第25話 フマムュ、意気込む

 フマムュは自信を持っていた。

 紡玖という新しいアタベクの教育は彼女の肌に合い、みるみる自分に力が付いていく事を実感していた。

 しかも特技――『焔の吐息』も手に入れた事で、更に自信に拍車が掛かった。

 これは手に入れた能力が火だということも大きく影響していた。

 火は人間にとって分かり易い力に他ならない。

 手では折れない太い木も、火の前ではあっさり燃え尽きる。硬く曲がらない鉄も、火にくべれば溶けた飴の様。食材に火を通せば美味しくなり、寒い夜も火があれば凍えない。

 それほどに便利で強大な力を秘める火を手に入れた人は、その内面が変化することが多い。 

 むしゃくしゃした時にじっと蝋燭の火を見つめていると心が落ち着いたり、逆に日頃大人しい人が祭りの篝火を見て興奮して突拍子もない行動をしたりと、例に枚挙の暇は無い。

 なので子供に「火遊びをしてはいけません」と諭すのは、火が単純に危ないと言うだけでは無い、子供の健全な成長のために理に適った教育法という話があるほどだ。

 そんな安い力を手に入れたフマムュは、ここなら大丈夫だろうと木の洞に隠れていながらも、少々失念している事があった。

 それは何故フマムュが、以前にはビクビクおどおどして日々を過ごしていたのか。

 そしてそれは誰によってもたらされた物であったのかを。

「見つけましたよ、お嬢様」

 その声にビクッと身体が反応する。

 まさかと思って洞から顔を出すと、直ぐ近くにチッテッキュの姿があった。

「まさかこんな近くに隠れているとは思いませんでした。些か私をお舐めになり過ぎていると、そう判断せざるを得ませんね」

 屋敷の廊下に居るかのようにメイド服姿で涼しげに、そしてニコヤカに立っているチッテッキュに、何故かフマムュの背中に悪寒が走る。

 それと同時に嫌な記憶の蓋が開きそうになる。

「始まって三分も経たずに終わってしまっては、お嬢様にも立つ瀬が無いでしょう。もう一分待ちますので早くお逃げになられると宜しいかと」

 その言葉と頭に浮かびかける嫌な思い出に突き動かされて、フマムュはそこから出て一目散に駆け出す。

 ジグザグに走り、森の木々の間を抜け、服に引っ掛かる獣道の枝葉を折り飛ばしながら、フマムュは走って逃げ続ける。

 走り続けて息が上がったフマムュが、後ろを振り返って誰も居ない事を確かめながら、大きく呼吸を整えようとする。

『足を止めて良いんですか、お嬢様』

 しかし耳に聞こえてきたのは、直ぐ側に居ると思われるチッテッキュの声。

 何処に居るのかと付近を見回しても、その姿どころか影も見えない。

『ご安心を、先ほどの場所から動いてはおりません。これは木々に精霊魔法で干渉して声を届ける魔法です』

 その事にあからさまにホッとするフマムュだったが、しかし続く言葉にゾッとする。

『お嬢様にお伝えし忘れた事があり、こうして言葉をお届けしているのです。エルフにとって、木々は家族のような物であると」

 最後の部分は嫌にはっきり聞こえてきて、思わずフマムュは前に駆け出す。すると後ろに流れた髪の一部が何かに触れたような感触が。

 振り返ると、手を伸ばしたチッテッキュの姿がそこにあった。

――何で、あそこから動いていなかったんじゃ!?

 頭は混乱しても足は動くもので、チッテッキュから距離を離そうと動き続ける。

「お嬢様、恐らく広いからと森の中を逃げるのを選んだと思いますが、逃げても無駄で御座いますよ。木々は私の味方。お嬢様の位置を教えてくれるのです」

 その証明のように、あっという間に回り込んできたチッテッキュの手を、横っ飛びで交わしつつフマムュは逃げ続ける。

「それに森での歩き方走り方にはコツが必要なのです。なので屋敷内ではお嬢様のおみ足に追いつけないかもしれませんが、森の中なら私の方がお嬢様より早く動けます」

 確かにチッテッキュが言うように、整地された地面でも作られた廊下でもない森の道には、根が出てゴツゴツした部分や腐葉土で柔らかい土、そして張り出した枝があって、うっかり気を抜くとそれら全てに足をとられそうになって走りにくい。

 満足に足を運べない苛立たしさから後ろを振り返ると、チッテッキュは何処を踏んで走ればいいのか知っているような、不規則な足の開き方をする走り方で、もう直ぐ側までフマムュを追ってきている。

 そしてフマムュの方へと伸ばされた手が背中に迫っていた。

――捕まっちゃう!

