第8話 教育は美味しい食事から

 案内された調理場は、矢張り屋敷の大きさに相応しい程に広い。

 食器や調理道具もそれなりに整えられており、幾つかは現実世界に持ち帰りたいと思えるほどの一品もあった。

 しかし時代が中世欧州的な世界なので、流石にコンロや水道の蛇口は無く、あるのは竈と水瓶。

 これでは現実世界の快適な調理設備に慣れた身では、まともな料理など出来ないだろうなと、紡玖は考える。

「言われた通り、小麦粉と保存用の塩漬けした肉に調理油、その他に食べられそうな葉の野草を持って来ましたよ」

「済みません――って、持ってきたんですか。あるかどうか調べるだけで良かったのに」

 顔を向けた先の出入り口にはメイド服を着たチッテッキュが、右肩の上に小麦が入っているであろう大袋と野草の束を乗せ、左手には一抱えはありそうな塩の浮いた塊の猪肉と油が入ったビンが握られていた。

 一応まだ恐ろしいので口調は丁寧にしているが、その細腕の何処にそんな力があるのかと、紡玖の顔には冷や汗が。

「在るかどうか見たついでに、持って来て置いた方が手間が掛からなくて宜しいでしょう?」

「まあ確かにそうなんですけど……重くありません?」

「この程度、いかほどの事でもありはしません。それで、これらで何を為さるお積りなのか、お聞かせ願っても?」

 どさりどさりと重たい音を立てて、作業机の上に置かれた物を手にとって確かめていく。

「小麦粉は、イースト菌も無さそうだし発酵させる時間も無いから、味気無いけど無発酵パンに。肉は野草と一緒に煮て、スープにでもします」

 小麦粉の挽きが少々荒いのを除けば、野草も現実世界の山菜で見た事があるような物ばかりだし、肉から腐敗臭はしないので大丈夫だろうと判断を下す。

 さてと腕まくりをした紡玖は、小麦粉をティーカップで計って木で出来たボウルに入れ、戸棚の中に手付かずであった木箱入りの塩を取り出し、指で掴んで計って入れる。

 瓶に入った水の清潔さに疑問を持ち、煮沸消毒した方がいいだろうと、紡玖は中学時代の移動教室で行った飯盒炊爨の要領で、手付かずだった薪とスターター用の小枝と枯れ葉を竈に並べていく。

 そして着火するのに必要なマッチが無いかを探してみたが、戸棚の何処にも無かった。

 火打石ならあるのかと探してみても、そんな物は何処にも無かった。

「……何をお探しなのですか?」

「いや、火を点ける物をね……」

「火でしたら、魔法で点ければ宜しいのでは?」

 何をしているのだかと、溜息が聞こえてきそうな程に呆れた様子で、チッテッキュは指先から小さな火を灯すと、それを竈の中の枯れ葉に擦り付けた。

 枯れ葉の火が枝に伝わり、あっという間に薪が燃え始める。

 何も無いところから火を出したのを見て、漸く紡玖はここは本当に異世界なんだな、そう認識を確固たるものにした。

 しかし同時に疑問も湧き上がる。

「魔法が使える人間って、特別職じゃないの?」

「この程度なら、流石のニンゲンと言えど、子供でも使えるはずですが?」

「……向こうの世界じゃ魔法は無いものだから、そういう事は知らないんで」

 魔法が無いという事に不思議そうな顔をするチッテッキュを尻目に、無事火が確保されたので大き目の鍋に瓶から十分以上の水を入れて、竈でお湯を沸かす。

 その間に野草を適度な大きさに、水分が抜けて硬くなっている塊肉を削ぎ落とすようにして必要分切り分ける。

 まだ沸くのに時間が掛かるようなので、ついさっきチッテッキュが手渡してきた木の実の袋から、見た事がありそうな物を取り出して乳鉢の様な石の鉢の中に入れて、棒で叩いて砕いていく。

 硬さに難儀しながらある程度まで砕き終えたところで、ぼこぼこと湯が沸く音が聞こえた。

 パンを作るのに必要分を小鍋で掬い取って作業机の上に置き、先ほど砕いた木の実と削り出した塩漬け肉を投入。暫し待って出てきた灰汁を木のお玉で掬い取り捨てる。

 大体の灰汁を取り終える頃には、汲み置いていた湯がぬるま湯程度にまでなり、それを少量ずつ小麦粉と塩の入ったボウルに入れて混ぜていく。

 手腕と腰を使って粘り気を出させていくと、粉が球になり、繋がって一纏りになったので、取り出して小麦粉を振った作業机の上にバシンと叩きつける。

「――!?」

 矢張り尖り耳だと人間より聴覚が良いのか、思わずといった感じで眉を潜めるのは、儀式をしている呪師の手つきを見ている様な、胡散臭げな視線で見ていたチッテッキュ。

 それを横目で見ていて、可哀想かなと感じつつも、仕方が無いしとバシバシ机に叩きつけてからぐっぐっと捏ねていく。

 やや時間が経ち、生地から慣れた感触が手に伝わってきたので、ある程度の大きさ――拳より一回り小さめに程度に切り分けてから、全ての生地を麺棒で丸く平たく伸ばしていく。

