1章

07 変わった日常で悪魔が笑う 1



 《豊溢れる国》。

 そう呼ばれた国が無くなり早数ヶ月。

 もっと詳しく言えば三か月と十日。


 悠真ユーマが殺戮神様の父親になると決め、早くもそれだけの月日がたった。

 三か月の月日がたちユーマの生活は変わったと言えよう。


 まず、宣言通り死溢れる国ヴァロンの黒曜石城で息子娘三人と暮らしは止め、城に住み込みの使用人を雇った。給料は一月銅貨十枚と少し。島の中では少し低めの給料と言えるらしい。しかしそれは住み込みの諸々の費用を引いているからである。

 そして、もう一つ。


 ユーマは自身の名を改めた。バロンではなくユーマとして自身の名を名乗ることにしたのだ。

 バロンとしてではなく悠真として二人の父親になると決めた、彼なりのささやかな決意だ。


 今の名は《ユーマ・ドゥ・ディユ》である。

 街の者には改名したと言えば、彼らは驚いたものの直ぐに「家庭の事情だと」あっさり受け入れてくれた。ただ、悠真の発言は難しいらしく兄妹以外皆、ユーマと呼ぶが。


 「うう…。参ったなぁ」


 そんな死溢れる国ヴァロンの黒曜石城。

 広い自室でユーマは頭を抱え、早くも壁にぶち当たり悩んでいた。悩んでいる原因は愛娘である殺戮神様ではない。


 たった今、悠真の目の前、机の上に置かれた羊皮紙。そこに書かれている内容こそが今悠真の悩みの原因である。


 内容は簡単に言えば、その内容はここ一ヶ月の見積書。


 花瓶300個

 食器500個

 カーテン20セット

 絨毯張替え50回etc.


 全て買い替えて金貨千枚ほど。

 一ヶ月で使用人達、全てメイドが掃除中に壊した数々である。

 悠真の悩み。それは雇ったメイドたちが全員、満足に掃除ができないという事だ。ちなみに金貨千枚は現代金額に直すと数千万円程である。


 まぁ、壊したものはすべて兄妹が魔法で治してしまうから実質的にはお金はかからないし、この見積表は悠真個人がラティエルから相場を聞いて作った物であるが。


 「さ、さすがになぁ。困ったなぁ」

 壊し過ぎである。ユーマが頭を抱えるのも仕方がない。

 ユーマは見積書の隣にある使用人名簿を見た。今、この城に仕えているのは黒妖精エルフ精霊ニンフのメイドが六人。庭師が二人。兵士が二十人。

 街に張った使用人募集の張り紙の元、集まった者たちだ。


 元々、兄妹にもっと人とのつながりを知ってもらうために雇ったにすぎず、仕事の良し悪しは考えていなかったが、流石に壊しすぎでないかと今月初めて見積書を作ってみたのだが、壊しすぎ処じゃなかった。

