背中を支える手

「私は日本人の父とフィンランド人の母を持つハーフですけど、日本で生まれて、国籍も日本人です。パスポートも日本のパスポートです。でも、黒髪黒目は持っていない。自分では日本人と思っているけれど、どうしても生粋の日本人にはなれないんです」

 恵令奈はちょっと寂し気な表情になって続けた。

 それは、陽人に聞いて欲しいと言うよりは、自分自身に語りかけているような言葉でもあった。


「日本の学校に行って、お友達にも恵まれていたと思います。みんな仲良くしてくれました。金髪も、青い瞳も、綺麗って言ってくれて。でも、一緒にいると私だけ見た目が違うんです。それはやっぱり目立つし、気になるんですよ。どうしてみんなと違うんだろうって」

陽人は黙って聞いていた。

「見た目のコンプレックスって、思った以上に心に影を落とすんです。自分ではどうしようも無い事だし、友達は優しかったから、気にしないように接してくれていたのに……」


 目を伏せて、一呼吸おいて、また話始める。


「じゃあ、フィンランドに行ったら目立たないだろうと思って、祖母の家に行きました。見た目は目立たなくなって、ああ凄く自由だと思ったんです。街を歩いていても、誰も振り向かないし。フィンランドでフィンランド語を話せば、別に上手だとか不思議だとか言われることも無いし」


「けれど、日本の生活習慣や自然に慣れている私にとって、フィンランドはやっぱり外国だったんです。なんか……どこにも属せないような……宙ぶらりんな感覚になってしまって……辛かった……」


「逃げ帰るように日本に帰って、ずっと心に穴が開いたまま過ごしていました。でも、主人に出会って、二つの国を繋ぐ橋のような人だねって言ってもらって、凄く嬉しかったんです。無理やり一つに決める必要は無いって。橋の真ん中が私の属する場所なんだって」


「素敵なご主人ですね。お会いしたいなぁ」

 陽人の素直な言葉に、恵令奈は零れんばかりの笑顔を見せて、頷いた。

「是非、今度会ってください。私の大切な人です」

 

 恵令奈は抱っこ紐の中で笑う怜音に顔を向けて、ばぁと声を掛けた。

 あやすように体を揺らしながら、言葉を続ける。


「誰かに認めてもらえるってとても嬉しいですよね。私は主人に認めてもらえて、自分の価値を見出すことができました。でも、それだけではまだ足りない気がするんです。私が私自身のことを認められるようになりたい。だから私、これからも頑張って自分の居場所を探し続けるつもりです。これが私の居場所って、胸を張って言えるように。日本とフィンランド、大好きな二つの国の架け橋になれているって、ちゃんと思えるように」


 恵令奈はそう言うと、晴れやかな笑顔を陽人に向けた。


「すみません。勝手にべらべら話てしまって。でも、牧瀬さんに聞いてもらって、牧瀬さんに宣言して、なんかすっきりしました。牧瀬さんが自然にフィンランドに興味を持って、色々聞いてくださったので、ついつい嬉しくなっちゃったんです。ああ、私の話で、フィンランドを好きになってくれる人がいるんだって、ちょっと自信が持てました。ありがとうございます!」

「そんな、本当に興味沸いたし、面白かったし、行ってみたくなりました」

 陽人は照れ臭そうに、でも心からの言葉を贈った。


 滝川の返事を伝えるために連絡先を交換すると、恵令奈は何度も頭を下げながら帰って行った。



 その日夕食を取りながら、陽人は滝川に恵令奈の話をした。

 そして、恵令奈から預かった木工品を見せた。

「これは、なんだろう?モビールみたいだな」

 滝川が手に取って眺めながら尋ねる。

「フィンランドの『ヒンメリ』って言う、モビールだそうです。幾何学的な形のモビールで、『幸せを願う光のモビール』って言われているらしいですよ」

 陽人はスマホで調べた情報を滝川にも見せた。

「なるほど……赤ちゃんのために飾りたいんだろうな」

 滝川はそう言いながら、ヒンメリの仕組みを確認している。

「直せそうですか?」

「まあ、なんとかやってみるよ」

「ありがとうございます!」

 自分の事のように喜ぶ陽人を見て、滝川の表情も和んだ。

 そして、静かな声で語りかけた。


「陽人、お前はいつも誰かのために動ける奴だよな」

「え!そんなこと無いですよ。俺、何のとりえも無いし」

「いや、他人のために強くなれる、優しい奴だよ」

 陽人は驚いたような顔をすると、急に照れたように額を掻く。


 滝川は続けた。


「溢れるボランティア精神は、茜と似ているんだけど、ちょっと違うんだよな。茜はエネルギッシュで、本人の意思に関係無く相手の手を掴んで、無理やり良い方向へ引っ張って行く感じだな。でも、陽人は控えめだけど良く相手のことを見ていて、欲しいなと思うところで、そっと手を差し出して繋ぎとめてくれる。そんな優しさだな」


「えー。そんな嬉しいこと言ってくれるんですか!」


「後、なんかこいつになら話してもいいかって思わせる、安心感みたいなのがあるよな。誠実さが滲みでているし。お前は今まで苦労した分、人の苦労もわかるんだろうな。だから、話しても大丈夫って、この人なら分かってもらえるって思える」


 いつになく饒舌に語ってくれる滝川に、陽人は感謝の気持ちが沸きあがる。


「だから、お前のその持ち味を生かせるような仕事が見つかるといいな」


 その言葉に、弾かれたように滝川を見る陽人。

 そして嬉しそうに頷くと決意したように話始めた。


「滝川さん、今までずっと見守ってくれてありがとうございます。俺、そんな滝川さんに甘えて、ゆっくり考える時間をもらえました」

 曇りの無い目で真っ直ぐに滝川を見ると、深く頭を下げる。


「俺、両親と死に別れて一人になって大変だったけど、でも今までもいろいろな人に支えられてきたなって思い出したんです。高校の時は、近所の役所に勤めていた方が、ものすごく親身になって相談に乗ってくれて。手続きとか教えてくれて。それで今日まで生き延びてくることができました」

 

 陽人はそっと息を吸うと、


「俺、町役場に勤めたいです。みんなの生活に寄り添う仕事をやってみたい。住みよい町にしたいし、俺みたいに困っている人の相談に乗りたいし、少しでも助けたいです」


「なるほどな。陽人らしくていいんじゃないかな」

 滝川は嬉しそうに頷いた。


「秋本のおっさんも喜ぶぞ。町に相談しに行きやすくなるってな」


「でも、十月の試験まで、ちょっと勉強して準備しないといけないですね。受かるかはわからないし……就職決まっても4月までは待たないといけないかもしれないし……滝川さん、まだまだ無職ですけど、よろしくお願いします!」

「ははは、別に構わないさ。家賃は入れてくれているしな。大家としては何の問題もないぜ。でも、陽人なら大丈夫。絶対合格できるよ」


 滝川はそう言って、陽人の頭をガシガシ撫でた。

「はい! がんばります」


 でも、陽人は知っていた。陽人が毎月支払っている家賃、滝川は手を付けずに陽人預金として残してくれていることを。


 茜の引っ張り上げる手

 陽人の差し伸べる手

 じゃあ、滝川の手はどんな手だろう……


 陽人は心の中で考える。


 滝川さんは……俺にとって滝川さんは……

 そっと背中を支えてくれる大きくて温かい手。

 落ちないように、倒れないように、黙って見守ってくれる、支える手だな。

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