滝川の仕事
「お前まだやっていたのか!」
そう声を掛けられて振り向くと、滝川が立っていた。もう、十二時半を過ぎていたらしい。
「ほうー」
滝川は感嘆の声を漏らすと、陽人を見た。
「お前、真面目で丁寧だな」
こいつの仕事ぶり、悪くないな!
滝川はそう心の中でつぶやいた。陽人は一つ一つ丁寧に根っこまで引き抜いていたし、レンガなどの崩れたところは、耕して並べ直したりして、ちゃんと庭として作り上げてもいる。
「後少しで終わると思うから」
「もう今日はこれで終わりでいいから、シャワー浴びてこい!」
「でも……」
「また、明日やってくれ!」
「明日?」
「いいだろう。別にお前暇なんだから」
「あ、はい」
明日があるのか……まだ居てもいいって言ってくれてるのかな?
陽人は立ち上がると土を払った。
「弁当を買ってきたから食べるぞ。早くしろよ!」
「ありがとうございます」
コンビニ弁当を豪快に掻きこみながら滝川が言った。
「陽人。お前、午後はちょっと付き合え」
「え? はい」
今度は一体なんだろうと思いながら、陽人も慌ててご飯を食べた。
滝川と一緒に、作業に出かける軽トラに乗ると、小高い丘の上へと連れて行かれた。
住宅がだんだんまばらになってきた頂上に近い辺りに、一軒の純和風な民家が建っているのが見えた。改築中の建物は、既にところどころ綺麗に修繕されていたが、家の周りは雑草が生い茂っている。家の前の駐車場スペースに車を停めて、二人で降り立つと、滝川が陽人に聞いてきた。
「お前、この家どう思う?」
「えーっと……」
急にどうって言われてもわかんないよな……
陽人はそう思いながらも、家とその周りの雰囲気をよく見てみた。
木と瓦を使った家で入り口が引き戸になっていて、いかにも日本の建物と言う雰囲気だった。一階平屋建てで、それなりに広い家のようだ。今はぼうぼうに草が生えているが、多分人が住んでいた時は手入れされた庭だったに違いない。高台だから窓からの景色も良さそうだ。
「いいなーって思います」
陽人がそう言うと、滝川は、
「そうか!」
とだけ言った。そしてそれ以上何も言わないので、二人でしばらく建物を見上げている格好になった。
何か理由も説明しないといけないのかな……待っているんだろうな……これは……
俺はどうしていいって思ったんだろう?
陽人は、滝川が陽人の答えの続きを待っているのかと思って、あわてて考えを続けた。
俺はじいちゃんばあちゃんがいなかったから、田舎の家って無かったし、こんな雰囲気にきっと憧れているからだろう。
そう思いながら、それも何か違う気がした。そして思わず別の事を言っていた。
「愛されていたんだなーって思いました。この家を建てた人も、この家に住んでいた人も、すごく大切にしていたんだろうなって」
「やっぱり分かるか!」
滝川の声が少し嬉しそうに感じられる。
陽人はほっと胸を撫でおろした。
家の鍵を開けると、陽人を中へと案内してくれた。
雨戸を開けると部屋の中に太陽が入って温かくなる。窓からは、キラキラと輝く海が良く見えた。
「眺めがいいですね!」
「この家はな、俺のじいさんが、親友夫婦のために作った家なんだ」
「え! そうだったんですか!」
陽人は改めて家の中を見回した。部屋にも木材がふんだんに使われていて、窓際にはかなり広めのスペースが作られていた。そこにカンナやのこぎり、加工中の木材などが置かれている。
「じいさんが、親友のために、木材一つ一つ選んで磨いて組み合わせて、なるべく希望の間取りに合わせて、丁寧に丁寧に作った家なんだ」
そう言いながら、滝川は慈しむように、古い木材を撫でた。
「その夫婦には子供がいなかったから、旦那さんが定年退職したら、二人で仲良くのんびり海見ながら暮らそうと思っていたらしいんだ。でも、定年直後にご主人はガンで亡くなってしまって。その後は奥さんが一人でずっとこの家を守ってきたんだが、流石に高齢になって独り暮らしは危ないからな。老人ホームに入ることになったんだよ。でも、この家を壊すのはどうしても忍びないと言って、俺の知り合いの社長に、泣きながら頼みに来たのさ。この家をどうにか守って欲しいって。その社長は今までにも古民家とか空き家再生プロジェクトをやっていてな。だから今回も色々知恵を絞っていたら、運がいいことに買い手がついたんだよ。陽人、お前東京の有名な、ブーランジェリー・ラピスってパン屋知ってるか?」
「え、名前くらいは」
「そこの社長が、ここを喫茶店にするって言って買い上げたのさ」
「純日本風家屋と洋風なパンの組み合わせ?」
「そうさ、面白いだろう!」
「なんか、あんまり想像がつかなくて……でも、確かラピスのパンで人気になったパンの中に、抹茶に合うパンってのがあったと思う」
「今度はみそ汁に合うパンを作るって息巻いてるぜ。兵藤のおっさんは、やっぱおもしれえなー」
陽人は、兵藤さんと言うのはブーランジェリー・ラピスのオーナーの事なのだと思った。
滝川は陽人に向き直って言った。
「俺はな、古い物が好きなんだ。古い物を直して磨いて、そこに新しい命を吹き込んで、大切に使い続けていくこと。それってすげえカッコいいと思うんだ」
滝川はそう言って、部屋の中央にむき出しに立っている柱に手を伸ばした。
「お前この柱のことなんて言うか知ってるか?」
「えっと……?」
「大黒柱って言うんだよ。家を建てる時、必ず必要な重要な柱さ。この木がこの家を支えているんだ。この木はもう何十年も生きているんだぜ。樹木として生きていた時だけで無くて、切られてこうして家の柱になってからも息をして生きている。この家はもういらないと捨ててしまえば、ゴミになってしまうけど、この家を喫茶店に作り変えれば、まだこれからもこの柱は生きていかれる。捨てずに生かすことを考えるのって、いいよな」
初めて饒舌に語る滝川は、これまでのぶっきらぼうな感じではなく、柔らかな口調だった。そして、柱を見上げる目は少年のようだった。
やっぱ、滝川さんてカッコいい人だ!
