第6話 再び異世界に

 窓から差し込む日の光が、目蓋の裏から網膜を焼くのを自覚して、紡玖は目覚める。

 寝ぼけ眼で、何時も起きるよりやけに日が高いなとぼんやりしていて、重大な何かに気が付いた様にスマホをハッとした様子で探し始める。

 身体の直ぐ脇にあったそれを発見し次第掴み取り、大慌てで画面に時計を呼び出すと、午前八時と文字と数字が浮かび上がる。

「うわわ、ち、遅刻……だ……」

 そう起き上がろうとして、身体に感じる感触と手触りが、自分のベッドでは無い事を伝えてきて困惑する。

 何が起きたのかと思考しながら、視線を回りに向けてみると、明らかに紡玖の部屋ではない姿が広がっていた。

 高級そうな調度品に囲まれた、天蓋つきの巨大なベッドのある部屋。

 それは『まおいく』のハードモードをクリアーしたときに見た、あの夢で出てきた部屋にソックリだった。

「……もしかして、学校に行っていた方が夢って事?」

 混乱する頭の中で取り合えずどうし様かと考えていると、膝丈のテーブルの上に乗った呼び鈴が目に止まった。

 おずおずとそれを手に取り、軽く振って鳴らしてみる。

 ちりーんと、思わず耳を傾けてしまいそうな高く澄んだ風鈴の様な音が響き、部屋の中に反響して消えていく。

 思わずもう一度聞きたくなって、紡玖がもう一度振ろうとするその手を、手袋に包んだ手が止める。

「一度で十分聞こえますので、二度は不要で御座いますよ」

「え、何時の間に……」

 先ほど部屋の中を見た時には居なかったのにと、メイド服姿の褐色エルフであるチッテッキュに視線を向ける。

「日が昇ったのに寝扱けていらっしゃったので、先に朝食を用意して戻ってきた所で御座います」

 表情は相変わらず営業スマイルらしいニコヤカな顔なのだが、視線と言外にはもっと早く起きろと言っている様に感じた。

「あ、あはは。も、申し訳無いです」

 失態を笑って誤魔化そうとして、視線の強さが上がってきたので、大人しく謝罪する。

「初日ですし、今回は大目に見ましょう。それにお嬢様はまだ隠れたままの様ですし」

 仕方が無いと言いたげに、溜息混じりにそう言ってくる。

 どう反応を返したら良いのか分からず、まだ相手の性格すら掴めていないので、紡玖は曖昧な笑顔で誤魔化す。

「……事の重大性が認識出来ていないようですね。一日の勉学の遅れは、取り返すのに並々ならぬ努力が要るというのに」

「いや、それは、はい。十分に分かっております」

 夢か現実なのかは別にして、一ヶ月も勉強を疎かにしていたため、復習作業だけにでも頭を悩ませていたのは記憶に新しいので、チッテッキュの言葉を受けて自分の事のように反省する。

 そんな紡玖の殊勝な態度で溜飲が下がったのか、息を長く吐き出して気分を入れ替えたらしいチッテッキュは、再度ニコヤカな微笑みを作り直していた。

「では朝食を用意致しましたので、どうぞお受け取りを」

 朝食って何だろうと両手を差し出してみると、上に置かれたのは紐で口を結わえた小さな麻袋。

 適度にズッシリと来るので、中身は多く入っているのだろうが、手に感じる感触からは嫌な予感しかしてこない。

 恐る恐る紐を解いて中身を見てみると、入っていたのは剥き身の木の実がぎっしりと。

「……朝食って、まさか木の実だけ?」

「それは貴方だけです。お嬢様にはドライフルーツも入れてあります」

 嫌がらせじゃないのかと思いきや、大事な魔王の候補様も大体同じような物だということに、紡玖は驚きを隠せ無い。

「普段から、朝食は木の実だけなの?」

「朝食だけでなく、毎食そうです。時折野草を食む時もありますが」

「……タンパク質は取らないの?」

「蛋白というと、虫の事でしょうか。あまり好きではありません。所詮非常食ですし」

「いや、虫も確かにタンパク質だけど、牛肉とか豚肉とか鶏肉とか」

「エルフは肉は好みませんが?」

「と言う事は、魔王候補の……確かフマムさんも、エルフなの?」

「いいえ、違います。それとお嬢様のお名前はフマムュ様です」

 なんだか徹底的に会話が噛み合っていないのは、異世界召喚に付属した言語変換化のエラーだと思いたい紡玖は、この際だからと色々と問題点を聞いてみようと思い立つ。

「えーっと、まとめて一気に尋ねるけど。魔王候補のフマムゥさんはなんていう種族なの、それより木の実だけの食事に対して何か言って来ない、というか何で隠れたまま出てこないの、そもそも魔王候補を育成するって何の特技も無い異世界人の俺にどうやれと、あとこの世界と俺の居た世界を一日毎に行き来した様だけどこれは仕様ですか、最後にその尖った耳触らせて貰えません?」

