杉浦おばあさん
「あら、あなた、おかえりなさい!」
杉浦おばあさんは、ぱーっと顔を明るくして滝川を迎えた。銀髪で眼鏡をかけた上品な雰囲気のおばあさんだった。
「ただいま」
滝川は当たり前のように、ごく自然にそう答えた。
滝川さん、すごい! おじいさんになりきっている!
陽人は滝川の答えに驚いた。いくら合わせると言っても、なかなかこんな風になり切って対応することは難しい。うまく合わせられず、ギクシャクしてしまう人の方が多いはずだ。
しかも、いつもは強面の滝川が柔らかな口調でそう答える様からは、滝川がこのおばあさんの事をどれだけ大切に思っているのかが推し量れた。
「あなた、家の改築の方はいかがですか? また、色々凝りまくっているのでしょう? あなたそういうの好きだから」
杉浦おばあさんは、ふふふっと可愛らしく笑うと、
「楽しみだけれど、待ちくたびれてしまいましたよ。早く見せてくださいな」
「まだもう少しかかるかな」
「あら、そちらの方は?」
杉浦おばあさんは急に気づいたように、陽人を指さして聞いた。
「ああ、こいつは俺の友達の……」
そう言いかけたところで、
「ああ、思い出しました。あなたがお家の工事をお願いしている、お友達の大工の……確か滝川善三さんね! この度はお世話になっています!」
陽人は、なぜか滝川のおじいさんの善三さんと間違われたらしい。
杉浦おばあさんは、軽く手をつくようなしぐさをして、頭を下げて挨拶した。
滝川が目で、合わせてやってくれ! という合図を送ってきているので、陽人は慌てて頭を下げた。
「い、いえ、こちらこそ!」
「私は今こんなで、足が弱っているから、お茶を差し上げることができなくて、すみませんね」
残念そうにそう言うのを、
「大丈夫だよ。今そこで、二人でお茶飲んできたから」
と滝川がフォローする。そして、家の改築の様子を細かに話たり、とりとめのない日常の話をしたりしている。
その姿は夫婦の休息の一時。
そう、今日のように気持ち良い陽だまりの中、仲良く縁側に座って話しているかのように……
滝川が杉浦おばあさんを見つめる目は本当に優しく穏やかで、陽人は軽い衝撃を受けた。
なんで、この人はこんなに他人に優しくできるんだろう……
おじいさんの知り合いだからかな? それとも、自分のおばあさんのように思っているからかな?
「こいつの腕は天才だから、安心していいよ」
滝川に肩を叩かれて、ふっと現実に引き戻された。
「でも、本当に早く帰って見たいんです。ねえ、あなた、途中でもいいから見せてくださいな」
杉浦おばあさんは、真剣な表情でそうお願いしてきた。
「うーん……」
「車いすでだったらいけるでしょう。ほんの少しでいいですから、ね!」
滝川があれっという顔をする。今までこんな風にお願いすることなどなかったからだ。
「職員さんに外出許可がいつ出るか確認してみるか」
「ありがとう! やっぱりあなたはそう言ってくれると思っていたわ」
杉浦おばあさんは、嬉しそうにそう言うと満足したのか、横になり、ふーっと大きく息を吐いて目をつぶった。
「お家の改築が完成したら、またこの写真を飾りましょうね」
そう呟いて、ベッドの横の写真立てに顔を向けた後、再び目を閉じるとそのまま寝入ったようだった。
横の写真立てには、若き日の夫婦の記念写真が飾られていた。
写真屋さんで撮影してもらったらしく、杉浦おばあさんは前の椅子に腰かけて、おじいさんが後ろで立っている構図。
何の記念日の写真かはわからないが、少し緊張しながらも穏やかな表情をしていた。
滝川と陽人は、そろそろ帰る頃合いかなと思い、静かに部屋を後にした。
おばあさんが言っていた外出について、事務所の職員に相談すると、来週の水曜日なら大丈夫かもしれないと言うことになって、決まったら連絡をもらえるように頼んで車に戻った。
「陽人、ありがとな。話合わせてくれて」
滝川はそう言うと、エンジンキーを回した。
「いえ、一緒に行きたいって言ったの、俺ですから。お役に立てたなら良かったです」
「杉浦のばあさん、嬉しかったと思うぜ!じいさんの友達にも会えたんだからな」
陽人は思わず不思議に思っていたことを口にした。
「杉浦おばあちゃん、家の改築をしているってことは、覚えているんですね。でも、おじいさんが亡くなったことは覚えていないんだ……」
「覚えていないと言うよりは、認めたくないんだろうな。じいさんが死んじまったことを……」
滝川は遠くを見るような目をした。
なんとなくその目に悲し気な色がさしたように陽人は感じた。
「認めたくないから、じいさんは生きているって思って生活していたんだろうな。だから今もその記憶だけは消えないんだよ。じいさんと過ごした日々と、じいさんの事だけはね」
滝川はそのまま遠くを見続けていたが、ふと思い出したように陽人を振り返って言った。
「それだけ仲のいい夫婦だったってことだろうな」
そう言って、車を発進させた。
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