第31話 フマムュ、頑張る
アタベクの紡玖のやって欲しいと言った事に対して、フマムュは咄嗟に拒否しようと思った。
「それが試験の通過に絶対に必要なのですね?」
しかしチッテッキュが紡玖へ尋ねた言葉を聞いて、はたと思い出す。
一週間後の試験を通過しないと、もう二度と紡玖と会えなくなるのだったと。
ならちょっと怖いけど、会えなくなるぐらいだったら我慢しようと決意する。
矢張り紡玖もフマムュが嫌がると思っていたのだろう、少しだけすまなさそうな表情を浮べてフマムュの頭を撫でて、大丈夫かと聞いてきた。
「うん、がんばる!」
大丈夫とは言えないけれど、それでも頑張ろうと思った。
三人は調理場を出ると、それなりの広さがある屋敷の裏庭に移動して、エリザポ-ノの対策が始まる。
やる事の内容は単純で、フマムュがチッテッキュに捕まらない様に逃げる、いわばオニごっこの様なもの。
だけど逃げるフマムュはチッテッキュから背を向けてはいけないと言う、変な取り決めがあった。
何でだろうと考えていると、チッテッキュの手が伸びてきた。
もう始まっていたんだと慌てたものの、何故かその手の伸びる速度が遅い。
不思議に思いながらも、その手を避けて後ろに軽くジャンプして距離を開ける。
どういう事なのだろうかと紡玖へ顔を向けると、どうやらチッテッキュは最初は遅い動作で追ってくるが、それが段々と早くなっていくらしい。
変な遊びだなと思いながらチッテキュへと視線を戻すと、本当に先ほどよりは早く近づいてくるし手も速く伸びてくる。
まだまだ大丈夫。と避けて、後ろにジャンプ。
着替えた運動服は、前の服に比べて軽くて動き易くて、幾らでも逃げられそうな気がしてくる。
なので避けて避けて避けて、距離を開けて開けて開けるのを繰り返した。
ただ避けるだけなので、なんだかちょっと飽きてきたかなと感じつつも、もう一度大きく後ろにジャンプすると、どすっと背中に何かが当たった。
何が当たったのだろうと後ろを見ると、そこには屋敷の壁。
何でこんな所にと混乱するフマムュの肩を、伸びてきたチッテッキュの手が触れた。
「はい、これでお嬢様の負けで御座いますね」
「むぅ。もう一回!」
屋敷の壁に何で当たったのか分から無いけども、避けられるはずの速度で捕まった事に納得がいかないフマムュは、自分からそうチッテッキュに提案する。
それをチッテッキュは頷きで答えて、再度オニごっこが始まる。
まだまだ遅いと感じるチッテッキュの手を避けて、距離を離す。
回り込んできたり、逃げようとする方向を塞ぐ様に伸びてくる手を避けて、安全と思える距離まで逃げる。
時折背後の状況を確認して、どっちの方向へ逃げようか考えつつ、手を避けて逃げる。
今度は先ほどより長い間オニごっこは続いたが、最終的には裏庭に生えていた木の根っこに足を取られて転んだ所に、チッテッキュの手が触れてフマムュの負け。
「またお嬢様の負けで御座いますね。もう一度おやりになりますか?」
その言葉に反応を返す前に、なんだか魔法で操られたように、最後は何かに躓くのは何でだろうと、負けた理由を考え始める。
でもどう考えても、やっぱりちゃんと手を避けてたし、二回目は背後も気にしてたのにと、理由が分からない。
「アタベク、彼方もこの遊びに参加しなさい」
そんなフマムュの様子を見て、そのヒントを与えようというのか、チッテッキュは傍らで見ていた紡玖を呼び出す。
何で呼び出されたのか分からない様子で紡玖が近づいてくる前に、フマムュの耳にチッテッキュから「良く見ていてください」と呟かれた。
見ていろって何をだろうと首を傾げながら、邪魔にならない程度に離れた場所から二人のオニごっこを見る。
明らかにフマムュの最初よりも遅い動きで動くチッテッキュを、紡玖は大げさな様子で避けて距離を開ける。
傍目から見るとこんな様子なのかと、ちょっとだけ不思議な感覚を覚えながら二人の姿を見続ける。
最初は難なくかわせた紡玖だが、一度避ける毎に早くなっていくチッテッキュの動きに段々と焦り出したのか、次第に避ける動作や逃げる動作が単調になっていく。
そこまで到って、チッテッキュの手の繰り出し方が変わる。
その手によって紡玖は逃げる方向を限定され、伸ばす手の長さを巧みに変えられて逃げる距離を狂わされ、次第に避ける事に集中して自分の居る位置を見失っていく様子が見えた。
そして最終的には最初のフマムュと同じように、屋敷の壁に背中をつけた所で捕まって負けになった。
「すごーい……」
仕組みは見て分かったものの、それでも魔法の様にしか見えなかった。
それはチッテッキュの実力との差があまりにもありすぎて、その一片しか感じ取れないからに他ならなかった。
「お褒めに預かり光栄で御座います。ではお嬢様、今度はどうしたら良いか考えながら、ゲームをやってみましょう」
「うん!」
思わずそう返事を返して驚いた。
それは目の前に居るのは『黒い人』と言って避けていたチッテッキュなのに、どうして警戒感無く返事が出来たのか不思議だったからだ。
でも、と思い直す。
紡玖が来る前のアタベクとして時と、あの森で追いかけてくる時とは怖かったのに、今のチッテッキュは怖くない。
それはいま向かって伸びてくる手には、捻り上げようとか捕まえようという気配は無くて、ただ触れようとしているだけの優しい手だから。
いま思い返せば、こういう優しい所もチッテッキュはあったと分かる。
それは逃げ続けていた時の木の実の入った袋を置く姿だったり、紡玖が来てからは料理の配膳をする時や、ここ最近紡玖の代わりにお風呂に入れてくれる時もそう。
勉強だと必死になるチッテッキュは怖いけど、一緒に遊んでくれたり世話をしてくれるチッテッキュは好きかもと考えながら、近づいてくる手を避けていく。
でもそんな事を考えながらだったから、あっという間に背中に屋敷の壁が。
目の前に伸びてくる手を、チッテッキュは怖くない相手だと理解したからか、抵抗無く潜り抜けてその脇を抜ける。
距離を離してくるりと回ってチッテッキュに向き直ると、彼女は微笑んでいた。
「そうです。そうやって逃げるのも有効な手段です。では続きをやりましょう」
それはメイドとしての業務用の笑みではなくて、成長する子供が嬉して零れ出たものに見えて、ますますチッテッキュが怖くなくなる。
「では、何処まで避けられるか、私に見せて下さいませ」
「ぜんぶ、よけてみせるもん!」
ふふっとお互いに笑い合い、オニごっこのゲームは続いていく。
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