04 バロンの魔法 3
――魔法を使う準備が出来ましたよ。
そう、報告を受けた悠真は今、アズエルに両腕を抱えられる形で空を飛んでいた。下を見れば海。どこまでも青く、先程までいたヴァロンと呼ばれる島は既に小さい。空の上からこうして見れば、確かに噂通り島の周りを黒々とした霧が包んでいる。
そんな島から目を離し悠真はアズエルを見上げた。
「…重くないかい?」
『‴とくには‴』
悠真の問にアズエルは涼しげな顔で答える。3mもある巨体を運んでいるのだが、重さは感じないらしい。悠真は次に隣を見た。視線の先にはラティエルが小さな翼を懸命に羽ばたかせていた。
「ラティエル。これから何処に行くのかな?」
「はい。《豊か溢れる国》……リル・ディーユです。」
悠真の問いにラティエルはいつものように微笑んだ。
豊あふれる国、リル・ディーユ。《記憶》は一つして存在しない。
「そこで、私の魔法を使うのかい?」
「はい!」
次の問いには彼女は元気よく答えた。
どうやら、そのリル・ディーユと呼ばれる国が、今回悠真が初めて魔法を使う舞台のようだ。
しかしながら問題が1つ。
悠真は何故、その国で魔法を使うか理由をまだ聞いていない。あれやこれやと問う前に、アズエルは悠真を抱え空へと舞い上がったからだ。
正直、自分にどんな魔法があるか分からない今、悠真の中には不安と恐怖しかない。勿論、確かに好奇心もあるのだが、何にせよそんな気持ちで魔法は使いたくない。悠真は意を決してアズエルに問いただした。
「どうして、他国で魔法を使う必要があるのかな?」
その問いに、アズエルは悠真を見下ろすと、にこやかに微笑み答える。
『‴少し前、実は我が国に賊が入り込みまして‴』
「――え?」
賊?賊とは泥棒の事だろうか。
その、泥棒がリル・ディーユにいるのだろうか。その、泥棒に何をすればいいのか。悠真が色々と考えているとラティエルが察したようだ。
「お兄様はその泥棒から盗まれた物を取り返す手伝いをして欲しいようです」
「そう、なんだ」
安堵した。一瞬、賊とやらを見つけ出し罰を与える。等そんな恐ろしい事を考えていたが違うらしい。盗まれたものを取り返すぐらいならば人を傷つけるような魔法ではないだろう。
それに盗まれたものを取り返そうと考えるのは当然だ。窃盗の被害者は|ヴァロン側≪こちら≫なのだ。それならば、少し位強引に出ても問題ないだろう。
悠真はそう思い、ふと心に何か引っ掛かりを感じた。
「如何なさいましたか?お父様。」
「…ん、いや何でもないよ」
突然のラティエルの声、その引っ掛かりは取れないまま終わりを迎えることになる。
「――あ。お父様、見て下さい。他の国が見えますよ?」
「え?」
思考を巡らせるよりも前、ラティエルのその言葉に悠真は気を取られる事となったからだ。悠真の目に映る、ラティエルが指す先。
そこには広がる大きな大地が広がっていた。
悠真が
枯れた草原がどこまでも広がっているのが見えるラティエルがポツリと答えた。
「……《緑溢れる国》グリーンランスィア…ですね。私も初めて見ました。」
「
悠真は首をかしげた。
緑溢れる国というには、あまりにも廃れていたからだ。
枯れ果て、所々茶色の土が覗く地面。水の流れていない乾ききった小川。
地面には一頭の馬が倒れこんでおり。その傍では子馬が足を折り悲しげに座り込んでいる。また、別の場所には人間の姿があった。しかし、久しぶりに見るその姿は地面に座り込み、正直生気を感じ取れない。生きているのが辛うじて判断できるぐらいだ。
――これのどこが緑溢れる国だろうか。
その疑問にラティエルが答えた。
「最近、グリーンランスィアでは干ばつが続いていると、
「干ばつ………?」
「はい。一ヶ月ほど前から雨が全く降らないそうです」
悲しげな顔のラティエル。どうやら真実らしい。
説明を受け悠真は再び生気のない人間と親子であろう馬に視線を移した。「哀れむな。」など無理な事だ。
『‴上に登りましょう‴』
アズエルは、いっそう大きく羽ばたかせ空高く上がり、ラティエルもそれに続く。その愛らしい顔にどこか名残惜しそうに悲しげな表情を浮かべたまま。
小さくなっていく苦しむ人を前に、悠真は「助けよう」その言葉がどうしても出なかった。
「《緑溢れる国》、なのに……」
「……お父様。国の名称がどうであれ、災と言うのはいつか必ず降りかかるものですよ。それは神がどうというものでは無い。自然が起こすものです。」
「そう、だね。」
その言葉に悠真は嫌でも納得した。現実世界でも災害はある。それは神の怒りなど言われる事もあるが、神など関係ない。“神”など不確かなものではなく“自然”という人では太刀打ちが出来ない大きく確かな存在が猛威を振るうのだ。それに対し人間はその時その場で、できる限りの事しか出来ない。
しかし。しかしだ。“神”という不確かな存在がいるこの異世界では?
