滝川の過去 ― 笑顔のリミット ―
「じいちゃん、ありがとう」
善三じいさんの家に戻った日、葵は畳に額をつけた。
「なんか、家の中が急に明るくなったな。一人で飯食うのはつまらんから、いいな」
じいさんはそう言って、葵にも早く食べるようにと促した。
じいさんの家に戻ったことは、葵にとって心の重荷を下ろした気分になれた。
ようやく、深く息を吸えるような、そんな安心感を感じた。
柴田の家族とは週末に一緒に食事をするから、関係が途切れたわけでもない。じいさんにとっても、週末の食事会が楽しみな時間になったので、結果としては家族の絆が強くなれたようだった。
一応、大工になると宣言した手前、修行を始めてもらおうと、じいさんの作業場にちょくちょく顔を出すのだが、
「まずは高校受験を頑張れ!」
といつも追い出された。
葵はもともと頭が良かったし、気持ちが落ち着いて勉強に集中できたこともあって、県立の進学校へ合格することができた。
嬉しいことに、
葵はほっとした。これで、毎日学校で陽に会える……
高校に進学してからは、新しいメンバーも加わった。それが、今の茜の彼氏、
良平とはサッカー部で知り合ったのだが、冷静沈着で物静かな話し方をする良平とは、なぜか最初から馬が合った。一見正反対に見える二人だったが、心の奥の方で通じ合えるものを感じた。
良平はすぐに陽や茜とも仲良くなって、毎日部活帰りに四人で一緒に帰っていた。
お店に寄ったり、公園でしゃべったり、時には七夕祭りや花火大会、今思い出せば、それなりに青春らしいことをして楽しかったと思う。
その蛍観賞も、いつも通り、世話焼きの茜が言い出した。
毎年、5月の末から6月初めくらいに、町の公園で蛍観賞ができた。夕方四人で待ち合わせて、目的の公園へと向かうことになった。
公園内は遊歩道が整備されていたので歩きやすかったが、蛍観賞のため、電灯は無い。
そそっかしい
後ろの茜と良平の手前、ちょっと照れ臭いけれど、派手にズッコケられるよりはいいはず……一生懸命自分に言い聞かせていたのだが、陽の方は何も考えていないようで、嬉しそうにニコニコしている。
会話らしい会話をしないまま、二人で寄り添うように歩いた。
ふと気づいて後ろを振り向くと、良平と茜の姿が消えている。
「あれ? 良平たちは?」
葵がしまった! はぐれた! という気持ちでいると、陽はなるほど~という顔をして言った。
「茜ちゃんたち、もしかしたらもしかするかもしれないよ~」
「?」
言っている意味が全然わからずにいると、
「もしかしたら、良平君と茜ちゃん、ラブラブかもしれないよ!」
と陽は嬉しそうに言った。
「え? 良平が茜を? まさか!」
「えー気づいて無かったの? やっぱり、あおくんはにぶにぶだなぁー」
「良平君、絶対茜ちゃんのこと好きだよ。良平君、いつもすっごくとろけるような優しい目をして、茜ちゃんのこと見てるんだから」
「とろけるような優しい目だぁ!」
サッカー部の連中がドッキリを仕掛けても崩れなかった、鉄壁の冷静スマイルだぞ! それのどこをどう見たら、とろけるような優しい目って表現がでてくるんだ? 全く陽の頭の中は、どうかしている!