 あくまでも隠れオニというゲームのため、捕まったところで取り立てて何かがあるというわけでは無いのに、フマムュにはその手に触れられる事が何故か絶望への入り口のような気がしてならなかった。

 そのため思わずと言った感じに、手に入れた力に縋るようにして、咄嗟に身を捻って口から軽く息を吸って『焔の吐息』を吐き出す。

 そこで紡玖の言いつけを破った事に気が付いても、もう口から出た炎はチッテッキュへ殺到した後。

 人に向けて炎を吐いたと紡玖が知ったらきっと怒られると、変な方向な恐れを抱きつつ足を止めて燃えるチッテッキュの方を呆然と見つめている。

 するとそんなフマムュの心配を吹き飛ばす様にして、燃えるメイド服を脱ぎ捨てて下着姿の状態になったチッテッキュが現れた。

「嬉しゅう御座いますね。私に明確な攻撃してくるなんて。それでこそ正しい魔王の候補と言えます」

 燃える服を地面に捨て、精霊魔法で呼び出した水をかけて消火する。

 何事も無い様に『焔の吐息』の炎の中から出てきた、焦げ目一つ無い褐色肌の手足を誇らしげに見せ付けているチッテッキュの姿を見て、フマムュの嫌な記憶の蓋が完全に開いた。

「いやぁ……」

 思い出したのは、椅子に縛られて意味の分からない本を延々読まされ、間違えれば鞭で手を打たれる光景。

 幻痛が走ったのは、痛みに慣れるのが体術の基本だと、捻り上げられた左腕。

 嫌な汗が吹き出るのは、剣術の稽古で剣の奥からこちらを打ち据えようと見る目と、いま自分を見ている目が同じだから。

「いやあああぁぁぁ!!」

 そんな何もかもから逃げようと、必死にあがいて逃げ続けたあの日々と同じ様に、フマムュは逃げ出した。

 もう『焔の吐息』と同時に手に入れたはずの自信は消失した。もう一度、限界まで息を吸った『焔の吐息』を試してみようなんていう気すら起きない。

 木の根に足を取られても、腐葉土を踏んで滑っても、張り出した枝に服を引っ掛けても、逃げて逃げて逃げ続けた。

 チラチラと後ろを見て、何時までも付いてくる黒い肌の女から、必死で逃げ続ける。

 森の中は安全では無いと言われたから、あの屋敷がある方へと逃げる。

――もう負けでいい。いいから、助けて。アタベク!

 ここで唯一心を許せる相手である紡玖を求めて。森を抜け、屋敷の敷地内に入り、先ほどまでいた外井戸へと。

「はぁ、はぁ、アタ、ベク、アタベク!」

 井戸へとたどり着き、息を切らしながら周りを見渡し、あの優しい青年の姿を探す。しかし何処かに移動したのか見当たらない。

 がさりと後ろの茂みが立てた音を聞いて、フマムュは後ろを確かめずに屋敷の中へと逃げ込む。

 綺麗に磨かれた床に土汚れの付いた靴で足跡を残しながら、森の中とは雲泥に走りやすい事に少しだけ安心する。

 しかし広いとはいえ限られた空間しか持たない屋敷内で、走って逃げ続ける事は出来ないとも思い出していた。

 だからこそフマムュは、ベッドの下という場所に隠れ住んでいたのだから。

 なので一瞬またベッドの中に潜り込んで終了まで待とうかと考えたが、しかしもうゲームの勝敗などどうでも良いフマムュは、優しい紡玖の体温が恋しくなってその姿を探すために屋敷内を走り回る。

 やがて調理場で沸かした湯を金属製の水差しに入れて、それを水を張ったバケツの中で冷まそうとしている姿を見つけた。

「アタベク~!!」

 漸く見つけたという安心感から瞳に涙を浮べて、その背に飛びついて抱きつく。

 行き成り衝撃を受けてビックリした様子で振り返った紡玖は、泣いているフマムュの様子を見て慌てた様子であやし始める。

「ごめんなさい~、ごめんなさい~~……」

 唯一の味方である紡玖にまで嫌われたくないと、チッテッキュに『焔の吐息』を使った事を泣きながら謝るのだが、当の紡玖は何について謝られているのか分かっていない様子で、困ったように「大丈夫だから」と頭を撫でている。

 泣き声が落ち着き、目から出てくる涙も止まると、紡玖が「まだゲームの時間はあるよ?」と気遣わしげに喋りかけてきた。

「いいの。ここにいる……」

 チッテッキュの恐ろしさを忘れていた自分の馬鹿と内心で罵りながら、思い出した嫌な記憶を薄めようと紡玖の体温に頬を寄せる。

 今朝の自信満々な様子から一転して、前と同じく気弱な様子を見せるフマムュに、紡玖はこの十分前後に何があったのかと驚いている様子だった。

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