第5話 ありふれた日常

 授業と授業の合間にある、小休憩の時間。

 紡玖の席に近づいてくる、背は高いが小太りの男性が一人。

 その影が眼に入ったのか、紡玖は視線を男の方へ向けると、気安そうな笑顔を浮べる。

「なんだよマッキー。また『まおいく』が何処にあるのか聞きに来たのか?」

「いい加減、何処にあったか教えてくれたっていいだろう、たなべぇ」

 マッキーこと、蒔田修哉も友人に向けて浮べるのに適した表情を返しながら、紡玖への愛称交じりに喋り掛ける。

 この二人、出会いはこの高校からなのだが、お互いにゲーム好きという接点が高じて、あっという間に友人関係になったのだった。

 そして高校入学当初から紡玖がはまっていた『まおいく』をやりたいと、入手した場所を休み時間の度にスマホ片手に聞きに来るのが、この所の教室内の見慣れた光景なのだ。

 その結果、二人はゲームオタクとして教室内では認知されていて、男子からは然程ではないが、女子からは白い目で見られているのである。

「いや、だからさ、俺も何処で手に入れたのか、良く分かってないって言っただろ」

「でも、グッドリーに張られているリンクからスマゲーに飛んで、更にはそこのリンクから飛んだ先のリンクの先にあったんだろう。だったらせめて、どんな見た目のリンクだったか、思い出してくれよ」

「そう言われてもなぁ……」

 どんなリンクだったかなどという一月前の記憶など、日々の雑多な記憶に流されてしまっていて思い出せる訳が無い。

 そもそもやりたいと申し出を受けた今から数週間前、履歴を辿ってページを見てみたら、表示できませんという文字が浮かび上がってきたのだ。

 それからは幾ら探しても見つからず、予定ダウンロード数に達して消されたか、製品版の完成のために消されたのだろうと、二人で先日納得したはずであった。

 しかし手に入れられないと分かると、手に入れたくなるのがオタクの性というもので、今でも蒔田は事ある毎にリンクを飛んで探している訳であった。

「あーあ、そのプログラムがコピー可だったらな~」

「ゲーム関連はコピー不可が基本だろうに」

 だよなーっと大げさに落胆する蒔田を見て、少々悪戯心が刺激されたのか、紡玖の頬が上がりニヤリとした笑みが浮かぶ。

「そうそう『まおいく』と言えばだ、昨日ハードをクリアーしたぜ」

「え、マジマジ!?」

「大マジよ……これを見たまえ!」

 時代劇で印籠を見せ付けるかのように、クリアーの証拠であるスクリーンショットの画像を呼び出したスマホを、蒔田の目の前に掲げる。

「うわ、マジなのかよ。しかし、イラスト付きとは羨ましい……うーん、この線のラインはホゾカミさん、いやshieldさんの系統か。そこから攻めれば『まおいく』の在り処が分かるか」

 紡玖よりも一歩踏み込んだオタクである蒔田には、新しい情報がそのイラストから見えているようだ。

「この絵師がロリケモナーかロリかで焦点が分かれる所だけど、有意義な情報有難う、たなべぇ」

「……この絵だけで分かるのか?」

「いや、流石にそれだけじゃね。でもネットの海は広大だから、探す手掛かりさえ得られれば、後は何とかできるもんなのだよ」

 成果の報告はまた後日と言い残して蒔田が自分の席に戻ると、図ったかのように次の授業の始業のチャイムが鳴り響いた。


 一日の授業が終わり、各授業の先生が板書した事をノートに書き写した後で、紡玖は学生鞄を持ち教室から出て行く。

 この学校では放課後に部活をする事が推奨されているため、他の大多数の生徒も部室や更衣室へ向かうため教室を離れる。

 しかし紡玖はそんな人波から外れる様に、真っ直ぐに校門へと向かい学校から下校する。

 部活動はあくまで推奨であり強制ではないため、紡玖の様な帰宅部が居ないと言う事は無いのだが、部活動に参加する事で内申が良くなると生徒間では言われているため、帰宅部の人数は極少数に留まっている。

