一宿一飯の恩

 お味噌汁のいい匂いがする……


 陽人は急にお腹が空いて目を開けた。


 ここは……そうだった。

 昨日男の人に拾われて、家に連れてきてもらったんだった。もう朝なのかな。


 陽人はむっくりと起き上がると、隣の台所を覗き込んだ。


「起きたのか」

 男はすぐに気づいて声を掛けてきた。

 食卓には鮭とご飯とみそ汁が並べられていて、理想的な日本の朝の食卓の光景が広がっている。


 す、すごい! この男の人、なんでもできるんだ!


「起きたなら一緒に食べろよ」

 男はそう言って、陽人の分もよそってくれた。

 陽人は洗面所で顔を洗って着替えると、席に着いた。

 二日ぶりのまともな食事だった。


「ありがとうございます! 俺、ここのところまともに食ってなくて。う、嬉しいです!」

「おう! そうか。じゃあ遠慮せず食えよ」


 男はそう言うと、「いただきます!」と軽く手を合わせてから食べ始めた。

 

 陽人もお味噌汁を手に取った。かつおだしのいい香りがする。

 一口飲んで感動した。


 ああ……こんなおいしいお味噌汁初めてだ!


 体に染み渡るような感じがした。


「こんなおいしいお味噌汁初めてです!」

「そうか? 別に特別な作り方して無いぜ」

 男はそう言って不思議そうな顔をしたが、嬉しそうに食べている陽人を見て、ちょっと目を和ませた。


「名前まだ聞いて無かったな。俺は滝川たきがわだ。お前は?」

「えっと、牧瀬陽人まきせはるとです」

「成人しているって言ってたから、二十一くらいか?」

「はい、そうです」

「何の仕事していたんだ?」

「レストランのウェイターです。東京のイタリアン料理店の」

「へー。ウェイターじゃ飯は作れないか」

「そ、そうですね。調理場は担当してなかったので。でも、簡単なまかない飯なら作れます」

「そっか。で、東京の奴がなんであんなところで寝てたんだ?」

「それは……東京だと色々物価が高いから、少し郊外に行こうと思って、小銭のある限りで、行かれるところまでの切符を買ったんです」

「それが、この町だと」

「はい……」

「ふーん」

 

 滝川はお味噌汁を飲み終わると、

「俺はこれから仕事に行く。お前は『一宿一飯の恩』って言葉知ってるか? 一晩タダで泊めてやったんだ。お礼くらいはしてもいいだろう。俺が帰ってくるまでに、庭の草むしりをやっておいてくれ。昼頃に一回帰って来るからな。草むしりしたら風呂に入るといい。火事だけは出すなよ」


 朝ご飯を食べたら荷物をまとめて出ていけと言われるとばかり思っていた陽人は、びっくりした。

「え! 草むしり?」

「なんだ。不満か?」

「いえ、ただまだ出て行かなくていいのかなと思って……」

「礼も無しに出て行こうなんて、甘いんだよ! 俺が帰って来るまでに済ませておけよ。十二時半くらいには帰って来るから」


 滝川はそう言って食器を台所へ運ぶと、作業着に着替えて仕事に出かけて行った。

「鍵は一つしかないから、俺が帰って来るまで家を空けるんじゃ無いぞ。庭の草むしりの間は気を抜くなよ」


 土木関係の仕事なのかな?

 それにしても、見ず知らずの俺に家を預けて行くなんて!

 不用心な人なのか? 肝の据わった人なのか? どっちなんだ?


 陽人はそう思いながらも、台所の食器の片づけをして、滝川に言われた庭の草むしりをするために下に降りて行った。

 二階へ上がる階段の横から奥に行くと、狭くて雑草だらけだが確かに庭らしき空間があった。外塀の際には、レンガが並べられて花壇のようになっているのがかろうじて分かるくらい、草でぼうぼうになっている。


 とりあえず、端から抜いていくしかないな。


 陽人は滝川が玄関のところに用意して置いてくれた軍手と草取り道具を持っていき、黙々と作業を始めた。


 軍手とか用意して置いてくれて、滝川さんって見た目に似合わず気が付く人なんだな。


 陽人は滝川の事を考えた。

 二十代後半で短髪長身色黒。眼光鋭く筋肉質なタイプで、どう考えてもガテン系の人に見えた。

 言葉遣いは荒いし、ニコリともしないし、とっつき悪いから怖そうに見えるけれど、よくよく見ると結構ハンサムなのでカッコよく見える。

 ちょっと羨ましい気がする。自分が同じことをやっても、単なるくそ生意気なガキで終わりだと思った。

 自分と比べると真逆の感じでよくわからないけれど、悪い人では無さそうである。

 と言うより、むしろすごくいい人みたいである。


 なんで拾ってくれたのかは分からないけれど、いつまでも世話になれるわけじゃ無いからな。これからどうするか考えないと……


 悩みを抱えている時に、単純な作業をしたり体を動かしたりすることが、とても救いになるという事を、陽人は初めて知った。

 黙々と草抜きをしていると、頭の中が空っぽになって、余計な考えが浮かばなくて助かる。

 風はまだ冷気に包まれていたが、四月上旬の日差しは思ったより力強く、じりじりと肌に食い込んだ。うっすら汗ばみながら、ひたすら体を動かしているのは気持ちよかった。

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