陽の机
その日、
普段からぶっきらぼうで口も悪いタイプだったが、実は大声で怒鳴るようなことは一度も無かったのである。
事の発端は、無垢材でできた立派な机だった。
夕食を食べていると、茜が良平に手伝ってもらいながら運んできた。
「葵! お願いがあるんだけど」
「またお前か!」
「この机、何かに加工して欲しいの。引っ越し荷物に入れても邪魔にならない大きさで、年老いた両親が使いやすい物。机とは違う形のもので、でも、身近で毎日使える物にして!」
「はあ? お前、それはなぞなぞか? わけわからん」
「私も何にしてもらえばいいのかわかんないんだよ。でも、これ捨てたくないの! 捨てさせたく無いの」
「他人の物を勝手に持ち出したってことか? 俺は共犯になる気はない。持って帰れ」
「
滝川の表情が変わった。
「な……んだって!」
「陽ちゃんが小学校から使っていた机なの。お父さんとお母さんが買ってくれて、すっごく立派な机で、大切にしていたの。ご両親もずっと大切にしていて……でも、陽ちゃんのご両親、徳島に引っ越すんだって。だから、もう持って行かないって言っていて……」
凪いでいた心に、さざ波が立つのを感じる。滝川は拳を握りしめた。
茜の奴、今更こんな物持ってくるなよ!
「今すぐ、持って帰れ」
「嫌だ! 陽ちゃんの机、あんただって捨てたくないでしょ!」
「持って帰れって言ってるだろう! 帰れ!」
怒鳴り声が響いた。
陽人は驚いて、入り口に立っている良平に言った。
「良平さん、どうしたらいいですか? このままじゃ喧嘩になってしまう」
「……どうしようもないと思う。これは、葵と茜の問題で、二人が自分でどうにかしないといけない事なんだよ。俺たちが何かできることじゃないんだ」
良平はそう言ってじっと二人を見つめていた。
「葵は今も、竹内……陽ちゃんのこと大切に思っているんだ。でも、そのせいで、陽ちゃんの死を受け入れられてないんだ。あの時からずっと止まっているんだよ」
視線の先の葵と茜は睨み合って身じろぎもしない。
「茜も同じさ。茜はいつも威勢がいいけど、実は自分の限界を超えて他人のことばかり背負いこむタイプでね。陽ちゃんが死んだ時、茜も葵と同じくらいショックを受けていたんだけど、陽ちゃんのご両親のことや葵の事ばかり心配していて、茜自身がちゃんと陽ちゃんの死を悲しむ余裕が無かったんだ……だから、今回のことは、二人がそれぞれ乗り越えていかなきゃいけない事だと思うんだ」
良平はそう言って陽人の顔を見た。
「でも、見守っているだけって、しんどいね」
陽人は、良平が必死に耐えている目を見て黙った。
そうか……みんな、まだ、
でも、良平さん、本当に包容力のある人だな。茜さんきっと幸せだ。
茜は滝川の怒声にもめげずに言い返した。
「陽ちゃんのお母さん、すっごく複雑な表情していた! 本当は捨てたくなんて無いのよ。でも、主のいない机を見ているのも、辛すぎるの。きっとどうしたらいいかわかんないんだよ。だから、あんただったら、これどうにかできるんじゃないの! 大工なんだからさ。木工のプロでしょ!」
「俺にどうしろと言うんだ!」
「わっかんないよ……わっかんないけど、なんか捨てないでいい方法考えてあげてよ! だって、私がもらっていくっていった時のおばさんとおじさんの顔、もう本当になんて言っていいかわからない表情していたんだよ。だから、なんとかしてあげたいだけだよ」
「だからって、俺を巻き込むなよ。お前が勝手になんとかすればいいだろ」
「だって、陽ちゃんが毎日向かっていた机なんだよ。あんただって、何にも思わないわけないでしょ」
「だったら、お前が代わりに毎日使ってやればいいじゃないか!」
「でも、陽ちゃんだって、お父さんとお母さんと一緒にいたいと思うんだよ!」
茜は涙でぐしゃぐしゃな顔で叫んだ。
「じゃあ、そのまま持っていってもらえば……」
ふーっと、滝川は大きなため息をついた。
両親の複雑な気持ちは、滝川自身が一番分かっていることだった。
それ以上何も言えなくなった。
「……とりあえず、置いていけよ……」
ぐしゃぐしゃな茜の事を良平に預けて、滝川は作業場の扉を閉めた。
陽が使っていた机……
滝川はそっと表面を撫でた。陽のぬくもりが伝わってくるかと期待している自分に驚きながら。
机は綺麗に手入れされていた。十年もほっておいたら、こんなに綺麗な状態で保存されていないはずで、陽の両親は辛い思いを抱えながらも、毎日この机を綺麗に磨いていたのだろう。
茜の奴……こんなもの持ってきやがって……
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