 そんなマイノリティーに何故紡玖が属しているのかと言うと、両親が共働きなので家の事をしなければならない為である。

 紡玖にとってそれは小学生時代からの当たり前の事なので、別に変な事だとは思っていない。

 しかし当初担任からは、部活動したくないから家庭の事情を持ち出したのではと、胡散臭げな目で見られる羽目に。

 だが両親に連名してもらった上申書が効いたのか、以後は担任が紡玖に部活動に付いてあれこれ言ってくる事は無くなった。

 言って来なくなった理由に、ある一人の生徒の存在もあったのだが、それは今関係の無い事である。

「さってと、今日は何が安かったんだっけ」

 制服のポケットからスマホを取り出し、近場のスーパーや商店街のお得情報を呼び出す。

 そしてスマホのメモ帳から、少ない食材のリストを呼び出して見比べながら、何処其処の何という店で何を買うのかをざっと頭で思い浮かべつつ、財布の中身が足りるかを計算していく。

 食材の購入費は両親から、一週間に一定額貰っている。

 食費を安く済ませればその分お小遣いが増えるという仕組みなのだが、余りにケチると両親の小言が飛んでくるので、品質と値段との兼ね合いに少々頭を悩ませる必要が出てくる。

 それでも長年やっている事なので、両親の好みや許されるランクの食材も分かっているため、食材を選ぶ片手間にやってのけるぐらいはできる様になっていた。

「後はここの四時からのタイムセールで、牛肉の切り落としを買えれば、終わりかな」

 小さく折りたためるタイプのエコバックに、商店街を回って買った食材を入れて持ちながら、スマホを制服のポケットに入れて、地域密着型のスーパーへと足を踏み入れる。

 店内で和やかに買い物をしている様に見える主婦たちから、ややピリピリとした空気が漏れている。

 ちらりちらりと彼女らが見ているのは、店内にある時計。

 その長針が頂点に来るタイミングを計っているのだ。

 周りを見渡した紡玖は、思いの他タイムセールを狙っている人数が多い事を察知する。

 これは手に入れるのは難しいかもと少しだけ気弱な事を思いつつ、パック詰めされた牛肉のワゴンが出てくるはずの、バックヤードの扉に向かってゆっくりと歩いていく。

 やがて針が頂点を指して四時という時間を知らせるのと同時に、バックヤードの扉からワゴンが出てきた。

「ただ今より、牛切り落とし肉、百グラム四十円のタイムセールをおをおおおをお!!!」

 がらんがらんと鈴を鳴らしてそう言い掛けた店員は、四方八方から押し寄せる主婦の波に飲まれて消えた。

 稲穂に群がるイナゴの様に、ワゴンの上に並べてあった牛肉が入った発泡スチロールのパックが、一つ一つ上から順に一瞬毎に消えていく。

 このままでは直ぐに無くなってしまうという最中にあって、しかし紡玖が狙うのは、ワゴンの中段にあるパック。

 人が動いて出来た隙間を狙って右手を突っ込んでパックを掴むと、空いている左手で人を掻き分けて隙間を開けさせてから右手を引き抜く。

 その手には見事に、五百グラムの牛肉が入ったパックが二つ握られていた。

 紡玖の手法を見て、中段にもパックがあるのだと気が付いた主婦により、更に素早くパックが消えていく。

 そしてタイムセールが開始してほんの一分足らずで、牛肉のパックは全て無くなってしまった。

「あぁああーーー……お、遅かったか~~……」

 空になったワゴンに駆け寄り、そう呟きながら肩を落としたのは、紡玖の通っている高校の女子用制服に身を包んだ女子。

 勝気な印象を与える太眉が意志の強そうな瞳の上に乗り、艶やかな黒髪を肩口に掛からない程に短く切り揃えた、可愛いよりも男前な見た目で、思わず同年代が「姐御!」と呼びたくなるそんな少女が、肉を手に出来なかった事にしょげ返っている。