悠真はラティエルを見た。
彼女は
『‴神は何もしませんよ。そんな面倒な事‴』
「え?」
その悠真の考えを読むようにアズエルが静かに答えた。変わらず何を考えているかわからない微笑みを浮かべている。ラティエルについて彼は話しているのだろう。
『‴日照りも不作も不漁も飢餓も病も、今回も神は何もしてません。神様は誰よりも我儘ですから‴』
その言葉に嘘は感じられなかった。
彼は神様が誰だか覚えている。彼が言うなら事実なのであろう。
――何故だろうか。
悠真はその言葉に再び何処か心に引っかかる物を感じた。
『さぁ。見えてきましたよ。リル・ディーユです』
だが、またその考えは消えることとなる。
リル・ディーユ。悠真達が目指していた目的地に到着したのだ。
その光景に悠真は言葉を失った。
その国は見てわかる程、とても豊かだった。
空からでも見渡せないほどに大きく広い大地。広がる青々とした草原。青く輝く海に、側には真っ白な城が聳え立つ街。あちらこちらで、馬や牛といった家畜がのんびりと過ごし、大きな畑では沢山の野菜が瑞々しく育っている。
そして、他国から自国を守るようにぐるりと国の外周を囲む馬の蹄の様な形の大きな森。
草原を数人の小さな影が走る。子供であろうか。その後ろを、小柄な緑の肌をした人間ではない何かが追いかける。
「ここは大陸一大きな国、
その様子を見つめながら、ラティエルは静かに口にした。
確かに、ラティエルの説明通り国はヴァロン程ではないが、驚くほど豊かで住む者達も幸せそうだ。
だが、違和感を感じる。
この国の隣はあのグリーンランスィアだ。隣国が大変な目にあっているのに、呑気過ぎるのではないか。
「――あの森」
その疑問にラティエルが答えてくれた。
すべての国境に沿ってぐるりと覆う森。あそこはこの国でも1番に豊かで恵まれている森だと言う。火を通さず、暴風を防ぎ、大地の揺れからも守る。
それは森に存在する特別な木々が護ってくれているからだと言う。
魔法のない世界だ、別に魔法が掛かっている訳でない。土深くに根を伸ばし、幹に泉ほど多くの水を貯める大樹が森に多く生息しているからだと言う。その大樹は火事や暴風を防ぎ、深くまで根付く根が地震の揺れからも守ってくれると言い伝えられている。
例え干ばつに襲われたとしても森の中には樹から染み出し造られた、沢山の泉が存在し水不足に困ることもないという。
災害だけでない、森は入り組んだ迷いの森でもあり他国からの侵入者も拒む。
なんと特別な森であろう。
しかし、それでもだ、違和感。疑問がわずかに渦巻く。
「この国では災害や作物の不作、争いは存在しないようです」
「……豊かだから、国民も安定しているんだろうね」
ラティエルの言葉にそう返しながら、悠真は内心思ってしまった。いや、ラティエルの話を聞いてさらに疑問が深まったと言うべきか
――そんな森があるからとはいえ、ここまで豊かになるであろうか?
『‴たった1ヶ月で、まぁ随分と………‴』
「ついでに言いますと、我が国に侵入しました賊はあの森に住んでいます。」
ラティエルはその森へと指差した。
「森に住む?あの森にかい?」
「はい。この国の者はその多くが森に小さな集落を作り、そこで暮らしているようです。民からすれば、恵みの森でしかありませんから。」
「そう言えば、海沿いに大きな街があるだけで他に村とかは無いね。森にあるんだ」
悠真の問いにラティエルは「おそらく」と答える。それならば、今からあの森へと向かうのか。今日、この国に来たのは盗まれた物を取り返す為だ。ならばあの森へと入るしかない。
だが、アズエルとラティエルは首を横に振った。
『迷いの森は面倒です。ここで終わらせましょう』
「え。…どうやって…魔法もどうやって使うんだい?」
悠真の疑問は当然であろう。2人は今この場で終わらせようと言うのだ。悠真は今、アズエルに抱えられる状態。魔法の使い方も分からない。どう考えても無理である。
アズエルとラティエルは顔を見合わせる。互いに視線で合図を送ると、ラティエルは悠真へと近づき、どこからともなく白い杖を胸元に出した。
「魔法は何かのきっかけで発動します。お兄様は指を鳴らす。私は杖。――よければ私の杖をお使いください。」
悠真に差し出された宝石の嵌った白い杖。ラティエルからすれば大きいが悠真からすればかなり小さい。これを使えというのだろうか。正直小さすぎてあまり自身がない。だが、これしか方法が無いし思いつかないのであれば仕方が無い。
「それじゃあ。借りようかな……?」
悠真は恐る恐ると白い杖へと手を伸ばす、手にしてみると短いが振れないことは無い。
悠真は静かに杖を構えた。
「――で、どうすれば良いのかな?」
しかし、使い方は分からない。
ラティエルはそんな悠真の傍で、大きく振りかぶり振り下ろす仕草をした。
「こうやって振ればいいだけですよ。」
「分かった」
悠真は再び杖を構え、大きく振りかぶる。
だが、そこでまた何か違和感を覚えた。本当にこの違和感を残したまま、この杖を振ってもいいのか。頭が何かを訴える。
「どうかしましたか?」
そんな悠真を不思議そうにラティエルが問いかけてきた。
振り返れば、いつもの彼女がいる。慈愛深く微笑み、小首をかしげる。愛らしい“娘”の姿。己の存在を忘れようとも、生きとし生ける全ての者に平等に愛情を向ける“神様”。
そんな彼女が、何かを企むわけがない。
――そうだ。そうに、違いない。だから、何もない。大丈夫だ。
悠真は、自分に言い聞かせるように何度も唱える。
そして、悠真は杖を強く握りしめ、覚悟を決めたように、大きく振りかぶり横に振った。
刹那、杖の宝石が眩しい程に金色に輝き、悠真の周りに見たことも無い模様が着いた輪っかが浮かび上がる。
そして、音もなく何も無く、杖の動きに合わせ、
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