Episode5 探し続けるモビール
美しい日本語
台所のイスに腰かけて、陽人がなにやらブツブツ唱えながら手足を動かしている。
「1、2、3……右をゆっくり踏み込んで、左はゆっくりと力を緩めて……」
右手は胸の前で軽く握る格好。左手は左ももの横でカクカクと動かす。同時に左右の足をゆっくりばたばたさせている。
廊下を通りかかってその様子を見つけた滝川が、笑いをかみ殺した顔で声をかけた。
「無理してマニュアルコース取るから大変になったんだぞ」
「あ、滝川さん。いやでも、滝川さんの車マニュアルだし。俺しばらく車買えないし。滝川さんが体調崩した時、運転して病院いけないと困るし」
滝川は嬉しそうな目をしているくせに、わざとぶっきらぼうに、
「そうだな。俺がぶっ倒れたら頼むな」
そう言ってそのまま洗面所へと去って行った。
そう、今陽人がエア訓練中なのは、マニュアル車の運転である。
この夏の間に、思い切って運転免許を取得しようと、教習所通いをしているのであった。
そして、散々迷った挙句にオートマ限定では無く、マニュアルも乗れる免許を取得しようと申し込んだのだが、一日目から失敗したと後悔の嵐だった。クラッチを繋ぐコツが掴めなくて、ガクガクとエンストの嵐。同乗の教官から、鞭打ち症になりそうだと笑いながら嫌味を言われたくらいだった。
それでも何とか様になって来て、明日は仮免の試験なのだ。
絶対一発合格するぞ!
翌日、なんとかギリギリ合格できた陽人は、るんるんしながら教習所から駅へ向かう大きな通りを歩いていた。
丁度歩道橋の横を通り抜けようとした時、ベビーカーと歩道橋を交互に見ながら思案している女性が目の端に映り込んだ。周りを見回してみると、横断歩道はかなり先まで歩かないとならない。夏の照り付ける日差しの中、どちらにしても大変だろうなと思った陽人は、思い切って声を掛けた。
「赤ちゃん抱っこできたら、俺がベビーカーを持って上がりますよ」
「あ、ありがとうございます」
振り返った女性の瞳が、透き通るような青い瞳と気づいて、陽人は一瞬ドキッとした。
あれ! 俺英語しゃべれない! いや、今この人日本語だったぞ。じゃあ別に日本語で大丈夫なのか。
「ごめんなさい!」
青い瞳の女性は、急に申し訳なさそうな顔をして、ペコペコ頭を下げて謝り始めた。
「え? いや、あれ? なんで謝るんですか? 頭あげてください」
女性を慌てて制すると、陽人は驚いたように尋ねた。
「どうしたんですか? 別に何にも悪いことしていないのに、謝る必要ないですよ」
「あ、そうですよね。でも、驚いた顔されたから。なんで外国人がこんなところにって思われたのかなと思って」
帽子がズレて零れ落ちた髪の毛は、綺麗なブロンド。
うわぁ! 金髪碧眼美人だ!
陽人は思わず目を奪われて、またドギマギする。
その様子を見て、女性はまた恐縮した顔をするのだった。
「いや、俺のほうこそすみません。外国の方とお話する機会はほとんどないから、ちょっと構えてしまったんです。でも、日本語が凄く上手ですね。俺英語苦手だから、安心しました」
すると女性はちょっと悲し気な表情になって、
「私こんな容姿ですけど、生粋の日本生まれ、日本育ちなんです。だから日本語が私の母国語なんですよ」
「ああ、そうだったんですか。すみません。外国の方イコール英語って言う、勝手な思い込みが俺の中にあったみたいですね。そうですよね、日本生まれ日本育ちの方だって、いっぱいいますよね」
女性は、少し安心したようにほっとすると、
「私、自分では日本人のつもりなんですけど、金髪で青い目だと皆さんの中で浮いてしまって……よく皆さんに戸惑われるから、どうしたらよいかわからなくて」
「確かに……そうですよね」
陽人は改めて、自分が思わず無意識にとってしまった態度を振り返る。
諸外国との行き来が盛んになったとは言っても、他の国に比べると日本に住んでいる外国人の数は少ない。単一民族単一言語のコミュニティが一般的である。
常日頃、黒髪黒目がちな黄色人種と言う同じ特徴を持った人々の中で生活しているので、違う特徴を持った人が、自然と目立ってしまうのだ。
そして、外国人イコール日本語がしゃべれないと言うイメージが漠然とながら定着していて、外国の人を見ると、言葉が通じない、あるいは英語でしゃべらなければいけないと言う勝手な焦りも感じてしまうのだ。
実際には、日本人と違う容姿の人でも、美しい日本語を話せる人もいれば、英語では無い、フランス語だったり、ヒンディー語だったり、中国語だったり、別の言語しか話せ無い人もいっぱいいるのだ。
陽人はにっこりすると、
「じゃあ、俺がベビーカー持ちますから、一緒に歩道橋渡りましょう!」
女性はパッと嬉しそうな顔になって、陽人に頭を下げた。
「ありがとうございます」
女性が向かっていたのは、歩道橋の向こう側にある保健センターだった。
赤ちゃんの検診のために訪れたのだが、初めての道だったので横断歩道で渡り損ねてしまったと言った。
「そう言われてみれば、歩道橋と横断歩道が一緒にあるところってほとんど無いですよね。保健センターの付近とかは、ベビーカーの人が多いから、横断歩道も併設されているか、ベビーカーでも登れる歩道橋があると便利ですね」
思わず陽人が不満めいた発言をすると、
「そうですね。ベビーカーでも登れる歩道橋は安心します」
女性も頷いた。
「日本の道は狭いから、そんな大きな歩道橋つくるの難しいのかなぁ」
「横断歩道だと便利ですけど、信号が必要になるから、車を停めてしまいますよね」
「そうか……渋滞になっちゃいますね」
二人であれこれ盛り上がって話しながら歩いているうちに、歩道橋を渡り終えた。
「じゃあ、これで」
陽人はぺこりと頭を下げると、また駅へ向かって歩き始めた。
「ありがとうございました。助かりました」
女性は深々と頭を下げると、しばらく嬉しそうに陽人の背中を見送っていた。
いつもなんとなく周りの人の目を気にしていた女性にとって、陽人の自然な優しさは温かいサプライズだった。
そして、自分自身を認めてもらえたような清々しい気分になれたのだった。
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