「優陽がタイムセールに乗り遅れてくるなんて、珍しいな」

 そんな彼女の名前は立花優陽。

 兄弟姉妹の多い家庭に生まれ、両親からは小学校の頃から家事手伝いと食料の確保を任されているという、紡玖にとってタイムセールでの顔馴染みの相手である。

 小中学校時代には境遇が似た同士だしクラスも一緒だったので、休み時間などに良く話していたのだが、高校ではクラスが違うからか滅多に話す事は無くなったが、今でも友人以上の腐れ縁な間柄。

 最近では妹弟たちの食費の確保のため、平日の短い時間と土日には八時間ずつのアルバイトを入れているらしい。

 基本アルバイト禁止の高校なので、特別に認めてもらうための演説を校長相手にぶちかまし、兄弟愛に打ち震えた校長が特例を認めたという逸話があり、そういう点でも男前な人物として認知されている。

 この一件があったから、理由がちゃんとある帰宅部の生徒に、教師が何も言ってこなくなったわけなのである。

「なんだ、紡玖かー……あー!牛肉確保してるしぃ!」

 見せ付けるようにして紡玖が掲げていた牛肉のパックに、気安い間柄特有の面白い反応をする。

「ん。どうだ、欲しいだろう?」

「く、くぅ……な、何が望みなの。お、お金以外だったら、考慮してもいい」

 一体どんな鬼畜な要望をされると思っているのか、非難がましい目付きで睨みつけながらも、チラチラと牛肉のパックに視線を向けている。

「いや、そんなに警戒されると、逆にからかったこっちが困るんだけど。ほら、優陽の分」

 掲げていたパックを差し出すと、手を伸ばしかけて引っ込め、今度は怪訝な目付きを向けてきた。

「え、何。何かの罠?」

 人を警戒する野生動物のように、逃げ腰でじっと見てくる。

 いい加減このノリに付き合うのも面倒とばかりに、紡玖は無理矢理に優陽の手に牛肉の入ったパックを握らせる。

「二パック取ったから、おすそ分け。それに以前のタイムセールで、大根を確保してくれてただろう。そのお返し」

「ぎゅ、牛肉と大根じゃ、釣り合いが取れないんじゃ……」

「だったら、今度俺がタイムセールに遅刻した時に、何かしら確保しといてくれよ」

 生真面目な貸し借り基準を逆手に取って、見当たらなかった優陽のために確保しておいた物を押し付けて、紡玖はスーパーの買い物を続けようと歩き出そうとした。

 そこに何かに気が付いた様な優陽の独り言が漏れ聞こえてきた。

「……はっ、もしかして餌付けして惚れさせようと!?」

「そんな訳あるかー!」

 勢い任せの突っ込みで、丸く形の良いその頭を叩き落とした。


 頭を叩かれて不貞腐れた優陽と分かれ、一杯になったエコバック片手に家路に着いた紡玖は、家に上がり込むと直ぐに冷蔵庫の前へ。

 そして冷蔵庫に張られている小型のホワイトボードに目をやり、両親の仕事の状況を目に入れる。

 父親は納期が迫っているらしく、帰宅予定は八時前後。母親は取引先の中小企業のお偉いさんとの会食があるらしく、夕食は不要との事。

「ふーむ。じゃあシチュー系統で誤魔化しちゃおうか」

 制服姿の上から、小学校時代に作ったファンシーな柄のエプロンを掛け、炊飯器の釜の中に計量カップで測った米を四合入れて米を磨いていく。

 磨き終えて水を規定量入れ、炊飯器にセット。

 買ってきた牛肉のパックをエコバックから、シチューに必要な玉ねぎ、ニンジン、ジャガイモを野菜室から、戸棚からは顆粒タイプのビーフシチューの元を取り出し、流し横に立てかけてあったまな板と包丁に、流し下の棚からは煮込み鍋を用意する。

