高校生のうちにやりたいこと

 砂糖と醤油のこっくりとした香りが、台所にいっぱいになった。ぐつぐつとリズミカルな音も、早く食べてと誘っているようである。

 待ちきれない様子で覗きに来たみちるに、お皿の用意を頼んで、滝川はテーブルの上にカセットコンロを設置して、食べ頃になった鍋を移した。

 

「よーし、食べるぞ!」

「わーい、いただきます!」

 みちるは飛び跳ねるように滝川の隣の席に走り込むと、もうお箸を構えている。

「みちる、行儀悪いぞ!陽人、卵いるか」

「あ、はい。欲しいです」

「あーお兄ちゃん、私も卵!」

「みちるにはやらない。お前の分はもう砕け散っている」

「えへ、確かに!」

「うそだよ。ほら」

 滝川はなんだかんだ言いながら、卵を割り入れた器をみちるにも差し出した。

 

 ふうふう言いながらかぶりつくと、肉汁が口の中でとろけた。しっかりと味がしみ込んだ野菜、しらたき、豆腐。

「うーん、美味しい!」

 みちるが満足そうに声をあげた。

「今日はすき焼きの日でラッキーだったな。陽人に感謝しろ!」

「はーい。陽人さん、ありがとう」

「いやいや、たまたま牛肉が特売だったから……」

 陽人は無邪気に喜ぶみちるの顔をみながら、照れ臭そうに笑った。



「みちる、やっぱり高校生くらいの子たちは、ディズニーランドに行ってみたいと思うものか?」

 ふと、滝川の頭の中に、ようの『退院したらやりたいことメモ』が浮かぶ。

 みちるの制服姿から思い出して、つぶやくように尋ねた。


 「当たり前じゃん! 友達とディズニーランドに行くのは、やっぱり高校生のうちにやりたいことの一つだよ! お兄ちゃん、もしかして連れて行ってくれるの!」

 キラキラと期待に満ちた目をして、みちるは勢い良く滝川に詰め寄った。

 滝川は、あ! 失敗した! という顔をして、たじたじとなる。

「いや、聞いてみただけで……」

「お願い! ママは頭固くて、高校生で友達とディズニーランドに行くのは早すぎるって言うんだよね~」

「当たり前だ。俺も母さんの意見に賛成だ」

 滝川は我が意を得たりという顔をして断った。

「でも、他のお友達はいっぱい行ったことあるんだよ。私だけ乗り遅れちゃうよ」

「それぞれの家の方針があるからな。別に高校卒業してからだって遅くないし」

「でも、そんなこと言っていたら、結局行かれなくなっちゃうかもしれないじゃん……」


 滝川の顔が、急に悲し気な表情に変わった。

 確かに、ようは結局行かれなかった……


由奈ゆなちゃんと加恋かれんちゃんは、大切なお友達なんだ。私にとって、初めて心から安心できるお友達なの。だから、一緒に思い出作りたいんだ」

「三人って言うのは、いろいろ友達関係難しそうだけど、大丈夫なのか?」

「三人だって大丈夫なんだよ。ちゃんと、お互いを思いやれていたら大丈夫なの。三人だからなんて、関係ないことなんだよ」

「そんなに信頼できる友達が出来たんだ……良かったな」

 心の底から安心したように、滝川の表情が優しくなる。


「そんなに大切な友達とだったら、思い出いっぱい作りたいよな」

「お兄ちゃん!」

「でも、だめだ!」

「えー!」

「お友達の親御さんの気持ちを考えたら無理だな。みちる一人を連れて行くだけなら別にかまわないけど、友達やその親御さんからしたら、俺は単なる独身の男だ。年頃の娘をそんな奴と一緒に遊びに行かせるのは心配になるだろう」

 滝川は姿勢を正して、みちるに言い聞かせるように穏やかな口調で言った。


 まるで父親のようなセリフ!


 陽人は心の中で密かにツッコミを入れた。


 けれど、みちるは諦めずに食い下がる。

「由奈ちゃんも、加恋ちゃんも、お兄ちゃんの事カッコいいって言ってたよ」

「いや、そう言う事じゃなくてだなー。って、なんで俺のこと知っているんだ?」

「だって、写真見せたことあるもん」

「……」

 呆然とした滝川の顔を、陽人は必死で笑いをかみ殺しながらちらちら見ていた。

 みちるはそんな兄の表情を確認すると、心の中でにんまりした。そして、次の一手を繰り出す。


「陽人さんだってディズニーランド行きたいですよね〜」

 急に話を振られたうえに、まん丸な瞳で見つめられて、今度は陽人がドギマギする番だった。

「えーっと、俺、ディズニーランドへ行ったこと無くて……」

「そうなんですか! じゃあ、彼女と一緒に行く前に、行っておいた方がいいですよ。ディズニーランドを攻略するのは一度では難しいですからね」

「えっと、そう言うものなのかな」

「そう言うものなんです」

 真剣な顔でそう言われると、真面目な陽人は、そうなんだーと納得しかけた。

「ちょっと、待った!」

 なんとか立ち直ってきた滝川が割って入る。

「陽人は、立派な独身男性だ。陽人が増えたって、条件は変わらないぞ」

「じゃあ茜ちゃんにもお願いしてみる!」

「は?」

「茜ちゃんは大人の女性だから、茜ちゃんも一緒だったら大丈夫だよね! いい事思いついた!」

「お前なー」


 なにやら敗戦の色が濃くなってきた。

 すっかりみちるの勢いに押され気味の滝川は、それでも諦めきれず、最後の抵抗を試みていた。

「兎に角、みんなのご両親のオーケーがもらえたら考えてやる」

「わかった~」

 みちるはにっこりして頷いた。

 

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