「陽人、悪いな。俺はこれから仕事をする。お前はそこいらで適当に時間つぶしていてくれ」
え! ここで時間つぶすって、何をすればいいんだ?
滝川は作業場スペースへ行くと、柱を削り始めた。
木を削る音を、陽人は初めて聞いた。思ったより静かで滑らかな音。
しんとした空間に心地よくリズミカルに響く。
陽人は興味深そうに、滝川の傍へ行って眺めていた。滝川の指先は意外と細くて繊細な作業に向いていた。
「滝川さんは大工さんだったんですね」
「ああ」
「おじいさんから教えてもらったんですか?」
「まあな」
滝川の口調は、またぶっきらぼうな口調に戻っていたが、陽人はもう怖いとかとっつきにくいとか気にすることは無かった。
ふわふわな木くずが増えていくのを見ているのは面白かった。
木くずが羽みたいに綺麗だなと思って、陽人は一つ拾い上げた。ふわっと木の香りが鼻をくすぐる。
「うわ~いい匂いがする」
「これは檜だからな。こんないい木を使わせてくれて、兵藤のおっさんには感謝だな」
滝川の指は魔法のようにくるくると動き、木を自在に加工していった。
まるで木と語り合うように、木に触れ、眺め、黙々と作業を進めていく様子を見て、陽人は『匠』と言う言葉を思い出した。物事を極めるって凄いと思った。
滝川が作業をしている間、陽人は庭の草むしりをすることにした。
午前中やってみて、結構面白かったので、ここでもやってみようと思い立ったのだ。海を横目に見ながらの作業は、とても贅沢な気分を味わえた。
仕事を始めてから、ずっとあくせく暮らしていたからな。こんなふうにのんびりとした気持ちは久しぶりだな……
四月の夕方はまだまだ冷える。寒くなったと思ったところで、滝川に声を掛けられた。
「そろそろ帰るぞ」
そして、雑草が減った庭を見て、
「ありがとな!」
と一言だけ言った。
風呂に入って夕飯を食べ終わったところで、おもむろに滝川が言った。
「どうせ部屋が余っているから、お前に部屋を貸してやる」
「え! いいんですか!」
「でも、タダは無しだ。タダで住むなんて男が廃るだろ! 賃貸料、食費、光熱費込みで月三万円でどうだ?」
「それじゃ安すぎでは……」
陽人は驚いたが、嬉しかった。
「んじゃ、お前の再就職が決まったら、食費と光熱費を利用分もらうことにするってのでどうだ。でも、口約束はだめだから、ちゃんと契約書ってやつを結ぶぞ」
「契約書!」
「ああ、めんどーだとか、縛られるようで嫌だとか思うかも知れないけどな、法律に基づいた手続きって言うのは、大切なんだぞ。法律にそった契約は、いざと言う時、お前を守ってくれる盾にもなってくれるんだ。俺が今この家に住んでいられるのも、じいさんが俺にこの家をやるって、ちゃんと遺言に書いていてくれたお陰だからな。でなかったら、今頃俺もどうなっていたか分からないさ。だから知り合いの不動産会社の社長に頼んで、契約書作ってもらうから、ちゃんとサインしろよ」
「ありがとうございます! よろしくお願いします!」
陽人は嬉しくて、泣きそうになりながら、頭を畳に押し当てた。
「俺も憧れの大家になれるから、いいってことよ!」
滝川から聞いた初めてのジョークらしき言葉に、陽人は一瞬絶句し、その後声を挙げて笑った。
それは、心からの笑顔だった。
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