名前から想像できること

 『滝川木工店』の一階は、木材置き場と作業場になっているので、住居部分はその二階と三階になっていた。

 食堂やお風呂のある二階にある和室から、陽人は三階の滝川の部屋の隣の洋室へ移り、これからはその部屋が陽人の部屋となった。

 布団だけは新しいのを買うように言われて、今日の仕事帰りに、ホームセンターで必要な物を購入してきたのだった。


 滝川が言っていた賃貸契約書は、知り合いの不動産屋の秋本社長に頼んで、作っておいてもらうことになった。

 荷物を部屋に入れて、滝川が先に風呂に入っている間、陽人は夕食の準備をしていた。


あおいいる?」

 突然玄関のベルの音が鳴り、女の人の声がした。

 陽人が慌てて扉を開けると、若い女性が叫んだ。

「葵! あんた男の子を拾ったってどういうことよ! こどもなんかあんた一人で育てられるわけないでしょ。何考えてんのさ!」

 陽人が呆然と立ち尽くしているのを見て、女性は驚いたように、

「あなた誰?」

 と聞き、慌てて、

「もしかして、あなたが拾われた男の子? って、子供じゃないじゃん。大人じゃん!」

 怒ったようにそう言うと、勝手にずかずかと家に入って来て、

「葵は?」

 と再び聞いた。


「葵さんなんて女の人はいません。あの……どちらさまですか?」

 陽人がおずおず尋ねると、女性は陽人の後ろを指さして、

「いるじゃん!」

 と言って滝川に向かってもう一度言った。

「男の子拾ったってどういうことよ!」


「はあ? まーた秋本さんだな! あのおやじ、いっつも面白がって中途半端な事ばっかりお前に言いやがって」

 滝川はタオルで髪を拭きながら苦い顔をして言った。

「え? 滝川さん? あれ? そう言えば、俺、滝川さんの下の名前知らなかった」


滝川葵たきがわあおい! こいつの名前よ」

 女性はそう言うと、

「もしかして、あんたが拾ったって言うのは、この人の事?」

 と陽人を指しながら尋ねた。

「そうだよ。別に拾ったわけじゃ無くて、部屋を貸すことにしたんだ。俺はれっきとした大家だからな!」

 滝川は少し自慢げに言った。


「へー、葵にしちゃ、頭使ったじゃん」

「うっせえ。気やすく葵、葵言うな!」

「だって昔からそう呼んでるんだから、今更変えられるわけないじゃん」

「人の世話焼いてる暇があったら、自分のことどうにかしろよ。ふらふらしてると良平に愛想つかされるぞ」

「ふん、良平はあんたと違って心が広いからね」

 二人の早いやり取りに入るスキを見つけられず、陽人はおろおろとしていた。


 滝川さんの下の名前、あおいって言うんだ。

 そう言えばなんで教えてくれなかったんだろう?


「葵~あんたなんでこの子に下の名前教えてないのさ。カッコつけちゃって、滝川さんとかよばせちゃってさ」

 女性は陽人が考えていた事を察したかのように、ズバズバと言った。


「こいつ、葵って名前にコンプレックスがあんのよ~女の子みたいだって気にしているの。この顔見て、女の子なんて思う人、だーれもいないって言うのにね」

あかね、お前……」

 茜と呼ばれたその女性は、ベーっとしながら陽人の傍に来て、まじまじと顔を見つめてきた。


「あなた、名前は? 私は山下茜やましたあかね。茜お姉さんでいいわよ」

「何が茜お姉さんだ! バカ茜で十分だ」

 滝川はそう吐き捨てると、陽人の背中を押して、部屋の中へ戻ろうとする。


「何よ! 心配して来てあげたのに」

「あの、牧瀬陽人まきせはるとと言います。よろしくお願いします」

 陽人はひとまず挨拶しておいた方が良いと思い、頭を下げた。

「礼儀正しいいい子じゃん。葵とは、大違い」

 滝川はあきらめたような顔で、

「陽人はいい奴だ。だから、お前が心配しなくても大丈夫だ」

 と言って、シッシッと手を振った。


「まあ、いいや。安心したよ。陽人君、葵の事よろしくね。じゃね、葵!」

 茜はそう言うと、大人しく玄関を出て行った。

 滝川はほっとしたような顔をして、陽人に玄関の鍵をかけておくように頼んで、奥の台所へと戻って行った。

 陽人はぼーっと扉を見つめていたが、慌てて鍵をかけて台所へと戻った。


「悪かったな。びっくりさせて」

 憮然とした表情で椅子に座っていた滝川だったが、陽人の姿を見ると心から申し訳なさそうに詫びを言ってきた。

「いえ、全然大丈夫です。茜さんって、滝川さんの彼女ですか?」

「身の気のよだつような冗談はやめてくれ!」

 心底恐ろしそうな滝川の顔に、陽人はちょっと吹き出しそうになる。


「小学校からの腐れ縁さ。たまにこうやって出没するから、気を付けろよ。絶対関らない方がいいからな」

「そうなんですか? 滝川さん、あおいって名前なんですね」

「ああ」

 急にバツの悪そうな顔になって窓に視線を移す。

 黙っていたことを気にしているらしい。


「葵の花って、真っすぐに太陽に向かって咲くって聞いたことがあります。筋が通っていて、カッコいい花ですね!」

「そうだな……ありがとな」

 滝川はそのまま窓を見ながら礼を言った。

 頬杖をついているので表情は良く見えなかったが、ちょっと照れ臭そうだった。

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