 ラティエルも毎日あっちで呼ばれこっちで呼ばれ、大変なんてモノじゃない。


 庭師と兵士は別に良い。問題はメイド達だ。

 エルフとニンフは掃除下手とラティエルから忠告を聞かされていたが、想像以上ではないか。


 しかも下手なのは掃除だけ。他の仕事に関して文句はない。他の仕事と言っても洗濯や身の回りの簡単なお世話ぐらいしかないが。

 正直、給料が少ないと言っても、彼女たちの食費や支給品、仕事のへまなどを考えて給料は妥当ではないかとすら、この頃少なからず思う。


 「いや、だって誰かの上に立つなんて初めてなんだもんなぁ。だって社会人一年目だよ?デスクワークだったしさ。……はぁ、どうしようか……」

 もっと考えて雇うべきだったと思っても、もう遅い。


 「バロンしゃまぁぁ!!」

 そこへ情けない少女の叫び声が一つ。ノックの音も無く、豪奢な扉が壊れるかと思うほどの勢いで開かれた。


 開かれた扉の前に立っていたのは一人のメイド服を纏った少女だ。

 彼女は大きく肩で息をしながら、眼鏡の奥に見える大きな緑の瞳に涙を沢山ためてユーマを映していた。


 愛らしい顔が涙やら鼻水やらで、ぐしゃぐしゃになっており残念だ。と思ったのも、つかの間。

少女はわんわん泣きながら、ユーマにその華奢な体で飛びついてきた。それは、もうすごい勢いで。しかし丁寧に扉は閉めて。

 というか、ユーマと彼女の間には机があったのだが、彼女には見えていなかったのだろうか。


 「がこん!」と凄まじい音が聞こえたが。

 彼女は気にも留めず、机の上に腹這いで乗っかり、その上ユーマに抱き着いたまま泣いている。随分器用なことをする。

 そんな少女を見て、ユーマは悩まし気に額を押さえた。


 「バロンしゃまぁ!!きいてくだじゃれぇぇ!!」


 少女は目の前の主の様子を気に留めることなく、可笑しな言葉遣いと共にユーマに顔を擦り付けてきた。

 嫌でも涙や鼻水が付く。

 だが、剥しても剥しても引っ付いてくるので、もう諦めている。


 彼女の名はルルーシカ。

 なんてことない、彼女は城で雇った問題児メイドの一人だ。


 種族は、この化け物島には珍しく美しい容姿を持つ精霊ニンフ

 その為、透き通るような白い肌の愛らしい顔立ちの少女だ、なのだが…。流石ダメイド。残念な所が多々ある。


 まず、ユーマが自身の名前を改名したといくら説明しても彼女はバロンと呼び続ける。まぁソレは良い。

 次にかなり泣き虫だ。大体いつも仕事の失敗をして泣いている。

 そしてダメイドらしく家事が壊滅的に下手である。


 掃き掃除をお願いしたら、半日かけて部屋中をバケツをひっくり返したように水浸しにする。洗濯をお願いしたら、何を思ってかその洗濯物で窓を拭いている。その他多々。


 それも全て至って真面目に、天然にやり遂げるのだから困ったものだ。

 とりあえずユーマはルルーシカに声をかける。声を荒げないように細心の注意を心がけて。


 「ルルーシカ。今日はどうしたんだい。また虫でも潰そうと花瓶を叩きつけたのかい?それともカーテンで床拭きでもした?」

 「………………………していませんよ!」


 何だろうか今の間は。

 そういえば昨晩寝る前、アズエルが床に無造作に投げ捨てられた汚れたカーテンを見つけ呆れていたのを思い出す。カーテンで床掃除をするのはダメイドの中でも彼女だけだ。


 「………今月で二十回目。給料引いとくね」

 「うぎゃ!」


 ルルーシカは潰されたカエルのような声を上げだ。否定しないところを見ると事実らしい。

 正直に謝っておけば良いものを。ユーマは呆れるしかなかった。

 それはさて置き、掃除の失敗でなければ何故ルルーシカは泣いているのだろうか。なんだか、嫌な予感がする。


 「掃除のへまでなければ、どうして君はそんなに泣いてるのかな?」

 「アズエル様なのです!アズエル様のことなのです!」

 優しく問えば、彼女からアズエルの名が飛び出してきた。嫌な予感は、ほぼ確定した。

 ルルーシカは目にいっぱい溜まった涙をダラダラ零しながら叫んだ。


 「アズエル様が、アズエル様が私のこと可愛いって褒めてくれて結婚しようって言ってくれたのに!だから、家宝のペンダントあげたのに!!ほかの子とも仲良くしているんですぅ!」

 「あ、ああ…」


 嫌な予感は的中。嫌、それ以上だった。

 実はメイドの他にもこの頃問題がある。それがコレ、アズエルの事だ。


 この数か月、アズエルは見事死に至らしめる声を抑え普通に喋れるようになった。それは褒めよう。しかしだ。

 普通に喋れるようになった途端、女性をとっかえひっかえ口説くようになったのだ。


 今までは城のメイド達からは苦情は来なかったため、窘める程度で済んでいたが、だがまさか結婚詐欺まで行っているとは夢にも思わなかった。

 さて、何故そんな事になったのか事の次第をルルーシカからなんと聞き出すべきか、思い悩む。


 「あの、ルルーシカ?」

 「ユーマさーん。失礼しまぁす」


 またそんな時だ、部屋に軽いノックオンと共に何処か艶かしい声が聞こえたのは。

 ユーマの身体が跳ね上がる。声の主は瞬時に分かった。だが、もう遅い。主人の承諾も得ぬまま、扉は再び開かれた。


 「ユーマさん。お茶、お持ちしましたよぉ」


 開かれた先、立っていたのはメイド服に身を包んだ見覚えのある銀髪に黒い肌を持つ真っ赤な一つ目のメイド。

 街でレストランの女給をしていた黒妖精エルフ、ルビーである。

 その右手にはお盆があり、その上には白のティーセット。見ての通り彼女もまた、城に上がってくれた一人だ。


 そんなルビーの目に映ったのは、ユーマと机の上にいながら彼に抱き着くルルーシカの姿。彼女は一つ目を優しげに細め、にこりと笑顔。さすが元女給と言わんばかりの完璧な笑顔だ。


 そんなルビーはその完璧な笑顔のまま、何事もなく二人の元に近づき、

 お盆の上にある白いティーポットの中身をルルーシカへと注いだ。頭から。


 「あづづぅぅぅぅぅううう!!!!」

 「ちょっとルビー!?毎度毎度、落ち着いて!」


 アツアツの紅茶がルルーシカに降り注ぐ。

 満面の笑みを浮かべながら、しかし彼女の目は全く1ミリも笑っていなかった。


 「あらぁ?ごめんなさぁい。ここに害虫がいましたからぁ。駆除しようかと思いましてぇ。お湯でもかければ、消えてくれるかなぁ?って」

 「どんな駆除だい!?」

 「ああ、駆除なら火を使った方がよかったですねぇ?面倒だけど、火打石持ってこなくちゃ」

 「いやぁぁぁ!!」

 「ルビー!!!」


 ルルーシカの絶叫が響いた。

 実はルビー、いつの間にか出来た黒妖精エルフ達によるバロンユーマ親衛隊のリーダーである。


 そんな彼女がユーマに抱き着くルルーシカを見たのだ。しかもルルーシカ、何かあるたびに今回のようにユーマに抱き着いている。親衛隊リーダーならばこれぐらいするだろう。

 取り敢えず、ルビーの誤解を解くには数分はかかったのだった。


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