第2話 異世界に来た
ほんの数十秒、目が機能を取り戻すために必要な時間が経過した後、何故か紡玖は手と脚の裏から冷たさを感じた。
床にでも転げ落ちたのかと目を開けると、大きい肖像画が壁に嵌められた広く絨毯が敷かれた階段という、中世欧州をモチーフにしたゲームにありがちな屋敷の玄関口の光景が眼前に広がっていた。
「え、な、何で?」
ついさっきまで部屋の中に居たのに、もしや夢なのかと自分の頬を抓ってみるという、古典的な方法で正気を確認する。
無論抓った頬は、確りと痛さを伝えてきている。
「……痛いって事は、現実って事なのかな?」
そう周りを見渡してみても、薄暗い中で浮かび上がるのは石造りの壁に、手作りらしい多少歪みを含んだだ金属の水差し。
これはますます現実味が得られない。
なにせ小説に良くある設定の、中世をモチーフにしたゲームの世界に入り込のだと現すテンプレートだらけだからだ。
そんな風に困惑する中で、ゴツゴツっと何か硬い物が地面に当たる音が、壁に反響した状態で聞こえてきた。
それは紡玖に近づいてきているのか、段々と音が大きくなっていく。
今度は一体何が起こったのかと身構えていると、暗がりから一人の女性が現れた。
「夜分遅くにご足労頂き、誠に有難う御座います」
そう頭を下げてきたのは、漆黒の髪を一括りにアップにした頭の上にはヘッドドレスを、白と黒ツートンの俗にヴィクトリアンメイドと言われるエプロンドレスを身に付け、手腕は素肌を見せない様にするかのように白い手袋で覆われている。
スカートの裾から見えるのは、エプロンドレス姿には似合わない様に見える、動物の皮と結ったつる草で作ったと見える編み上げのブーツ。
しかしもっと目を引くのは、下げている頭の横から飛び出る様に突き出した尖った三角耳と、彼女の見える範囲内での肌の色。
「だ、ダークエルフ?」
そう称してしまうほどに、目の前の女性は典型的かつ古典的なまでに、剣と魔法の物語内に生息するダークエルフにソックリだった。
思わず出してしまった紡玖の言葉に、下げていた顔を上げてニッコリと笑うと、ゴツゴツと石床をブーツで踏みつけながら近づく。
腕を伸ばせば触れられる距離に達した瞬間、行き成り紡玖の喉を手袋で覆われた手が掴み、力が込められていく。
「くぅぁ!?」
喉を絞められて思わず声が漏れる。
咄嗟にどうにか外そうともがいてみるのだが、手袋が滑らか過ぎる材料で出来ているため、手指の引っ掛かりすら掴めない。
「オイ、テメェ。初対面の相手に向かって『小汚い』エルフだなんて、随分だな。アタベクだからって、ニンゲン風情が調子にノンなよ」
混乱するのをあざ笑うかのように、あくまでも表情はにこやかにしながらも、まるで盗賊かと言いたくなるほどに底冷えのする目付きと口調でそう告げると、一瞬だけ握りつぶすほどの力を込めてから、ゆっくりと喉から手を放す。
解放された喉の調子を手で撫でて確かめていると、何が問題だったのかと吐き出す息にその考えが混ざる。
「ダークエルフは、種族名じゃないのか……」
「何か、仰りましたか?」
今度はメイドらしい微笑を浮べたままだが、言外にまた言ったなと言いたげに、視線を向けてくる。
大慌てで両手で自分の口を塞ぎ、何も言っていないと言うポーズを取る。
「そうですか。では私の後に付いて来て下さいませ」
「いや、ちょっと待ってください。何が何やらさっぱりなんですけど?」
「……では、ご案内の最中にて、簡単なご説明を致しましょう」
小さいながらも「チッ、面倒な」と、最初に言った様に聞こえた。
しかしそれを指摘する事無く紡玖は大人しく、階段を上っていく彼女の後に付いていく。
「さて分からない事とは、何でしょう?」
「何で俺――わたくしがここに居るのかとか、そもそもここが何処なのかとか、お姉さんのお名前と種族は何なのか、かな?」
俺の部分で咎める様な視線を向けられて、思わず呼称を言い直しながら、もっともな疑問をぶつけて行く。
「では簡単な物から先に。私の名前はチッテッキュ・ザガサバシャです。種族は『小汚く』は無い、普通のエルフです」
まだそのことで根に持っているのかと、知らなかったのだから許してはくれない物かと頭を悩ませながらも、聞き取れなかった部分をもう一度。
「えーっと、もう一度お名前をお聞きしても?」
「……もう一度ですか。チッテッキュ・ザガサバシャです」
名前の部分だけ、どうしても声帯模写の様に聞こえるため、正確な言葉を認識出来ない。
「ちっつきゅ、ずがさしゃ?」
「これだからニンゲンは……チッテッキュ・ザガサバシャ。最初は小鳥が囀る様に、後半は草を掻き分ける様に発音して下さい」
「チッテキ……えーっと、無理じゃないかなと。というより、本当にお名前なんですか、からかっているのではなくて?」
「ちゃんと父母から頂いた名前です。もっとも、エルフの名前はニンゲンには発音が難しいらしいですが」
「そう、なんですか……あ、続きをどうぞ」
なら名前を呼ぼうと必死になる前に、そう言って置いて欲しいとガックリとしつつ、褐色エルフのチッテッキュに発言を促す。
「ここはニンゲンが言う所の魔族が支配する地域で、貴方はその地域を治める長――魔王の候補を育てるアタベクとして、ここに召喚されたのです」
「えーっと、召還云々はとりあえず置いておくけど。そもそもアタベクって何でしょうか?」
質問すると、なぜかチッテッキュは呆れ顔で黙ってしまったのだった。
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