「茜ちゃんには幸せになって欲しいから、良平君なら、陽も許してあげるんだ」
「お前の許しなんかいらないだろ」
「いるの! 私は茜ちゃんの大親友だから。大切なんだからね」
「そっか」
そう答えたけれど、あの台風の目のように周りを巻き込んで騒がしい茜と、物静かな良平の組み合わせが想像できなかった。
あの冷静キャラの良平が、そんな飛んで火にいる夏の虫みたいなことするのかな? と思ったが、良平への信頼をそのまま口にする。
「良平なら、茜を泣かすことはないから安心しろよ」
「うん、そうだね」
陽はふふふっと嬉しそうに微笑んだ。
こんな小さい公園に、これほどの人が集まるとは、想像していなかったので、少し驚いた。公園の奥の方の、山際に近い遊歩道の柵にもたれて、蛍が来るのを待っていたのだが、後ろを通る人波が引っ切り無しに続いて、時々ぶつかられたり押されたりする。
葵はなんとなく心配になって、陽の後ろへ廻って、陽をかばうような形で立った。背の高い葵の丁度顎くらいの高さの陽は、すっぽり収まるような形でちょうどいいなと思っていると、陽が振り向いて礼を言った。
「ありがとう!」
「なんだよ。いきなり」
「だって、陽のこと守ってくれてる」
「別に当たり前のことだろ。俺の方が体デカいんだからさ」
「あおくんにとっては当たり前でも、陽にとっては嬉しいことなんだよ。だから、ありがとうって、ちゃんと言いたいんだ」
葵はちょっと照れ臭くなって、おおっとだけ答えた。
「消しゴム探している時に、スッって貸してくれたりさ、転ばないように手を繋いでくれたりさ、疲れたなーって座っていると横に一緒に座ってくれたりさ、一つ一つは小さなことでも、すっごく嬉しいんだ。でね、それが積もり積もると幸せなの。あおくんは、いっぱい私を幸せにしてくれているんだよ。だから、ありがとう!」
「な、なんだよ……今日は褒め殺しの日かよ」
葵は顔が火照るのを感じて、横を向いた。
「あおくんは? あおくんは陽に言ってくれることないの?」
「え!」
突然返されて、あたふたする。
「そ、そんなの照れ臭くて言えるかよ!」
陽はぷくぅーと頬を膨らませると、
「今、ちゃんと口に出さなきゃだめだよって話をしていたんじゃん。陽にお礼言いたくなるようなことは、何にも無いの?」
「いや……そんなことは無いんだけど……」
「無いわけじゃないんだね! 良かったー」
機嫌を直して前を向いた。
無いどころか……俺はお前のお陰で生きているよ。
葵は陽の頭をガシガシっと撫でようとして、すんでのところで力を緩めて、ポンポンと優しく叩いた。
「いつも、笑ってくれてありがとな」
ちょっとかがんで耳元につぶやくように言うと、陽は振り返って、パーっと輝くような笑顔を見せた。
その時、二人の目の前で、緑色の光がぽーっ、ぽーっと瞬いた。
「あ! 光ってる!」
その数は一つ、また一つと増えて行き、ふわりふわりと飛び始めた。
「綺麗だね~」
「ああ」
幻想的で厳かな雰囲気がただよう。
「蛍はさ、なんで光るってことを選んだのかな?」
「?」
「光って、ここにいるよって伝えているんだよね。僕はここに居るよ~私はここよ~って。今ここにいる蛍たちは、みーんな、僕を見つけて! 私を見つけて! って言ってるんだよ」
「そう……なるんだろうな」
「蛍って、こんなふうに光りながら飛べるのは、一週間くらいなんでしょ」
「まあ、もう少し長いかもだけど、そんなもんだろうな」
「こんなふうに光るのは、恋人見つけるためなんだよね?」
「まあ、そういう説があるな」
「せっかく好きな人と出会えても、一週間で死んじゃったら悲しいよね」
「うーん、でも虫に愛の概念ってあるのかな?」
「もう! あおくん、雰囲気台無し~」
「あ、まあ、そうだな……」
陽は怒りながらも、声は笑っている。
「虫の一週間は、人間の百年かも知れないぜ。体感年数が違えば、別にいいんじゃないか」
挽回するように葵が言うと、
「そっか! なら良かったー」
陽は案外素直に頷いて、その後は二人で、ただただ光の舞を見つめていた。
「短いってわかっているから、一生懸命光っているんだろうな」
「そうだね。だからこんなに綺麗なんだね」
陽は葵の顔を見上げながら、心の中でつぶやいた。
たくさんの命の光に照らされて、あおくんと一緒にいられるなんて、すっごく幸せだなぁ~
この時間が永遠に続けばいいのに!
陽が自分の命のリミットに気づくのは、その半年後の事であった。
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