Episode4 繋ぐ鉛筆立て

滝川の妹

 今日の夕食はすき焼きだ!


 牛肉パックの上に貼られた、本日特売の赤いシールを見て、陽人はるとは嬉しそうに呟いた。滝川と交替で食事当番をしているのだが、最近メニューがマンネリ化している。もともと料理が得意なわけでもないので、レパートリーは少ない。

 でも、今日は牛肉が特売なのだから、すき焼きにしない手はない。一つの鍋に野菜も入れて、栄養も食べ応えも満点だ。

 いつもより多めに買って、大きな買い物袋を両手に下げて帰って来た。玄関の鍵を開けようと、荷物を持っている手をジーンズのポケットに突っ込もうと四苦八苦していると、突然目の前のドアが開いて、中から制服を着た女の子が、両手を広げて飛びついてきた。

「お帰り! お兄ちゃん!」

「うわあ!」

 陽人はとっさに後ろに飛びのいた。階段の鉄柵に荷物がぶつかって、グシャと嫌な音がする。


 卵が割れた音だな……


「あ! ごめんなさい!」

 制服の女の子は、慌てて両手をひっこめた。

「もしかして、陽人さんですか?」

「もしかして、滝川さんの妹さん?」

 二人して呼吸ピッタリに叫ぶ。

「ごめんなさい! 大丈夫ですか? どこかぶつけてませんか?」

「いや、俺はどこもぶつけてないから大丈夫!」

 頭の中で卵はアウトかも……と思いながらも、陽人はとっさに笑顔になって答えた。

 

 歳の頃、十五、六歳くらい。すらりと伸びた細い手足は滝川と似ているなと思ったが、顔立ちはやや丸顔で大きな瞳、切れ長の滝川とは違っていた。かわいいなと思って、陽人は慌てて顔を引き締めた。

 ポニーテールに結ばれたサラサラの黒髪を揺らしながら、みちるはぺこりとお辞儀した。

「柴田みちるです。兄がいつもお世話になっています」

 とても礼儀正しく挨拶をしてくれる。

「いえ、お世話になっているのは、俺の方で。牧瀬陽人まきせはるとです。よろしくお願いします」

 陽人も礼儀正しく挨拶した。


 そこへちょうど帰ってきた滝川が、玄関前の様子を見て、あちゃという顔をした。

「陽人、びっくりさせて悪かったな」

「あ! 滝川さん」

「お兄ちゃん!お帰り!」

 みちるは嬉しそうに滝川の腕に飛びついた。その勢いに流石の滝川もよろめく。


「お前、到着十分前に連絡してくるんじゃ遅いんだよ。せめて学校出たら直ぐ連絡くれなきゃ、俺が間に合う訳ないだろう。鍵はどうしたんだ?」

「ママに借りてきたから大丈夫。本当は何にも言わないで驚かそうとしていたんだけど、流石にそれはかわいそうかなって思って連絡入れたんだからいいじゃん」

「それで陽人のこと驚かしてりゃ世話ないな」

「ごめんなさい……」

「大丈夫ですよ、滝川さん。みちるさん」

 陽人は二人のやり取りを面白そうに眺めていたが、慌てて首を左右に振った。


「荷物重いでしょ。一つください」

 みちるは両手に荷物を抱えたままの陽人に手を伸ばして、片方の荷物を受け取ると、飛び跳ねるように家の中へ消えて行った。

「陽人、驚かせて悪かったな。先に連絡入れておけば良かったな。夕食の具材、あいつの分もあるかな? 夕食食べたら家に送っていくから、それまでちょっとうるさいけど、がまんしてくれ」

 滝川は申し訳なさそうにそう言うと、もう片方の陽人の荷物を受け取って家の中に入って行く。

 その顔は、すっかりお兄さんの顔だった。



「急にどうした?」

 滝川は着替え終わると、台所の陽人を手伝おうと三階の部屋から降りて来た。

「別に~。最近お兄ちゃん全然家に来ないし。会えなくてつまらないから来ちゃったの」

「あー、ちょっと色々忙しかったからな。昼間は顔出していたんだけどな」

「ママは会ってるから気にしてなかったけど、私は学校行ってて会えないんだもん。でも、あかねちゃんから聞いていたから、忙しかったのも知ってたよ。ようさんの机リメイクしていたんでしょ」

「茜から、そんな事聞いていたのか! って、お前茜といつそんな話したんだよ?」

 滝川が驚いて尋ねると、

「だって、毎朝一緒の電車だから。茜ちゃんと朝、一緒に行ってるんだ」

「茜ちゃんって、あいつの方が年上なんだからな。ちゃんと、茜さんって呼ばなきゃだめだろう」

 陽人には、『バカ茜』で充分なんて酷いことを教えておいて、言っていることが真逆である。陽人は思わず噴き出した。滝川はそんな陽人を不思議そうに眺めた後、

「夕飯は……おお、すき焼きか! じゃあ、早くこいつに食べさせてしまおう。手伝うよ」

 そう言って、鍋の準備を始めた。

「卵……半分は生き残っているな」

「あ、それ、私のせいだ!」

 みちるはそう言うと

「私も手伝う!」

 と台所へ入って来たが、制服が汚れると困ると言って滝川に追い出された。それでもあきらめきれない様子のみちるは、台所の扉のところに寄りかかって、二人にあれこれ話かけてきた。


「仲がいいですね。俺、兄弟姉妹きょうだいいないから、羨ましいな」

 陽人が野菜を切りながら言うと、

「まあな、歳が離れているから喧嘩する感じじゃないんだよな」

「お兄ちゃん、みちるの願い何でも聞いてくれるんだー」

「なんでもなんて聞かないぞ」

 滝川は牽制するように言いながら、汁の煮立った鍋に具材を入れ始めた。

「そんなことより、みちる、学校はどうなんだ?」

「うちは中高一貫だから、高校でもメンバー一緒だから特に変わりないよ。勉強はますます大変だけど」

 みちるは今高校一年生。二つほど先の駅にある、県立の中高一貫校に通っているので高校受験はなく、この春そのまま進級したのだった。

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