 ニンジンとジャガイモの皮を包丁で剥き、適当な大きさに切り分けて鍋の中に放り込む。

 水を被るぐらいに並々と注ぎ、蓋をしてコンロで強火にかけた後で、玉ねぎを皮を剥いてから櫛切りに。

 フライパンを取り出し、コンロの火で温めながら無料で手に入れた牛脂で油を引いて、暫し待つ。

 十分に温まってから、牛肉を一枚一枚広げるようにして表面に、置き終わったら切った玉ねぎをその上に。

 しゅわしゅわじゅわじゅわ、という音を聞きながら、牛肉の表面に焼き色が着いた事を確認してから、全体を混ぜ合わせるようにフライパンを振る。

 玉ねぎがやや透き通って来た所で全部鍋の中へ投入し、鍋の中のお湯をフライパンの中に掛けて残った肉汁を混ぜ溶かしてから戻す。

 蓋を閉めてジャガイモとニンジンが煮えるまでしばし待機。

 鍋の中の具材に火が通ったら一旦火を消し、顆粒のシチューの元をザラザラと目分量で入れ、鍋をかき回して蓋を閉めてから、極弱火で火に掛ける。

 朝に使ったキャベツの残りと、シチューで使ったニンジンとジャガイモの切れ端などをフライパンで炒め、めんつゆを入れた卵で閉じる頃には、米もシチューも出来上がり。

「午後六時か。ちょっと早いけど」

 火を全部落とし、茶碗にご飯、少し深めの皿にビーフシチュー、程よく大きめの皿に切り分けた卵とじ、冷蔵庫から取り出した麦茶をコップの中に入れれば、ちゃんとした夕食がテーブルの上に。

 箸置きから自分の箸を、引き出しからスプーンを取り出してから、いそいそと席に座る。

「いただきまーす」

 と習慣化された文句を言いつつ、ぱくぱくもぐもぐと食べ始める。

 少し元が足りなかったかなーと、シチューの味を確かめて、後で一撮み分塩を入れておこうかと考えていると、茶碗のご飯が無くなったのでお代わり。

 シチューも無くなったので追加で入れて、行儀が悪いと両親に言われているが如何しようかと、少し頭を悩ませてからシチューの中に茶碗の中で半分残していたご飯を入れて、カレーのようにして食べ出す。

「ごくん……ご馳走様でしたー」

 最後の一口を飲み込んでそう言いながら席を立ち、食器と鞄から出した弁当箱を流しで洗ってから水切り籠に置き。

 フライパンの中の卵とじを皿に移し、ラップを掛けて冷蔵庫に入れてから、学生鞄を持ち自分の部屋へと向かう。

 制服から部屋着に着替え、鞄の中身を取り出しつつ今日授業でやった内容を見ながら確認していく。

「うわー……やっぱり一ヶ月『まおいく』に掛かりっきりだったから、分からない部分が多いや……」

 この一ヶ月の自堕落振りを今更ながら自覚し、机に向き直って板書を写し取ったノートを広げて、遅まきながら復習を始める。

 うんうんと唸りながら、数学は方程式と化学は反応式を何とかうろ覚え、英単語の意味を辞書を引いて調べていると、玄関の鍵が開く音がした。

「おかえりー」

 父親が帰ってきたかなと、少し大きめに声を出す。すると玄関先から疲れた音が混じった「ただいま」という声が返ってくる。

「ご飯は何時も通りにねー」

 何時も通りならば言う必要は無いのかもしれないが、それでもそう声を掛けつつ復習に戻る。

 数時間後、会食から戻ってきた母親が父親に仕事の愚痴を言いつつ、二人で晩酌を楽しんでいる音を聞きながら、復習が一段落着いたので明日の授業の教科書を鞄に詰めていく。

 両親がお風呂に入り終わるのを、やり掛けだった据え置きゲーム機の勇者と魔王物のRPGを進めながら待ち、洗い物と着替えを持って風呂場へ。

 身体を洗い湯船に浸かり、風呂から出て身体を拭き、新しい部屋着に着替える。

「あ、そういえば……」

 そんな何時も通りな一日を過ごしながら、今日は『まおいく』をやっていないなと考えつつ、だがハードモードはクリアーしたからおかしくはないのかと『まおいく』を起動しなかった事を悩む事は無く、部屋の電気を消してベッドに入って寝入ってしまった。

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