 長々と喋り終えた紡玖の息が切れた。

 途中なにやら質問とは言いがたい内容も含まれていたようにも感じるが、紡玖の混乱した頭がそうさせるのだと思って欲しい。

 ニコヤカな表情を崩さずに、静かに発言に耳を傾けていたチッテッキュは、紡玖の息が整うのを待ってから喋り始める。

「訂正を入れながらの返答になりますが」

 そう言葉を区切ってニコヤカな表情を一変させた。

「さっきから言ってんだろ、お嬢様のお名前はフマムュ様だって。フマムュだよフ・マ・ムュ。それと自分が選んだ木の実に何か不満でもあんのかコラァ。お嬢様がニンゲンの因子を持ってなかったら、テメェの様な冴えないオスを召喚してまで呼ぶかよ、調子にノンなボケ――ケフン。最後に、私の耳にその汚らしい手が触れた瞬間に、目鼻耳を削ぎ落としますのでそのお積りで」

 それは紡玖がダークエルフと固有名詞を出した時より悪く、子供なら問答無用で大泣きし、新兵ならば「イエッサー!」と背筋を正さずには居られない目つきと口調になっていた。

 最後の部分だけニコヤカな表情に戻った事で、逆に恐ろしさが上がっている。

 フマムュが持つ因子とやらが気になりはしたが、思わず手袋に包まれたその手指で「目だ、鼻だ、耳ィ!」と切り落とされる光景を幻視して、慌ててブンブンと顔を上下に振りながら了解の意を示しつつ、しかし恐る恐ると言った感じて片手を上げる。

 ニコヤカながらまだ何かあるのかと態度で示しているので、言い辛さで重たい口を開いていく。

「あ、あのぉ、召喚方法について、お答えして頂けていないのかなーっと……」

 またあの恐ろしい表情になるのではと、ビクビクしながら言ってみると、手をぽんっと叩くという古典的な動作をしてきた。

「何か忘れていると思ったら、うっかりしてました」

 召喚の仕組みをどう言い表したら良いか悩んだ様子で、顎先に手を当てている。

「えー、貴方は一日が経過する毎にこちらに召喚されて、あちらに送り返されます。しかし安心してください、召喚されてから一秒後の時間に送り返しますので、あちらの生活に支障が出る心配は御座いません」

「……と言う事は、午前零時に問答無用で此方に来るわけですか?」

「そういうことです。ですがその前に就寝なさっていた方が宜しいかと。起きていると召喚酔いとか激しいと聞きますし」

 なるほどなるほどと納得しつつ、未だにあの表情が恐ろしいので、ぺこぺこと頭を下げる。

「ご質問にお答え頂き、有難う御座いました……もしかして荒っぽい方は地ですか?」

「この口調はお嬢様付きのハウスメイドとしてですので、確かに地は――こっちの方だよ。つーかよ、疑問があんのは良いけどよ、一つ一つ区切って聞いてこいな。答える方が大変だからよぉ」

 ニヤリと凄みを利かせた笑みはニコヤカな時と比べると、威厳が増しつつ板に付いた表情で、言い方は悪いが魔王の側近に居そうな風情が漂っていた。

「それで如何なさるのです?」

「どうって言うと、教育係の事ですよね。降りるって訳には――行きませんよね、ハイ」

 教育なんて面会拒否の相手に如何する事も出来ないだろうと匙を投げかけ、ニコヤカな表情のうち眉だけを地に戻すと言う高等テクニックを見せられて、恐怖から諦めた様な言葉を漏らしてしまう。

 まあ退路を断たれてはしょうがないと、先ほど上げた疑問点の答えから今の状況を推測していく。

「えーっと、とりあえずそのお嬢様は人間の因子とやらを持っているので、人間に教育させようと言う事と、そのための選別のツールが『まおいくベータ版』だったと事までは理解しましたよ」

 ぼそっと置かれた状況の整理のための独り言を呟くと、何故かチッテッキュは驚いたような表情を浮べた。

「矢張り異世界産だと、ニンゲンにしては知恵が回る様ですね」

「いや、流石にこの世界の人間だって、知恵ぐらいはあるでしょう?」

「ニンゲンなど、火で鉄を操る術を覚えただけの、争い好きのサルです。それを知性と呼ぶかは別でしょう」

「……一元に否定するのが難しい所を」

 チッテッキュが告げたそういう部分も人間には少なからずある事は、高校生となり時事を取り入れ始めた紡玖は理解していた。

 ではとりあえずその教育係らしい事でもしようかなと、魔王候補様が人間の因子とやらを持っているのならば、恐らく木の実だけではお腹が膨れまい。

「さて、そういう事なら、先ずは台所に案内してもらっても?」

「台所で何を為さるおつもりで?」

「相手が味気ない生の木の実を食べ続けた人間なら、大人でも子供でも、美味しい餌で釣るのが一番ですよ」

 腰掛けていた長椅子から立ち上がりつつ、手渡された袋の中の木の実を一つ取り出して力いっぱいに噛み砕くと、溢れるほどの渋みの先にほんの少しだけ甘みがあった。

 これだったら家庭料理程度の腕でも食いつくだろうと、紡玖は台所までチッテッキュの案内に付いていった。

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