第3話 魔王候補の傅役
チッテッキュは呆れ顔で溜息を吐いてきた。
「……そも貴方はアタベクの試験を通過したから、此処に居るのでは?」
「その試験って、もしかして、これのことですか?」
手に持ったままだったスマホを起動し、取って置いたスクリーンショットを見せる。
初めてこういう機械を見たのか、少し仰け反って距離を取ったチッテッキュだが、その中に浮かんだ画像を見て大きく頷く。
「ええ、どうやらちゃんと試験を通過したニンゲンで安心しました。手違いがあったのかと」
ホッとした様子を見せた後で、顎先に手を当てて小首を傾げる。
「そもそちらの言葉はこちらのに自動的に変換される様に、召喚時に組み込まれている筈なので、意味が理解出来ない事は無いと思うのですが?」
「……固有名称は自動変換されないか、似た言葉になるみたいですよ。名前はそのままだし、ダーク――じゃなかった黒エルフって言葉は、わたくしの意図した意味とは違いましたし」
うっかりまたダークエルフと言いそうになり、大慌てで黒エルフに訂正。だが黒エルフという呼称が、また失礼に当たらないかとヒヤヒヤだ。
しかしその説明で何となく納得がいったのか、チッテッキュは顎に当てていた手を下ろすと、止めていた足を動かし始める。
「アタベクと言うのは職業の名前で、その仕事も試験を通ったのならば、難しい事ではありません」
遊んでいたのが育成ゲームという内容と、クリアーした際に出てきた『魔王候補育成』の文字を思い浮かべた紡玖の背中に、何か薄ら寒い物が走る。
「えーっと、ちょっと嫌な予感がするけど、もしかして」
「ええ、貴方には魔王と成られるであろうお方の教育をして頂きます。期間はとりあえず一ヶ月。その後に行われる検定試験の通過が目標となります」
「おおぅ……そんな所まで『まおいく』と一緒ですか~……」
ゲーム攻略にに費やしたのと全く同じ期間を告げられて、気分がぐったりと成ってしまう。
「着きました。ここが貴方が担当する魔王候補のお方、フマムュ・スムサ様のお部屋です」
大きな屋敷の二階の角部屋の扉にある鍵穴に鍵を差込み、がちゃりと錠をはずした後で、チッテッキュは紡玖を部屋の中へと通す。
魔王の候補とはどんな相手だろうと恐る恐る入ると、その部屋の中にある調度品に思わず目を奪われる。
クローゼットに戸棚や机は、全てが緻密な意匠を施された上に、丁寧な仕上げの金属細工があしらわれ、素人目にも高級感が溢れている。
化粧台の上には、大きな円形の鏡が備え付けられ、台の上には掌大のガラスの壷に入った琥珀色の液体――恐らくは香水が入れられていると思われる。
部屋の中で一際存在感を放つ天蓋付きのベッドは、掛けられたシーツや毛布も一級品の艶やかさも目を引くが、大人が五人寝ても余りそうな大きさの方が印象に残る程。
ベッドの上の枕、椅子の上にあるクッションも、恐らくは一級品なのだろうが、周りが凄すぎて霞んでしまっている。
そんな絵に描いたような王様か王女様かと言った部屋の中を、ぐるりと見渡していたのだが、紡玖の感想はやがて一つへと集約されていく。
「……ええ~っと、何処に居るのでしょうか?」
問題の魔王候補という相手が見当たらなかった。
夜だからとベッドに視線を向けてみても、人か生物が居る様な膨らみは見て取れなかった。
これだけ広い部屋で、大きな家具があるのだから、隠れようと思えば隠れられるだろうが、魔王候補という存在にそんな必要が何処にあるのだろうかと首を捻る。
するとチッテッキュのニコヤカだった表情が出会ってから初めて崩れ、眉間にくっきりと皺が刻まれた苦悩の顔つきへと変わる。
「はぁ~~……はっ、失礼致しました。何分、私はフマムュお嬢様に嫌われて居りますので、私の前には姿をお見せにならないのです」
「どうして嫌われたか、お聞きしても?」
おずおずとそう尋ねると、より一層苦悩の色が強くなる。
「何故かは良くは……少しだけ礼儀作法などの教育をして差し上げただけなのですが……」
どうして嫌われたのか分からないと言いたげの様子だが、出会い頭に凄まれた紡玖の脳裏には、数瞬の間チッテッキュが軍服を着た親兵訓練の鬼教官の姿で、魔王候補と書かれたお面を着けた人物を甚振る光景が映し出されていた。
「何か、言いたいことでも?」
チッテッキュから笑顔なのに胡乱な視線を向けられて、紡玖は視線を泳がせながら脳裏の光景に消しゴムを掛けていく。
「……私が居たのでは埒が明かない様ですし、後はお二人にお任せいたします。御用の際には、机の上の呼び鈴でお呼び下さいませ」
「あ、ちょっちょっと!」
頭の中の光景を消す作業をしていて反応が遅れ、大慌てで呼び戻そうとした物の、がちゃっと鍵が閉められる音が響いて来た。
用があったら呼び鈴を鳴らせとは言っていたが、恐らく別の部屋を用意していたらそっちに案内するだろうしなと、今日はここで過ごすしかないなと溜息を吐き出す。
この部屋に『フマムュお嬢様』とやらが本当に居るのかと視線を巡らせてみても、姿形どころか影すら見えない。
これではコミュニケーション所ではないなと、流石にベッドの上に眠るのは些か躊躇われたので、長椅子に横になり頭の下にクッションを差し入れると、睡魔が程なく襲来してきた。
意外と我ながら図太いなと感想を思い浮かべながら、紡玖は眠りへと落ちていった。
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