子スライムは大きく飛び跳ねると一目散に逃げていく。

 必死に丘を登り始めたスライムを見届けながら、ユーマは小さく笑った。

 「こう見たらやはり可愛いな。」と。

 そして安堵もする。「良かった。精霊ニンフたちの言う事は正しかったんだな。」なんて。



 「いいえ。少々ニンフ達の言葉を信じすぎですね。あの数は流石に無理ですよ」


 そんな考えを真っ向からラティエルの声は否定したのだが。

 ユーマは驚く。当たり前だ。いないはずの娘の声が聞こえたのだから。

 しかし振り向けば、当たり前のようにアイスブルーの右目が此方を見上げていた

大きな杖を抱えて、ラティエルはユーマと目が合うとニコリと何時ものように慈愛深く微笑むのであった。



 「え?あれラティ?なんで?」

 思わずユーマは声を上げる。

 どうしてここにラティエルがいるのか。行く場所も内緒にして城を出たのに。しかしやはり後ろに立つのは紛れもなくラティエルだ。


 「お父様が働けそうな場所は此処だけですからね。心配なので着いてきました。」


 そんなユーマの心を読み取るようにラティエルは当たり前のようにそう口にする。

 自分が行きそうな場所を想定して着いて来たという訳か。いや、違う。


 「特定の人物に秘密を作りたいなら、本人の前で露骨に隠し事はしない事です。」

 やっぱり優しく微笑んだままラティエルはそう口にした。


 「え?いや、それよりも君はどうしてここに…」

 「ら、ラティエルしゃま!?」


 その会話は様子を見に来たルルーシカによって終わりを告げることになったが。

 ルルーシカは、慌てた表情を浮かべ二人のすぐそばまで走り寄って来ていた。もしかしたらユーマの様子を見に来てくれたのかもしれない。だが、ユーマの傍にはまさかのラティエルが立っている。驚くのは当然だ。


 それも見事に転んでしまう程に。

 見事に転んだルルーシカを見てラティエルは、まるで仕方がないわんぱく我が子を見るような瞳でルルーシカを見つめ、ユーマにはこそっと耳打ちをした。


 「残念ですが今日のお父様のお仕事はおしまいです。もうスライムたちはやって来ません。お願いして違うお仕事をもらいましょう。毎日仔馬のお世話をしているんです。ディアーミカ様にも証言をして貰ってそちらを説明すれば何かしらお仕事の一つは任せてくれるとおもいますよ」

 「ええ!?」

 「あとはお父様次第です。それでは僕は仕事終わらせてきますね。また後でお会いしましょう」


 そう言うと、ラティエルは足早に泣いているルルーシカの元に走って行ってしまった。

 色々と気になる発言を耳にしたが、結局のところ驚くばかりで何も聞けなかった。


 しかし泣きながら慌てふためくルルーシカに微笑むラティエルの姿を見て、2つの事は理解する。

 あの子があそこまではっきり言い切ったのだ。今日はもう本当にモンスターと対峙することは無いだろうと言う事と。

ラティエルに今日の事はバレていない、なんて有り得ない事だったのだと。


 後でちゃんと話をしなければと思いながら、ユーマはあたりを見渡し、動物の世話をするディアーミカを見つけ、彼女の元へと向かうのだった。


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