 伸ばした生地をくっ付かないように粉を振ってから重ねると、放って置いて火が弱くなってきた竈に追加の薪をくべつつ、布巾を使って鍋の持ち手を持って火から離してから味を見る。

「うーん……出汁が薄いし、しょっぱいかな?」

 肉と木の実を投入しただけなので、満足がいく出来栄えではないが、固形ダシなど無いので野草から味が出るのを期待しつつ鍋に投下し、ぐるっと木のお玉で鍋を一掻き回し。

 鍋があった場所にフライパンを置き、調理油を引き、軽く煙が立ったところで再度油を引く。

 そうしてから、フライパンに平たい生地を置いて表裏と煎餅の様に焼いていく。

 焼きあがった最初の一枚だけは、焼き加減を確かめるために千切って味見すると、味の薄いトルティーヤの様な感じ。

「スープがしょっぱいし、これはこれで……」

 同じ要領で残りの生地を焼き終えると、フライパンを片付け再度鍋を火に掛ける。余熱で野草はクタクタになっているので、ただ温め直すだけ。

 煮て出てきた野草の灰汁を取りつつ味見してみると、野草が良い感じに味を出して及第点と言った所。

「本当に大丈夫なんでしょうね、ソレ」

「味見してみます?」

「エルフは基本、火を通した物は食べないので」

 味見した紡玖が居るために毒見は必要無いので、そういう建前を使ってまで結局は怪しげな物は食べたく無いのだろう。

 そんなチッテッキュの様子に何も感じる事は無かったのか、料理場の隅に置いてあった料理を運ぶワゴンの上に、鍋と焼いて皿に置いた平たいパン、スプーンとスープ皿二枚を乗せ、ガラガラと次期魔王候補のフマムュが居る部屋へと運んでいく。

 チッテッキュに扉を開けてもらったが、見える範囲に人物の姿は無い。

 しかしつい先ほど誰かが部屋の中を歩いたのか、毛足の長い絨毯に小さな足跡を見て取る事が出来た。

 何をそんなに怯えているのだろうか。

 そう紡玖は考えつつ、鍋から適当にスープを掬って皿の中に入れ、平たいパンを二枚にスプーンと共に手に持ち長椅子に座ると、ぱくぱくと食べ始めた。

「うーん、まあまあかなー……」

 口の中の物を飲み下して呟きながら、再度スープを皿に入れてパンを一枚追加する。

 そこにすすっと静かな足運びで近づいたチッテッキュは、そっと紡玖の耳に口を寄せる。

「オイ、何でテメーが食ってんだよ。フマムュ様の為に作ったモンだろうが」

 ドスの利いた声が鼓膜を揺らすと、自然と身体がビクッと固まってしまう。

「いやいや、これも作戦ですって。腹が減っている時に、目の前で誰かが美味しそうに物を食べていたら、どうします?」

「……上手く行くとは思えませんが」

 理由をフマムュに聞こえないように小声で話すと、帰ってきた言葉がメイド仕事用の丁寧なものだったので、胸をなでおろしつつちゃっちゃとご飯を平らげる。

 さてと、と前置きを入れてから、使った食器をワゴンの上に置きつつ、チッテッキュに向き直る。

「どうやら未だ出てくる気配は無さそうなので、食後にそこで寝ますが、何か問題はありますか?」

「余り時間が無いので悠長には言っていられないのですが、仕方がありません……その棒読みが演技だと、お嬢様に気付かれていない事を祈っております」

 後半部分は部屋からの立ち去り際に、紡玖にだけ聞こえる声量だった。

 そんなに演技っぽかったかなと、後頭部をガリガリと掻きながら長椅子に座ると、ごろりとその上に寝転ぶ。

 そこでクッションが無い事に気が付き、昨日は在ったはずなのにと首を傾げつつ、まあ本当に寝るわけでは無いから良いかと、腕を枕にして狸寝入りを始めた。

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